8話 取引はいかが
式見にとって、銃口を眼前に突きつけられて動じない人間は初めてではなかった。
クスリでやられているやつがそれに当たる。
銃や刃物を見ても、脳がそれと認識しないから恐れることがない。銃弾を何発食わせても、平然と反撃してきたやつもいた。
あるいはタフガイ幻想に取り憑かれた向こう見ず。己をポジティブに見るのは結構だが、結末はハッピーエンドとはいかない。
商品の回収作業中に突然やってきた、タトゥーの切れ長目つきの長身はそのどちらでもなかった。銃口を見ても、眉ひとつ動かすことがない。銃のスライドをあっさり押さえ込まれ、式見は意識を飛ばされた。
しかしこれで、思わぬ収穫があった。トイレで目覚めたのは最悪だったが、尾形の素の姿を観察することができた。
先に目覚めていた尾形は、
「なんだ、眼鏡かよ」
ひとの必需品を壊して気にかけもしない。ドアをこじあけると、さっさと出ていった。
これだけなら単なる不調法者とできた。
尾形の足音は一階にとどまったまま、上階の加勢に行く気配がない。
不審に思った式見は、トイレから出ようとした足を止めた。そこに上階から駆け下りてくる足音。下りてきたのは声からして、店員と小柄な女で、外へと走り出していった。
続いて出た足音は一階のフロアから。尾形が追いかけたようだ。式見は今度こそトイレの外に出た。
尾形がふたりを追ったのは、通報をはばむための当然の行動だ。しかし、なぜ家を出る前におさえようとしなかったのか?
この家屋に裏口はない。玄関ドアの前で立ちふさがれば簡単だ。そう考えると、しなかったのではなく、できなかったように思えた。
尾形には、暴力が必要な場面になると消極的になる傾向があった。
組織が必要とするのは腕力だけではないから、それはまあ構わない。特技によって重用もされれば、使い捨ての消耗品あつかいになるのも承知のはずだ。
問題なのは、排除しかないケースだったとき。尾形が暴力を避けようとする理由を知る必要がある。
だから式見は今回の仕事に、回収以外の目的があることを言わなかった。知らなければ回避するための準備をすることもできない。
公衆電話にむかった店員たちを尾形はどうするか——。
確かめるべく、式見も急いで外に出た。品物の運び出しを優先すべきか迷ったが、ポケベルで回収の応援をよべばいいと考えた。
組織でトラブルが起きたとき、いつも対処してきた自負がある。今回も問題ない。
二階に集めた回収係を〝静かに〟させると、リウは一階フロアを確かめた。
トイレに閉じ込めた式見と尾形の姿が消えていたのは、予想の範囲内だった。
建物内はまだ空き家同然で、テープやロープに代わるものがない。閉じ込めただけで見張りもいなければ、ダウンさせただけの二人が目覚めたあとのことは目に見えていた。
とにかく、エリサを追って一足先に飛び出していったネヴァを追いかける。片腕が使えない状態の彼女が、式見たちと対峙する事態は防ぎたかった。
その前に運搬手段を潰しておく。こんなときもナイフがあると便利だ。
*
眼鏡を壊された式見は、細めた目をこらした。
長身タトゥーのウエストに銀バッチを見つけて、棘のある台詞を送る。
「タイヤに切り込みとかガキのイタズラみたいなことするんだな、南区のお巡りさんは」
やっと都合をつけた商品を運ぶ足までもが断たれた。
こいつをリクルートする文句を一瞬でも考えた自分が腹立たしかった。
麻薬や潜入にあたる警官が、こちら側に潜り込むために、いかにもな格好をしてくることは常套の手段だ。袖を折って見せているタトゥーや、目尻にある傷痕で、見誤るようなことはない。
まとう空気に自分たちと同じものを感じたからなのだが……。
あり得ないぐらいのミスを重ねていた。商品の保管場所に、取引を売り込んできた組織からの紹介物件を鵜呑みにしていた。土地鑑のない場所なのに下見を怠った。
挽回の策が見つからない——
「手下も連れんと、ひとりでこんなとこまでついてきてる。手詰まりになって、動きようがなくなった?」
小さな警官が図星をついた。
ポケベルで応援を呼んだものの、もう取引時刻に間に合う見込みはない。時間に間に合わなければ、息子の不手際に苛立っているガリードからの制裁もありえる。
始末されるより待遇を下げられることのほうが、式見には我慢ならなかった。
いままで蹴落としてきた連中からの視線には耐えられない。
クドーは、相方の袖をつまんで引っぱった。頭ひとつ身長が違うリウへ、身を屈めてほしいの合図。
式見から視線を外さないままリウが腰を折る。近づいた耳元にささやいた。
「取引もちかけてみたいねんけど、どう思う?」
「ん」
即答だった。リウも考えていたらしい。
「なら、もうちょっと尾形を寝かしといてくれる?」
目を覚ました尾形が、小さくうめきながら身じろぎしていた。尾形が聞けば、十中八九邪魔してくる。かといって尾形の見張りにリウを残し、式見とふたりだけで話す危険も避けたかった。
リウが尾形の鳩尾に蹴り下げをいれた。加減していても、少しだけ気の毒になった。
「提案があるんやけど」
クドーは、眼鏡をなくした式見にむけ、両手を広げゆっくり近づく。実力行使はしないのサイン。三メートルほどの距離をおいてとまった。
「うちの分署のボス、フレキシブル思考な人でな。逃亡はかるより、最終的にはええ結果があるかもしれへん。応援の警官がくる前に、あたしに伝えることない?」
「時間がない。ストレートに言え」
「取引せえへん? 組織に忠誠つくしたいんやったら無理強いせんけど、あんたらの取引は時間厳守の命懸けなんやろ? いまの状況で間に合うん?」
クドーは交渉相手に響く言葉を探す。
見るからに安物な式見のスーツジャケットは、業者を装うための仮装だ。
襟足がきれいなシルエットを描くワイシャツや、目立たないが高級ブランドロゴのパターンがあるネクタイが、式見の本来のスタイルだと読んだ。
ブラック生地に小さな蜂が幾何学的に配置された独特のネクタイデザイン——洗練されながらも人とは違うデザインは、仕事に芸術性をもち、こだわりやプライドの表れのように思える。
なのでクドーは、敬称をつけて訊ねた。
「式見さんやったら予見できるはずや。取引相手をうちのボスの方がようない?」
式見が、岩の向こうを見透かそうとするような眼差しを見せる。
「夜夜中だぞ。分署長がこんな時刻に応えられるのか?」
「ミナミ分署のワーカーホリック・チャンプやからな。オフの時間でもプライベート電話で喜んで受けてくれる。分署の外での付き合いを欠かさへんのは、他の人間がもってへん情報と人脈こそ強みになると思てるからや。式見さんの要望に応えるコネもあるかもな」
式見の姿は、自動販売機の明かりで逆光になっている。相手の表情が読めないまま、クドーは続けた。
「式見さんが欲しいもんを選んだらええ。身の安全やったらミナミ分署が応えることができる。式見さんが出すもんによるけど」
「情報を貢ぎ物に警察に膝を折れ、と?」
「屈服とちゃう。うちのボスとの駆け引きにチャレンジしてみぃへんかて訊いてるんや。そういうゲームは得意そうに見えるけど?」
「おだてるのがうまいな」
街灯のあかりが届くところに式見が出てきた。
目を細めているのは、警戒や軽蔑の感情のあらわれか、単に眼鏡がないせいか……
「で、返答は? こっちはどっちでもええで?」
どっちでもよくはなくても弱気は見せられなかった。ほかに出せる取引材料がない。
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