7話 溺愛の深遠
頑強な大型門扉が揺らされた金属音に、エリサがびくりとして顔をあげた。
「いまの……?」
「驚かしてごめん。事情はあとで説明する。それより救急車よんでくるから」
「ううん、大丈夫」首を横にふった。
「初めてじゃないの。落ち着いてき……!」
周囲を見まわした先、のびている尾形を見つけて、ぎょっとなった。
「死んで……ないよね?」
「うん」と答えたものの、クドーもいささか心配だった。
「やりすぎたんちゃう? 覆面警官て言うてたの、たぶんほんまやで?」
尾形を蹴り二本でダウンさせた本人、リウを見上げた。
「頭は避けた」
「そ、そやったな……」
駆けつけたリウから見れば、暴行の最中にしか見えなかっただろう。緊急措置の報告書が通りますように……。
「エリサ? よかった……って、怪我したの⁉︎」
リウと二手にわかれてエリサを探していたネヴァが追いついてきた。路上に座ったままでいるエリサの様子に、息を切らせて走り寄った。
「ネヴァは大騒ぎしすぎ。いつものやつだよ。きついの久々だったから、ちょっと参ったけど、もう平気」
「いつもあるんやったら平気やないやろ?」
「説明がむずかしいんだけど、子どもの頃から、ちょっとね。通院はしたけど、あんまよくなんなくて」
ぼかしたエリサにそれ以上は訊けない。
「平気だと言えてるうちに病院に行こう。ちゃんと診てもらおうよ」
「あなたも行くべきだ」
説得にかかったネヴァ本人には、リウが受診をすすめた。
クドーは、エリサと同時につめよる。
「怪我してるの⁉︎」「怪我したん⁉︎」
余計なことを言うなとばかりに、リウに眉をしかめた。
「こんなのは怪我のうちにイっ……!」
リウに左腕を軽くなでられると悶絶した。
「もう! 自分の心配しなよ」クドーに向きなおり、
「このまま病院つれてっていいよね?」
「頼んでええかな?」
「付き添ってもらうより、早く家を使えるようにしてくれるほうが助かるな」
「協力、ありがと。むこうの長堀通りに出たらタクシーつかまえやすいから。
ついたら南方面分署に、診てもらう病院の電話いれてほしいんや」
クドーが名刺を渡す横で、リウが財布から札を抜き出した。
エリサに渡そうとすると、
「持ち合わせはある」
ネヴァがリウの手をつっけんどんに押し返した。
「借りをつくりたない——っていうより、警官と馴れ合うんがイヤ?」
「職業柄」と続けなくても伝わった。正体を垣間みせる目を数瞬だけみせた。
「気分悪うしたんなら、ごめん。けど、相方がタクシー代出そうとしたんは、お詫びの意味もあってのことやから。細かいことは言われへんけど」
覆面警官の暴走にエリサを巻き込んだことは表向き。相方の厚意を無下にしてほしくなかった。
通じたのか、ネヴァが渋面のまま受けとった。
ネヴァのスタンダードは、高価でなくとも安価でもない、まわりに埋没する地味なスーツだった。
金の装飾品は、どこにいっても現金に換えられる便利さ以外の価値を見出せないし、タトゥーも趣味に合わない。
いわゆる〝らしい〟ファッションを遠ざけているのは趣味の部分が大きいが、警察と距離をおくために、普段は駐車違反にすら気をつけていた。
それが珈琲店での反撃では、過剰防衛ととられるぐらいのことをやった。
普段の慎重さを吹き飛ばすほどに、エリサには過保護な反応をしてしまうのは、毎度のことだった。
エリサの両親——正確にはエメリナが亡くなったあと、ネヴァは眠れなくなった。
仕事に支障は出ていないから不眠症だとは思っていない。エリサにくらべれば楽なものだ。
本人が話さないので言い切れないが、エリサは再体験症状に悩まされている。過去が現在に侵入して、何度も同じ苦しみに苛まれているようだった。
不眠を楽だと感じるのは、エリサへの罪悪感——自罰で、何もないほうが苦しくなっただろう。
ネヴァは、タクシーをつかまえようと幹線道路にむかって右手をあげてアピールする、エリサをぼんやり見た。
片腕におさまってしまうほど小さかったエリサの成長した姿がそこにある。
記憶の中だけにある人と、その姿が重なった。初めて会った頃のエメリナを見ているようだった。
エリサとネヴァを病院へと送り出したあと、クドーは気になっていたことを訊いた。
「エリサの家にようけおった被疑者は、どないしてきたん?」
リウの援護をうけて飛び出してきたものの、クドーはまだ分署に応援を頼んでいなかった。あの人数をリウはどうやって拘束してきたのか。
「…………」視線が微妙にそれた。
「そのまま、おいてきたん?」
「尾形の姿が消えていたから」
それで被疑者ほっぽりだして駆けつけたのか。おかげで助かったのだけれど。
「分署に電話するのこれからやけど、気ぃ重いなあ」
「やれることは最大限したと思うが?」
「や、悪モンを根こそぎ叩くために、末端の現場をないがしろにするないう啖呵、尾形に切ってしもたから……。エリサを助けようとした間に、被疑者から証拠品まで、まるっとなくなってたら、やっぱり責められるやん?」
「待て」
公衆電話へと歩きかけて止められた。リウが背後を振り向いていた。
「尾形を始末して、仕事を仕上げるのはあきらめろ。回収車も使えなくした」
リウが誰もいない夜道にむかって声をかけた。クドーでなかったら心配になる言動だ。
待つこと数秒。事務センター横にある自販機の影から、安物スーツの男が現れた。
逃げずに姿を現したということは、なんらかの目的があるはず。
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