恐れず勇往邁進せよ!我が新世界「黒歴史」に

ミジンコ

恐れず勇往邁進せよ!我が「黒歴史」を

これからお話しするわたしの黒歴史は、心霊現象さながらの恐ろしい話です。


 わたしは名を名乗るほどの者ではございません。

 これと言って長所も特技も、もちろん才能もなく、この歳まで特別褒められたこともない、まるで場末に長い年月、壁に張り付いたままのさび付いた古看板のような存在、それがわたしなのです。

そんなわたしに今更の、黒歴史が始まったってしまいました。

 目立たないけど決して不満などない、けれど清貧をモットーにしているわけでもない。

 朝に昼に晩に、きちんとお飯(めし)をいただければよい、それが理想の生き方でした。

巷よくある夢や希望、明るい未来などまるで書初めのお題みたいな世界など、わたしには必要がないのです。

夢を持つのは人として当然、と仰るそこの方、どうぞわたしなんぞ跨いで通り越し、お進みくださいませ。

 単調な仕事ですが、派遣会社の派遣社員としてチミチミと働きながら賄えてきました。

 これでよい、これがよいのです。

 生まれてからより死ぬ方が近い年齢に達し、残り少ない人生に波風など立たせたくなかったのです。

 しかし、人生ゲームのサイコロは、とんでもないコマへとわたしを誘うのでした。

 

◆不幸な黒歴史が始まりました


始まりは数年前。

 自治体から「がん検診」の書類が送られ、軽い気持ちで検査を受けたのが始まりです。

 そこで思わぬ診断が出されました。

がんの疑いです。

 一瞬意識が無くなり、いまでも記憶に靄がかかっています。

 病院からの帰り道、当初お楽しみだったランチなど吹っ飛んでいました。

 さらに大学病院で再検査した結果、ステージ1の癌と言い渡されました。

 そのとき、幼い頃からのどうしょうもないダジャレが思い浮かびました。

 「が~ん」

 冗談でも言わないと、気持ちが保てません。

「ステージ1だったので、不幸中の幸いですよ。」

 医師は、慰めてくれました。

 早々これからの治療計画を話し合いました。もちろん、入院と手術も予定されます。

 何より、治療費など諸々の費用がかかるが心配でした。

無難な我が生活に一転、暗雲がたちこめました。そして黒歴史は始まったのです。

 「しゃしゃしゃしゃしゃ~!!」

 卑しい笑い声に目を覚ましました。

 時計を見るとまだ午前三時。

 「この声はどこから・・・?」

 「おい!ぬけさく!ここだ」

 わたしのこと?

 失礼な。

コソ泥にしてはお前こそぬけさくだ。

はたまた部屋に忍び込んだ、自意識過剰な変態か。

その不快な声は、ヘリウムガスを吸い込んだような、妖怪じみた声でした。

 いったいどこに潜んでいるのだろう?

 「ぬけさく!お前の体内だ。」

 何とその声は、わたしの体内に潜伏した何者かが発していたのです。

 「ぬけさく、この度は可哀そうになあ。」

 何が「この度は」だ、人ばかにして。

重い病気になり、これからどうしようか人が悩んでいればいい気になって!

 「失礼な、ぬけさくとは!!」

 「人間塞翁が馬。一寸先は闇。人の不幸は蜜の味。弱り目に祟り目。油断大敵。傷口に塩!」

 「・・・・・」

「よく聞け、思い出せ、このぬけさくよ」

 「・・・・・」

「いつか生命保険の特約を、三大疾病特約からがん特約に変えようか悩んでいたな。」

 はたと気付いた。そうだ、そんなこともあった。

 結局三大疾病特約のままなのだ。

 今思えば実にうかつだった。

 「しかもおのれの欲望を満たすたび定額貯金を崩し、サイフはすっかり〝ぺえぺえ〝だろう。」

 パソコンが古くなったから買い替えたのは必要不可欠です。

「巷飲食店で目がくらみ、体脂肪を増やしただろう、この大食漢め。」

珍しい鹿肉バーガーを頬張ったとか、アジフライ定食に舌鼓を打つとかの程度です。

 それ以来、苦しみ戸惑い悩んでいる度、事あるごとに神出鬼没、ひと馬鹿にしたようなせせら笑いをしながら現れ、人をぬけさく呼ばわりするのです。

 言われっ放しでは悔しいまま。

ならばわたしももこいつを「黒ジャック」と呼ぶことにしました。

 何故か、わたしと黒ジャックの鬱陶しい同居生活が始まったのです。

 しかし黒ジャックの姿は見えません。

 声だけです。


◆契約終了という悪夢


 手術の前に、癌そのものを小さくするための投薬治療が始まりました。

 が、治療を始めたばかりのタイミング、あろうことかコロナに感染してしまい宿泊療養となりました。

 タクシーで宿泊施設に着くと、施設の向こう側に墓石が並んでいるのが見えました。

 そのあたりは寺院が多いようです。

 さりとて特別何も起こりませんでした。何しろ静かな周辺、毎晩熟睡でした。

 療養が終わり、勤務先の責任者にまずお詫びを伝え、投薬治療のため1日休暇をいただく許可を願い出ました。

 今回コロナ感染が判明したのは、治療前に発熱外来を訪れて、結局その日の投薬は中止となったのです。

 これに対し、コロナで数日休んだうえに治療のため休みたいとの申し出に、ひどく文句を言われてしまいました。

 ―しゃしゃしゃしゃしゃ~

 やはり現れたか。

 コロナと投薬治療の後遺症、どちらがつらいか、実はこうした職場のストレスが一番つらいのです。

意地悪黒ジャックはしつこく笑い続けます。

 ―しゃしゃしゃしゃしゃ~

 わたしも猛反撃します。

―この鬼畜め!あご、外れろ!苦しめ!

 こんな風に黒ジャックとぐしゃぐしゃしながらも月日は経ち、やがて年度末となりました。するとこの仕事の目途がついたということで、契約終了を言い渡されたのです。

 しゃしゃしゃしゃしゃ~・・・

 黒ジャックは涙を流すほど、愉快そうに笑い続けました。

 年度が変わる前、何とか次の仕事が決まりましたが、そこも二ヶ月で〝この仕事の目途がついた〝ということで契約終了。

 しばらく何もしない日が続きました。


◆貯金取り崩し地獄


 いくつもの求人サイトでエントリーを重ねた結果、ようやく新しい仕事に就くことができました。

 しかし給料はすぐにはもらえません。

管理費やカードの支払い日が迫ります。

入院と手術はすでに済んでいました。

入院の準備資金に買い取りサービスを利用、約二万円をゲットできたので、キャスター付きスーツケースなどを購入しました。

こうして、なけなしの貯金を崩したり、貴金属を売ったりの生活が続きました。

がんの特約はないのですが、放射線治療に保険が付きました。

無職の間に放射線治療に通い、それが済んでから先の入院、手術、治療費を申請するので、保険金の受け取りはまだ先でした。

その代わり火災保険を解約し、月々の支払いが安い保険に変更しました。

解約金のお金を受け取ったのです。


◆借金地獄に足を踏み入れました


火の車とはよく言ったもの。

一日九回悩んだ末、遠い親戚から借金をしたのです。

こんなときこそ黒ジャックの大笑い。

それ見たことか。小さな無駄遣いの積み重ねがこの有様だ。

黒ジャックは笑いながら罵りました。

相変わらず、鹿肉バーガーやアジフライ定食のことを突っついてきます。

「しつこい奴めっ」

何とか次の仕事が決まり、生活が戻りつつありましたが、放射線治療の次の新たな投薬治療が始まりました。

時給は割と良かったのですが、投薬治療は月一回、これを計十四回行います。

これが結構家計を苦しめました。


◆行き着いたら支払い滞り地獄


限度額認定を使っても、時給が少し上がった位では月々の支払いに足りません。

治療費だけでなく、物価がいつの間にか上がっていました。

毎日、おかず一品の弁当を引っ提げて職場に通うも、この仕事も契約終了となりました。

あと六回残る治療。

どうすれば良いの?

―しゃしゃしゃしゃしゃ~

黒ジャック登場です。


◆毒食わば皿までも


 鬱陶しい黒ジャックとの同居も、慣れっこになりました。

 日に日に食べるものが少量になってきました。実際、食欲も落ちていましたが。

 喜んでよいのか、太り気味の体形が十数年前のMサイズに戻りました。

 何とかハローワークの受給で、爪に火を点すような生活を続けました。

 親戚からの借金も返すのが困難で、もう少し待ってもらうことにしました。

 ある日、ふと気づいたのです。

 カードローンも考えましたが、クレジットカードのキャッシングはどうだろう。

 管理費も滞りがちとなり、カードの支払いを毎回分割にしていました。

 またもや一日九回悩んだ末、キャッシングの利用枠を設定しました。

 こわごわ、ウェブから申し込みました。

 限度額は十万円、月五千円のリボ払い。

 何とか審査が通り、生まれて初めてのキャッシングを利用したときは、怖さと嬉しさで心臓バクバクでした。

 久しぶりの万札を手にし、思わず臭いを嗅いでしまいました。

 それは禁断の果実を味わうかの如く。

 四六時中せせら笑う黒ジャックは、さらに声高に笑いはじめました。

 「どうだ、このぬけさく。まるで坂道を転がるような人生だな。」

 しかし、黒ジャックの存在を冷静に受け止めるようになったのです。

 黒ジャックはおのれの潜在意識ではないか。

 日に三度のお飯(めし)が食べられたらそれでよい、実にみみっちい固定概念の中、まこと安穏すぎる己への戒め。

 何より、危機管理の足りなさ。

才知、小才、機転、臨機応変、目端の良さ、そういったスマートさの欠如。

 無難ばかりを追い、波風を立たせない、とげとげしさがない、それが美徳と思ったら大間違い。

 黒ジャックの言う通り、今まで本当にぬけさくでした。

 もっと悪知恵を働かせよ。

要領よくなれ。

狡賢い度胸を持て。

 経済、流行の最先端を行く者は皆、金の匂いを漂わせ、怪しい影を背負って闊歩しているではないか。

 「やっと気づいたな。」

 珍しく黒ジャックはやさしく言いました。

 その反面、心の片隅には三度のお飯(めし)を静かに味わう自分を懐かしく思いました。

 「もう、戻れない。」

 純一無雑な自分には戻れないのです。

 しかし棘が無ければ這い上がれません。

 「シャッキンシャカ、シャッキンシャカ、シャッキンシャカ、シャッキンシャカ、シャッキンシャカ、シャッキンシャカ・・・」

 悟ったわたしは歌い始めました。

 「シャカ、シャカ、シャカ、シャカ・・・」

 「そうか、悟ったか」

 黒ジャックは満足そうでした。

 「なあぬけさくよ。良い人ぶるのはよそうじゃないか。これからは獣の匂いのする人生を歩こうはないか。」

わたしと黒ジャックは、心地良く、そして静かに踊りはじめました。

 どうせなら、雄々しく黒歴史を生きてやろうじゃないか。

 本当はこの黒ジャックがいて、寂しさを忘れることができたのです。

 もしかしたら、黒ジャックは亡くなった母ではないかとも感じました。

 けなされると却って鼓舞され、考えがポジティブになるのです。

 そしていつの間にか憎き黒ジャックに対し、感謝の気持ちが芽生えました。

 ―生活は苦しいが、黒ジャックのおかげで前に進むことができた。

 何度転んでも、ただでは起きない、何かを掴んで起きてみせる。

「ありがとう。」

 もう怖くありません。

 リアル黒歴史の始まりです。

残り少ない人生、そこには黒いカーペットが用意されていたのです。


                               完

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