9話 ゴールテープは何処いった
クドーには、式見が小さく溜め息をついたように見えた。
式見の視線がクドーを見すえ、告げる。。
「話にのった。証人保護を希望する。ただし、仕事の過程で逮捕された体裁をとることが絶対の条件だ。泳がせて捕まえるのは得意だからできるよな?」
持ち上げてやったら、やり返された。
「取引まで時間がないと言ったのは本当だ。おれがもってる情報が欲しいんなら急げ。話を通せるやつにつながらないなら、このまま消える」
ハンドガンをリウに手渡し、式見のそばに残ってもらう。クドーは今度こそ公衆電話へと走った。
式見に提案をとおせる見込みはあった。
自己顕示欲が強い延長で、組織より自分を上において利潤を追い求めるタイプ——という主観からだったが。
これで被疑者や証拠品がまるっと消えていたとしても、多少の申し訳がたつ……はず。
しかし、尾形が本当に覆面警官だとしたら、潜入のジャマをしたあげく、手柄までかっさらったことになる。尾形が属している係から、五寸釘を打ち込まれそうな気がする……。
学校そばのビル、幹線道路に面した方に、ぽつねんとある公衆電話を見つけた。
受話器をとって硬貨を落とす。気持ちが急いて、日頃のせっかちに拍車がかかった。のたのた回るダイヤルを指で強引に戻して、ミナミ分署の番号を回した。
受付の声を聞いてから四十秒後、リリエンタール分署長が電話口に出た。
本当にまだいたのは、とりあえず良かったとして。ここでイエスと応えてくれるかが問題だった。
投入したコインが次々飲み込まれていく音を聞きながら手短に話すと、いつものまったりした声が返ってきた。
『これまた、ええ男を口説き落としましたなぁ』
「ナンパに成功したみたいに言わんでください」
リリエンタールの声音が微妙に上がっていることから、本心をジョークでくるんでいるとみた。
案の定、期待した答えがきたが、
『放したらあきまへんえ。すぐ行きますよって、場所おしえてください』
「え、署長が来はるんですか?」
誰かを迎えによこすのだと思っていた。
『時間ないんでっしゃろ? 車とめやすいとこで頼むわな。ほな——あ、ちょお待って』
受話器を置こうとしたところで引きとめられる。ガサゴソと紙がすれる音。
『珈琲店で暴れたガリード勢司をおさえたんは、クドー巡査とリウ巡査でしたな』
「ええ。セイジはいま病院のはずですけど」
『抜け出したみたいです。心当たり、ありますか?』
ウソやん……。
全身の力が抜けて路上に寝転がりたくなった。走り回ってやっとゴールが見えそうなところで、コース変更を言い渡された気分。
さすがに疲れた。一時間でいいから休みたい。
けれど、バトンをつないでくれる誰かがいないと、ゴールテープを切るまで足を止めることはできない。リリエンタール分署長みずから式見を拾いに来るのは、署員不足の側面もあった。
「心当たりいうても……や、もしかしたらですけど」
ポケットに入れたままだった免許証を思い出した。電話機にラスト一枚のコインを入れた。エリサが拾った運転免許証とガリード勢司の関係の可能性を報告する。
エリサとネヴァが受診している病院名を聞き出したところで通話が切れた。セイジが入院した病院も聞きたかったのに。
セイジがエリサがいる病院を探し当てるとは限らないが、ほうってはおけない。
まずは頼んだとおり、エリサたちが分署に連絡を入れてくれてよかった。
ふたりが行ったのは、車なら数分で到着できる病院だった。ミナミにある病院のひとつで、救急搬送に応えるべく幹線道路のすぐそばにある。車移動でも身動きがとれなくなることはない。
距離だけなら、すぐそこだった。
「リウ、車出して!
引き返したクドーは、道端で式見と無表情の睨めっこをしているリウに声をかけた。
「式見はこっから長堀通りに出たとこにある長堀東の交差点で待っとって! 五分後にシルバーグレイのセダンがくる」
式見からの返事は待たなかった。尾形を放置して、リウがすでに走り出していた。
クドーの足は速い。小柄を補う足の回転で、大きなストライドで走るリウに追いつく。
「車、どこに停めたん?」
「モラーノさんの家の隣」
そういえば、五階か六階建ての
「あのデカい図体の車、よう入れられたな」
「サイズ制限は守った。それよりスタミナを温存したほうがいい」
「走るんは、いつものことやん。しゃべるぐらい——」
「最上階、階段」
駐車場のいちばん上に駐めてあるのにエレベーターがない……
クドーはおしゃべりをやめた。
クドーが警らでまわっているミナミでは、高層ビルは少ないものの、エレベーターのないビルはめずらしくない。エレベーターの設置義務がない高さにおさえ、ときに違法を承知で建てられたビルが多いからだ。
毎日、水平方向に歩き回り、階段を上り下りする連続で鍛えられている。
とはいえ、一日のシフトが終わった夜中に、また走って上ってはつらかった。クドーは肩で息をしながら、五階建て立体駐車場の屋上にたどりついた。
リウの呼吸がさして乱れず余裕なのが少し悔しい。ピックアップトラックのドアをあけ、助手席によじのぼった。
ここまできたら病院まですぐ……と思ったが甘かった。
狭い通路の走行に、リウが外周の大きなステアリングを慎重にまわす。この調子で屋上まできたのかと感心するも、
「あかん、待ってられへん! リウ、自転車おろして!」
歩くようなスピードのピックアップに、おとなしく座っていられなくなった。
フレームもスポークも頑丈仕様な自転車だ。横倒しでも大丈夫なのだが、いつも縦置きで載せてくれている。軽い動作で荷台に飛び乗ったリウが、固定していたタイダウンベルトを外しにかかった。
「精算でまた時間とるんやろ? 先に自転車でいってる!」
荷台から降ろしてくれたのがリウの返答。ただ、サドルにまたがったクドーに、ひとことだけ言った。
「軽車両」
「わ、わかってる」
エンジンがなくても、お手軽でも、道路に出れば車両扱いになる。22インチのミニサイクルで爆走しそうなバディに、釘を刺すのは忘れていなかった。
殺害者のロッカバイ・ベイビー 栗岡志百 @kurioka
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