旋律の中で眠る箱 ~歌のふる里~
月夜野すみれ
第1話
雨宮椿矢は研究室に入ったところで見覚えのある白いものに気付いた。
ここにあるはずのないものだ。
それが研究室の机の上にある。
なんでこんなところに……。
思わず近付いて指先を伸ばした。
触れた瞬間、音楽が聴こえてきた。
やっぱり……。
これは旋律が凍り付いたものだ。
なぜ箱が凍り付いているのかは分からないが。
旋律の歌詞が古いスペイン語なのも腑に落ちない。
「あ、それ……」
不意に背後から声が聞こえて振り返ると椿矢と同じく研究助手の佐々木が立っていた。
「これ、君の?」
「はい」
「勝手に触ってごめん」
「別にいいですよ。どうせオレが小さい頃からベタベタ触ってましたから」
佐々木が笑いながら答えた。
「小さい頃から? なら、君のうちにあったの? じゃあ、先祖伝来?」
「まさか」
佐々木が手を振る。
「叔父が外国から持ち帰ったものですよ」
「ああ、なるほど。もしかしてイタリア?」
「なんで分かったんですか!? 箱にイタリアの特徴とかあります?」
「そういう訳じゃないけど……あてずっぽだよ」
箱から伝わってきた旋律の歌詞は十八世紀のイタリア語だったのだ。
十八世紀と言えば大航海時代でイタリア人が世界各地に到達していた。
どこから持ち帰っていたとしてもおかしくない。
ただ……。
旋律を凍り付かせるのは人間には無理なはずなのだが――。
「……それでなんとかして開けられないかと思って大学に持ってきたんですけど……」
佐々木の声に椿矢は我に返った。
「ダメだったの?」
「はい。色んな研究所をたらい回しになった挙げ句に戻ってきたんです」
「ふぅん」
椿矢は箱に視線を走らせた。
「これ……」
霞乃小夜が目を丸くして箱を見ていた。
凍り付いている旋律となれば小夜の出番だ。
それで来てもらったのである。
箱に触れた小夜が困惑した表情で椿矢を見た。
「旋律と歌詞は椿矢さんにも分かるんですよね?」
「うん。だけど僕に分かるのはそれだけだから……小夜ちゃんなら分かるんじゃないかと思って」
椿矢の言葉に小夜が困ったような表情を浮かべた。
「私に分かるのも旋律と歌詞だけです」
「え、凍らせた理由とかそう言うのは……」
椿矢がそう言うと小夜は申し訳なさそうに首を振った。
つまり凍らせたのは小夜や椿矢の知っている存在ではないのだ。
「ただ……」
小夜が箱を見下ろして続けた。
「この箱、眠りたいみたいですけど」
「え?」
「この旋律……眠るためみたいです」
「そんなはずは……」
歌詞は愛を歌うものだ。
椿矢が箱に触れると旋律と歌詞が伝わってきた。
間違いなく歌詞は愛を歌っているのだが、それとは別に、微かだが眠りたがっているような感情が伝わってきた。
理由は分からないがこの箱を眠らせたいものがこの旋律で箱を封印したのだろう。
箱を封じるという意思を持って凍らせたものなら、その何かが開くことを望まない限り旋律が解けることはないだろう。
箱を取り巻いているのは物理的な物質ではないから現代の科学技術ではお手上げなのだ。
最先端の科学技術でも開けられないのだから凍らせた者でなければ溶かせられないだろう。
椿矢達の知っている存在ではなく、人間がやったのだとしたら死んでから三百年以上経ってしまっているはずだ。
その人間が溶かし方を残していない限りお手上げだ。
今の椿矢には手の打ちようがない。
椿矢はそっと箱を元の場所に戻した。
旋律の中で眠る箱 ~歌のふる里~ 月夜野すみれ @tsukiyonosumire
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