箱入り娘の後日談

石田空

悲劇の道は善意で舗装されている

 昔むかし、とある王国には鳥カゴがありました。

 鳥カゴと言っても、一般庶民の住む家の三倍ほどの広さな上、冷暖房完備。魔科学の神髄をこれほどまでにも使い込んだものは存在しませんでした。

 そこには数十年に一度、女の子が閉じ込められていました。

 なんでも鳥カゴの乙女と呼ばれる女の子がいることで、とある王国全域には結界が張り巡らされます。外の国では戦争や災害があったとしても、鳥カゴの乙女に守られたこの国は平和です。

 中には女の子の存在を知り「可哀想だ」と言う人もいましたが。存在を知っているほとんどの人たちは口を噤んでしまいました。

 だって、その女の子は……。


****


 とある王国は魔科学により発展しました。

 錬金術による無から有をつくる奇跡に、大昔から火、水、風、土の四大元素を操る奇跡を併せ持って、奇跡を量産する技術を魔科学と言います。

 その魔科学を研究し、国内に普及する人々のことは錬金術師と言いました。

 その国の錬金術師の長であるルキーノは柔らかな絨毯の上を闊歩して、鳥カゴに向かいました。

 鳥カゴの乙女の顔を見にです。


「シルヴィア、僕だよ。元気に過ごしていたかい?」

「暇よ。暇ヒマひま。ひーまー。やることがなくって飽き飽きしちゃってたのよ」


 シルヴィアと呼ばれた鳥カゴの乙女は、ゴロンと鳥カゴの中で転がっていました。

 鳥カゴと言っても、鍵はかかっていません。もちろん見張りの騎士はいますが、皆彼女の行動を拘束なんかしません。

 というよりも、彼女のことを嫌いぬいて、誰もまともに話をしようとしなかったのです。

 鳥カゴの乙女は、この王国における結界を維持するための人柱です。

 最初は皆、鳥カゴに閉じ込められた彼女を気の毒がり、メイドは彼女を慰めるために花を、料理人は彼女のためにごちそうを、騎士たちは彼女の暇つぶしのために武勇伝を語りに、次々と鳥カゴを訪れて彼女の寂しさを紛れさせようとしたのですが。

 やってきたメイドは花を投げつけられ、花瓶の水はかけられました。

 料理は「これキライ」と肉と魚以外は全部捨てられてしまいました。

 騎士たちに至っては「あんたたちって鍛えてるんでしょう? ここにひとりで閉じ込められて暇しているから相手してよ」と殴って来る彼女の相手をしなくてはいけませんでした。

 鳥カゴに閉じ込められているから、きっと可憐で可哀想な女の子なのだろうと思っていた皆は、次々と逃げ出してしまったのです。

 生まれたときから、能力が消えるまで鳥カゴの中で生活することが決まっていたのですから、彼女の根性が捻じ曲がるのは仕方がないのかもしれません。

 同情されるのが嫌だったから突っぱねたのかもしれません。

 ですが、彼女の乱暴な言動のせいで、どんどん鳥カゴに人は訪れなくなり、とうとう彼女はひとりぼっちになってしまったのです。

 服の世話や食事の世話に向かうメイドたちは、毎日毎日泣きながら帰って来るため、いつしかシルヴィアの世話係は罰ゲームの別称になってしまいました。

 彼女の元を訪れた人々は、鳥カゴを維持している王国錬金術団に次々と苦情を言いました。


「彼女のわがままは度を超している」

「もう彼女の世話に行きたくない。これならまだ山猿の相手をしていたほうがマシ」

「騎士たちがまともに見張りをしなくなってしまった。もしあのわがまま娘が万が一鳥カゴから逃げ出したらどうするんだ」


 皆は皆、最初は鳥カゴの維持のための人柱なのだから、丁重に扱おうと努力していたのですが、彼女に近付いた人々は次々と疲れ果てて罵倒ばかり言うようになるのですから悪影響です。

 結果として、錬金術団長のルキーノが、彼女の食事の世話と世間話の相手に出かけるようになったのです。

 彼女は口が悪く態度が悪く、その上すぐに手も出て足も出るのですから、なるほどわがまま娘と言われ、口の悪いものであったのなら「箱入りバカ娘」と揶揄しても仕方がありませんでした。最初はルキーノも、へそを曲げた彼女に食事はぶつけられる、なにかの拍子に殴られるとさんざんな目に遭っていましたが、存外ルキーノは我慢強かったのです。


「長はよく、あのバカ娘と付き合えますね?」


 今日も頬に楓のような赤い跡を付けて帰って来たルキーノを、錬金術師たちは恐々と眺めていました。

 それにルキーノは「あはは」と笑います。


「そうだね、実験は必ずしも成功するとは限らないし、失敗したって結果が出るまで時間がかかるから。彼女は野良犬や野良猫を拾ったときと同じように、辛抱強く付き合っていくしかないだろうね」

「鳥カゴの乙女を野良犬野良猫呼ばわりですか?」

「別に馬鹿にしているつもりはないよ? ただ彼女は鳥カゴの乙女になりたくってここに来た訳じゃないだろうから、それについて深く傷ついているんだろうねと思うだけさ」


 野良犬や野良猫は、大概は人間不信から狂暴的になっています。ルキーノからしてみれば、シルヴィアの底意地の悪さの根底は、限りなく人間不信になった素養のせいだろうと踏んでいたのです。

 しかし他の錬金術師たちは、恐々とルキーノに忠告します。


「長、あまり鳥カゴの乙女に感情移入しませんように。あれに近付いた者たちは、皆心身ともに病んでしまいます。今は長が心配です」

「心配してくれてありがとう。僕は大丈夫だから」


 たしかに、一見するとルキーノが一番問題しか起こさないシルヴィアと上手くやっているようには見えるでしょう。

 ですが、わがままなシルヴィアは、感情の底が抜けています。一度与えてしまうと、際限なく求めるということを、一般的な人間感情しか持っていないルキーノには、理解できていませんでした。


****


 そんな中、やる気のない騎士たちの人事異動が起こりました。そこで派遣されてきた新しい騎士は、他の騎士たちとは違い、よくシルヴィアと話をしていました。

 力が強くてシルヴィアの狂暴さに耐えられ、忍耐強くてシルヴィアの口の悪さや態度の悪さにも耐えられ、とうとうシルヴィアは騎士に自分の服の世話まで任せるようになったときには、さすがにルキーノは慌てて飛んできました。


「シルヴィア、さすがに服の世話を騎士にさせるのはよくないよ!」

「だって、彼なんでも私の言うことを聞いてくれるのよ? ルキーノなんて、全部『はいはい』と聞いて、右から左へ受け流すじゃない。彼は違うわ」

「それは……君の言い出すことが、脈絡がないからだよ」

「でもルキーノが欲しいのは、鳥カゴの乙女の私でしょう?」


 ルキーノはずっとシルヴィアの元に通い、彼女を慰められているとそう思っていました。

 わがままだが寂しがりの彼女。承認欲求が満たされない彼女。彼女を鳥カゴの乙女から解放するために、ルキーノはずっと研究を続けていました。

 鳥カゴの乙女に頼らずとも結界を維持する方法。人柱に頼らずに結界が維持できれば、娘を人柱に差し出さなければいけない家族も、一番綺麗な時期を人柱として鳥カゴに閉じ込められる少女たちも、なによりも自由を求めるシルヴィアも、皆を救えると思ったのです。

 ですが、その気持ちはちっともシルヴィアには通じませんでした。

 シルヴィアは言います。


「今いる騎士くん。あの子私のことをずっと褒めてくれるのよ。『シルヴィア様は綺麗』『シルヴィア様は可愛い』『シルヴィア様はすごい』。最初はただのおべんちゃらだと思ったわ。でも、彼本当の本当に私にそう言うのよ。ルキーノや他の連中とは全然違うもの」

「シルヴィア……君、彼に騙されてないかい?」


 今まで、シルヴィアに憐憫を向け、同情して、彼女をなんとかしようとした人たちは大勢いたのです。ですが、全員シルヴィアに切って捨てられてしまいました。

 それがたったひとりの騎士の言葉は鵜呑みにするのはおかしいのです。なによりも、彼女の感情は底が抜けているのですから、一度求めはじめたら際限がない。それに耐えきれる人というのは、果たしてまともな人なのでしょうか。

 それにシルヴィアは鼻で笑います。


「ルキーノには絶対にわからないわ」


 本当の本当に、ルキーノにはわかりませんでした。ただ彼の頭の中で、警鐘は鳴り響きます。

 ……今まで、誰の話もまともに聞かなかったシルヴィアが、騎士の話だけはきちんと聞いているのです。

 彼に悪意がないのだったらまだいいですが。もし騎士がシルヴィアに悪いことを吹き込んだら?

 今まで、どれだけわがままな言動を繰り返していたシルヴィアも、鳥カゴの外に出ようとしなかったのですが、もし可哀想なシルヴィアを外に連れ出そうとするんだったら?

 この国の結界が解けます。

 ルキーノは結界の維持の研究を急がなければいけませんでした。


****


 シルヴィアは生まれたときから、鳥カゴの乙女になることが決められていました。

 彼女は生きているだけで、大量の魔力を生み出します。鳥カゴの乙女は結界の維持のために、魔力が一番豊潤な十代から二十代までの間の二十年近くを鳥カゴの中で生活しないといけません。

 彼女は魔力豊かな錬金術師の家系で育ち、よく本を読みましたが、彼女は残念ながら錬金術師の勉強をするには、魔力が高過ぎて無理でした。

 彼女は鳥カゴに入れられ、広過ぎる家にひとりになったとき、様々な人々が現れました。

 シルヴィアからしてみれば、それらは全て敵に見えていました。


「シルヴィア様の心を和ませるために、花をお持ちしました」

「馬鹿にしているの? 私、花なんか見て喜ぶ人間じゃないわ」


 女は花が好きなんだろうと思い込むメイドに腹を立て、飾られた花瓶から花を床に投げ捨て、花瓶の水を思いっきりメイドにかけました。

 メイドは泣いて逃げ帰りましたが、シルヴィアの心が晴れることはありませんでした。

 続いて料理人がやってきました。


「シルヴィア様のために腕を振るいました」

「これキライ」


 野菜は嫌いだったがために、シルヴィアは肉と魚以外は全部床に捨ててしまいました。

 料理人が背中を丸めてとぼとぼと帰ってしまいましたが、それに胸がすくことはありませんでした。

 次から次へと送り込まれる人々は、皆シルヴィアを懐柔するためのものでしたが、シルヴィアはその人々を次々と追い返してしまいました。

 どうせ皆、外に好きに出られる癖に。

 自分がいなかったら結界を維持できない癖に。

 人のことを人柱だと思っている癖に。

 彼女の癇癪玉に当たった人たちは、女は泣きますし、男は憤ります。それにますます腹を立てて、すっかりと汚れてしまった床を転がり回って暴れますが、彼女の抗議が通ることはありませんでした。

 唯一彼女の愚痴をまともに聞いてくれたのは、錬金術師の中で一番偉いルキーノだけでした。

 彼はニコニコ笑いながらシルヴィアの話を聞いてくれましたが、彼女からしてみると、まるで鏡に話しかけているのと同じ。話をしても、手ごたえなんてありませんでした。

 そんな中です。鳥カゴの警備を行っていた騎士の配置換えが行われました。

 シルヴィアは代々騎士たちから嫌われていました。

 実際、彼女に殴られても殴り返してはいけないのだから、皆手加減のできない細腕の全力なんてずっと受けたくはありません。嫌われても当然だったのですが、シルヴィアは当然わかっていませんでした。

 また嫌われるんだろう。なんで皆怒るんだろう。

 そうシルヴィアは諦めていた中、珍しく屈強でもなければ強そうにも見えない、シルヴィアよりも年下に見える騎士が現れました。


「こんにちは、本日からシルヴィア様の警備にうかがいました、カストと申します! どうぞよろしくお願いします!」


 その少年は、シルヴィアがなにをやってもヘラヘラ笑って許してくれる少年でした。


「あなたまだ子供じゃない。なんで騎士やってるの?」

「口減らしです! うち、六人兄弟なんで、頭のいい兄さんを大学に行かせたり、弟たちを養うためには、僕が外に出るしかなかったんです!」


 カストはヘラヘラ笑っている割には、悲惨な人生を送っていました。

 結界の端のために、結界により弾ききれなかった弱い魔物……それでも獣よりはよっぽど強い……と戦わなかったら畑が守れず、畑が守れなかったら魔物の巣になってしまい、今年の売上も消えてしまうから、女子供でも剣を持って戦わないといけないこと、勉強をしたくても魔物狩りを行わないといけないため、大家族は大概誰かが魔物のせいで死んでいること、家族がバラバラになった家は、村ぐるみで育っていること……。

 それはシルヴィアの全く知らない話でした。


「そんな危険な場所にあなたは住んでいるの?」

「でも水は綺麗ですし、魔物からさえ守り切れば、その年の野菜もおいしいですよ。無事に畑作業が完遂できた年は、皆で豊作のお祝いをして、皆で持ち寄った野菜や卵で大きなオムレツをつくるんです。おいしいですよ」

「へえ…………!」

「でもシルヴィア様もここにいるのは暇ですよね」

「……あなたが外に逃がしてくれたら、私は自由になるんじゃないかしら?」

「ええ? シルヴィア様は外に出て大丈夫なんです?」


 カストはキョトンとした顔をしました。

 鳥カゴの乙女も、しゃべってみればただの普通の女の子であり、村に住んでいるどんな子よりもか弱いなあと思うだけだったが。さすがに鳥カゴの乙女を外に出しては駄目だという話くらいは、世間知らずのまま鳥カゴの乙女の警備についたカストにだってわかったのです。

 しかしシルヴィアは囁きます。


「うちの錬金術師、私なしで結界を維持しようとしているもの。人柱がお役目ごめんになったら、私いらなくなっちゃうもの。ねえ、私を逃がしてよ」


 彼女は嘘はついていません。ですが、本当のことも言っていません。

 ルキーノは彼女が自由になれるように、未来にこれ以上人柱の被害が出ないように、鳥カゴの乙女なしで結界を維持できる方法を研究していましたが、まだ研究は完成していないのです。

 しかしシルヴィアはルキーノの話を、斜に構えて聞いていました。

 自分なしで結界を維持できるようにするってことは、自分を捨てるってことじゃないか、そんなのは許さない。

 だから、自分に優しくしてくれるカストと逃げようと思い立ったのです。

 それにカストは困った顔をします。


「本当によろしいんで?」

「いいの! あなたが私を逃がしてくれたら、私があなたの村を守ってあげる! 私、これでも魔力すごいし、錬金術だって勉強しているのよ?」

「なら……村の魔物の被害が減るなら」

「ええ」


 カストがおずおずと手を出すと、シルヴィアは嬉しそうに手を重ねました。


 片や世間知らずな辺境生まれの騎士。

 片や世間知らずだと気付いてない人柱以外の教育を受けていない娘。

 とある王国が滅びる道筋は、こうして生まれてしまいました。

 世の中の不幸は善意で舗装されているのです。


<了>

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箱入り娘の後日談 石田空 @soraisida

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