部屋の片づけを対価に彼女といちゃいちゃする権利を得る話

日崎アユム/丹羽夏子

いいんだ……おれの愛はそんなことで萎えるほど小さくないから……

 恋人の住所をゲットした。これは人生でそうそうあることではない。住所とはプライバシーの最たるものである。特に女性にとっては重大な情報だろう。普段のデートの都合で最寄り駅までは知っていたが、ピンポイントにマンション名と部屋番号まで教えてもらうには強固な信頼関係が必要だ。自分はストーカーにはならないと確信できる程度には信用されているのだ。


『今からうちに来れる? お願いしたいことがあるんだけど(頭を下げる絵文字)(汗の絵文字)』


『(いいよ!のスタンプ)』


『(ありがとう!のスタンプ)』

『住所教えるからあとはGoogleマップ見て自力で来て』

『東京都江東区〇〇町××2-7 レジデンス大木403号室』


『ちょっとシャワー浴びてから行く

30分くらいしたら出る

そっちつくの1時間後くらいになるかも』


『(OKのスタンプ)』

『(待ってるねのスタンプ)』


 というわけで、あきとは全身をくまなく洗い、ひげを剃り、メンズコスメで肌をしっとり整えて家を飛び出した。


 土曜の午後の現在、東京メトロ東西線は平日からは想像できないほどすいている。座席に座ることができたくらいだ。通勤ラッシュの時には乗車率が200%を超えるらしいが、今日は窓からディズニーランドのシンデレラ城が見えた。


 まさか彼女の家に招待される日が来ようとは。しかもこんな唐突に、前触れなくいきなり呼び出された。よほど会いたかったのだろう。この上なく自分のことが恋しくなったに違いない。


 だが、不可解な点がある。


 なぜ家に直接来いと言っているのか。駅まで迎えに来てくれるというわけでもないのか。家から出られない理由でもあるのだろうか。風邪をひいたのだろうか。数年前から世間で流行っている感染症は、政府が何と言おうともウイルスがこの世から根絶されたわけではない。職場でうつされてしまったのかもしれない。それで家から動けないのではないか。そうするとポカリスエットか何かを買っていったほうがいいのではないか。いやいや、何も言われていないのに看病の準備をするのは気が早すぎる。同じコンビニに寄るにしてもスイーツを手土産にしたほうがいい。喉越しの良いヨーグルトやプリンがいいだろう。彼女はミルクプリンが大好きだ。杏仁豆腐や牛乳寒天のような白くてぷるぷるしたものが好きらしい。白くてぷるぷるしているのは彼女の頬である。あーかじりつきたい。そんなことを思いながら、駅の改札を出てすぐのコンビニに寄る。


 Googleマップが確かなら、駅から彼女の家までは徒歩十二分。さほど遠くはないが、夜遅くなると治安が少し心配だ。これからはデートの時間を考えないといけない。そうだ、今度からはディナーの後はうちに泊まってもらおう。あるいは、今日こうして住所を教えてもらったのだから、家まで送るとか。


 マンションの玄関ホールに立ち、彼女の部屋番号を入力して、インターホンに向かって笑顔を見せた。


「ゆーいちゃーん!」


 少し沈黙。だいたい五秒くらい。


『あきとくん?』


 いとしのゆいちゃんの声!


「はい!」

『今開けるね。上がってきて』


 ガラスの戸が開き、中に入れた。エレベーターが目の前に止まっている。

 このエレベーターで四階まで上がれば彼女に会える。


 エレベーターの動きがとろくさい。だが悪くはない。車椅子ユーザーのために取り付けられた鏡で髪形と服装の最終チェックだ。そうこうしているうちに四階につく。気合を入れて彼女の部屋の真正面へ。改めてインターホンを押す。


「ゆいちゃんっ!」

『鍵開けてあるから入って』

「はーい!」


 ドアを開けて、絶句した。


 玄関のすぐそこまで、通販サイトの段ボール箱が積み上げられていた。


「………………」


 段ボールの向こうから、彼女の声がする。


「間違えてティッシュ十セット頼んじゃって……五箱で一パックで、二パックで一セットを十セットね……。それで百箱来た……。段ボールは二セットずつ五箱で……中身はティッシュ百箱なの」

「ええ……」


 あきとは玄関に立ちすくんだ。


 玄関の床も靴で埋め尽くされていた。パンプスが二足、ミュールが一足、スニーカーが一足、クロックスが一足――一人暮らしのマンションなので、狭い玄関だ。そこにこれだけ靴が散乱しているとなると足の踏み場がない。下駄箱が半開きなので、そこにも何かが詰まっているようである。


 ティッシュ五箱二組十セットが入った段ボールを、せっせと玄関の床に移動させる。中はティッシュなので軽いが、何分置き場がない。狭い空間で身をよじって動かすのは結構大変であった。

 これでこの部屋から出られなくなった。


 ティッシュの段ボール五箱を退けると、玄関からリビングに通じる通路に四十五リットルのごみ袋がむっつ並んでいる。どれも衣類と梱包資材のようで異臭を放っているということはないが、異様な光景ではあった。


 そのごみ袋を掻き分けて前進する。


 リビングの手前に雑誌が積まれている。表紙を見ると、2019年になっている。五年前である。今時紙の雑誌とは驚きだ。いずれにせよ五年以上前からファッション雑誌を積んでいることを思うとなかなかインパクトがある。


 リビングにたどりついた。


 リビングにも大量の段ボールが積まれていた。大小さまざまな上にサイトもばらばらである。封筒型の荷物も放置されている。

 通販で頼んだありとあらゆるものが開封されずに積まれている。


「ええ…………」


 段ボールの山の真ん中に、ルームウェア姿のゆいが正座していた。すっぴんの頬が赤らんでいる。


「あきとくん……」

「うん……」

「あきとくんの部屋、綺麗だったから……こういうの得意かな、って思って……」

「……うん……」


 ドン引きして立ち尽くすあきとの両足に、ゆいがすがりついた。


「お願い! お願いあきとくん、片づけて! わたしこのままじゃ週明け会社に着ていくものがないの! ファンデも落として割っちゃって化粧もできないの!」

「まじか……」


 よくよく見てみれば段ボールの山の向こう側にあるカーテンレールにしわしわの洗濯物が吊るされている。とてもではないが一日分とは思えない。ピンク色の可愛い下着までさらけ出して、すごいな、という感想しか出てこない。


「よくここまで積んだね……」


 ゆいが「だってえ」と泣きそうな声を出す。


「仕事の後段ボール開封する気起きなくない? 休みの日にまとめて開けようと思ってたの」

「ゆいちゃんそんな何年も休みなかったっけ?」

「段ボールを開けると段ボールのごみも出るし……」

「それはそう」

「収納もないから、段ボールに出し入れしてて……」

「ニトリか無印で買おうか……」

「買ってもどこに何をしまうか決められない……」

「ホームセンターででかい衣装ケース買ってきて全部入れろよ」

「あきとくんがあきとくんなのにわたしに命令形で話す!」

「いやもう、ほんとに、この部屋を見て、片づけろよ、以外の言葉が浮かぶかよ……」


 呆れ果てたあきとの膝に、ゆいが頬を寄せる。


「わたしのこと、嫌いになる……?」


 卑怯だ。


「ならないけど……っ」

「じゃあ片づけよう、一緒に」

「そこは、片づけてくださいお願いします、じゃないかな……っ」


 あきとは溜息をついた後、「わかった、わかったよ」と言った。


「とりあえず、今すぐ、段ボールを全部開けよう。で、出てきたものの数と大きさをチェックして、通販でちょうどいいサイズの収納ケースを買おう。翌日配送便で持ってきてもらって、明日ソッコーしまおう」

「うん……!」


 あきとの足から離れて、ゆいが両手の指と指とを組み合わせる。


「ああ、頼りになる彼氏で嬉しいなあ。あきとくん、いい旦那様になるねっ」

「いや、おれは今かなり自分の人生設計を見直そうと思った」

「えーん、えーん」


 それでも嫌いになれないから仕方がない。


 とにかく、あきとは宣言どおり箱を開け始めた。ゆいが「がんばれっ、がんばれっ」と見当違いのことを言っている。お前だよ。


「このへん資源ごみいつ? 段ボールまとめとくから出しなよ」

「いつだったかな。たぶん木曜日? 最後に出したのいつだっけ。キッチンのシンク下の収納には瓶と缶が……」

「そっか……じゃあおれ水曜日の夜ここに泊まりに来て木曜日の朝に出してから出勤しようかな……」


 その前に自治体の公式サイトを見て本当にこの地域の資源ごみの日が木曜日なのか確認したほうがよさそうである。


「やったーあきとくんお泊まり! ゆい嬉しい! いっぱいいちゃいちゃしようね!」


 悔しい。そう言われると抗えない。ゆいとのいちゃいちゃは何にも替えがたい。それこそ何時間か清掃と整理整頓に費やした対価としていちゃいちゃできるのならがんばれると思うほどだ。


「まあ、今日収納ケース注文して明日届いて、その明日届いた収納ケースも開封して中に詰めてこの部屋のどこかにある収納にしまうところまでたぶん全部おれ」

「察しがいい!」

「こいつ……」

「じゃあ今日お泊まりね! 駅前のユニクロでパンツ買おう!」


 そこまで準備すると露骨すぎるかと思って控えていたのが全部杞憂だった。準備してくればよかった。ドラッグストアも探す必要がある。


 しかし仕方がない。

 片づけて清潔になったゆいちゃんの部屋でゆいちゃんといちゃいちゃしたい……!




 ――この後、六時間かけて片づけたのち、荷物の山に埋もれて存在感を消していたベッドが発掘できたので、めちゃくちゃセックスした。




<おわり>





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