『Private View』

龍宝

「プライベート・ビュー」




 駅前のロータリーに一台の車が入ってくる。

 広場の大時計に目をやれば、約束の時間には少し早い。仕事熱心なことだ。おかげで、すぐ近くの移動販売車で買ったコーヒーはまだ半分ほど残っていた。

 運転席から降りて周囲を見渡していた女に手を振ってやれば、すぐにアタシの存在に気付いてくれた。


「――あっ、水崎さん? お待たせしました!」

「ああ。今日はよろしく」


 車の傍まで近付いたアタシに、彼女は簡単に自己紹介をして名刺を渡してきた。


「こちらこそ。ええ。それじゃあ、さっそく行きます? それとも……」


 彼女の視線は、アタシが片手に持ったままのコーヒー容器に向けられている。


「お気遣いどうも。――車の中は、飲食厳禁?」

「まさか。あたしもよく砂糖たっぷりのドーナツなんかを食べたり……もちろん、自分の席で、ですけど。ええ、運転席で。さっ、どうぞ。カップホルダーもありますよ。頑丈なのが」


 促されて助手席に乗り込んだアタシを見届けてから、彼女が右側に収まりロータリーを出発した。






 アタシの名前は、水崎風香――じゃあない。

 こいつは、ほんの一週間前から使ってる、イケてないニックネームみたいなもんだ。もう少し色気のない言い方をすれば、偽名ってことになる。

 アタシらのように訳アリな連中が目立たずに生活を送れるよう、世の中には便利なサービスがいっぱいある。その中には、身分証やら出生証明やらを、まったく新しく用意してくれたりするのが生業なりわいの人間もいるわけで。

 馴染みの偽造屋に、なるべく目立たないような設定で頼む、と金を払い、出来上がってきたのが水崎風香という若い女だった。地方都市出身で、大学中退のフリーター。どこにでもいる若者だ。

 水崎は今日、この町――都会過ぎず田舎過ぎない、まぎれるには最適の町だ――で借りるつもりの部屋を内見に来ている。


「まずは、近くから回りましょうか。今から行く物件は、少し古いですけどその分だけ条件は良いですよ」


 愛想よく案内をしてくれる不動産屋の女従業員に、頷いて返す。


 アタシは子供の頃から、色々と人間だった。

 不本意ながら、ありとあらゆる問題に巻き込まれ――アタシにそのつもりがあろうとなかろうと、アタシの身柄を拘束したりコンクリートに埋めたり頭に銃弾を撃ち込んだりしたい連中ばかり増えていく。まったく頭の痛い話だ。


 特にここしばらくは、地元のヤクザと国外から入ってきた外人マフィアの抗争に――マジで、ほんの少しだけ――関わったばかりに、至って平凡な一市民だったアタシは水崎とやらを名乗る羽目になった。

 誓って、悪いことはしちゃいない。もちろん、たまには法に触れることもあるが、それだってアタシの本意じゃあないし、県法によっちゃ合法なところもあるってだけの話だ。だってのに、警察どころか政府の人間とやらにまで追われる身なわけで――。


 まァ、それはともかく。

 アタシを始末したい行列の先頭に割り込んできた連中は、一方でアタシみたいな小物に構っている暇もないときてる。なんせ、マフィア同士、国のメンツをかけた代表戦の真っ最中だ。しばらくすれば、が冷めるか、あるいは追っ手を出す余力もないほど弱体化するに違いない。

 連中は手加減ってものを知らないから、そう長くは掛からないだろう。アタシはそれまで、水崎風香としてひっそり暮らすだけだ。




「……着きましたよ、水崎さん」


 窓から街並みをながめていると、不意に彼女が社用車を停めた。

 表の通りから一本奥に入ったところにある、三階建てアパートの前だった。


「こう言っちゃなんだが、実物はサイトの写真より古く見えるな」

「外観はね。中は手が入ってますよ」


 内見の予約をしたのは、三階の角部屋だった。

 彼女の案内で階段を上り、玄関の鍵を開けて中に入る。

 室内は、思っていたよりもきれいだった。彼女の言ったことは本当のようだ。同意を示すようにそちらを見遣れば、「ワンルームだが、角部屋だから他の部屋よりも少しだけ広いのだ」と彼女がしたり顔で言う。

 水回りや収納を見て回っても、特に不満な点は見つからなかった。これは一件目にして当たりを引いたかもしれない。

 ベランダからの景色を確かめていると、彼女の携帯端末が音を立てた。


「すみません、会社からで……少しはずします。自由に見ていただいて構いませんから」


 断ってから部屋を出ていく彼女の後ろ姿を見送っていると、なんとまァアタシの方にも着信があった。

 一体誰だ、と構えてみるも、結局は出るしかない。


「『――おいっ、ジーナか⁉ 俺だ、黒田だ!』」


 聞き覚えのある声に、驚かせるな、と改めて外を眺める。


「アタシは水崎風香だけど」

「『ふざけてる場合じゃねえ!』」

「悪かった。それで、〝偽造屋〟黒田が何の用だい? あんたの作ってくれた書類なら、今んとこ不備はないよ」

「『当然だ! 俺の作品は完璧だからな! だけどな、お前さんの偽名がバレちまった‼』」


 ……?

 薬のやり過ぎでハイになってるのか、こいつは。

 だから真面目に克服プログラムに参加しろって言ったんだ。


「ちょっと待ちなよ。完璧なはずのあんたの書類で、どうしてそんなことになるって?」

「『そっちの線でバレたんじゃねえ! くそったれ! 連中、俺の職場に直接押し掛けて来やがったんだ‼ 今、やっと逃げ出してきたところだよ、ちくしょう!』」


 思わず、息が詰まりそうになった。

 腹の底で、どろりとした感覚がを巻き始めている。

 アタシひとりのために、そこまでするか……⁉ 裏社会にだって、ルールってもんがあるだろうに!


「そ、そりゃいつの話だ⁉」

「『バレたのは昨日のことだ! お前さんには悪いと思ったがよ! 全部正直に話したぜ! 拷問されて片足にゃなりたくねえからな! 恨むなら、筋違いの掟破りをやらかしたあいつらを恨んでくれ!』」


 き、昨日……⁉

 つまりなんだ⁉ アタシはにも――とっくに知れ渡ってる偽名を、一日中堂々と名乗ってたってのか⁉

 ああああああ、くそったれ! 殺してくれって言って回ってたようなもんだ!

 くそ、落ち着け、水崎。いや、アタシ。冷静になるんだ。


「……あんたを襲ったのが誰か、わかるか?」


 これだけは確かめておかないと。

 場合によっちゃ、今後の動き方にも関わってくる。


「『地元の連中だ、間違いねえ。気を付けろよ、きっとすぐそっちにも追手が行くぞ!』」


 ぶつり、と通話が切れる。


 静けさを取り戻した室内に、間を置かずドアの閉まる音が響いた。



「――手遅れ、だね」



 振り返った先の玄関に、〝彼女〟が立っていた。


 その手には、黒光りする自動拳銃がこちらに銃口を向けて握られている。


「……すっかり騙されたよ。まさか、不動産屋と入れ替わってるなんて、思いもしなかった」


 先ほどまでの愛嬌ある笑顔がうそのように、真顔で立っている彼女に肩をすくめる。

 一日あれば、これぐらいのことはやってのけるか。神経質に徹すれば予想はできたはずだったのに、アタシはそれをおこたった。とんだ失態だ。

 逃げるにしても立ち向かうにしても、二人の間には絶妙な距離が空いている。

 アタシがを見せただけで、彼女は引き金を引くだろう。


「一応聞くけど、見逃してくれたりは……?」


 聞くだけ無駄だが、万が一の場合もある。

 それぐらいの気持ちでたずねたアタシに沈黙を返すばかりだった彼女が、不意に口を開く。


「――いい物件でしょう、〝水崎さん〟?」


 アタシの目を見つめながら、彼女が言った。



「――あなたを始末するのに、ぴったり」



 とっさに、真横へ跳んだ。

 時間がない。着地したと同時に、アタシはと距離を詰め、どうにか拳銃を持った方の腕を押さえる。

 そこまでが、限界だった。


「――ッ⁉ な、に……⁉」


 銃声が鳴り響く。

 あらぬ方向に逸らされた銃口から放たれた弾は、アタシが一秒前まで立っていた場所から大きく右に外れて備え付けのテレビを撃ち抜いた。

 何が起きた、と言わんばかりの表情でこちらを見る彼女の顔面に、アタシは思い切りひじを叩き込んだ。

 それでも銃を手放さないので力任せに取り上げる。


「ぐ、ううぅ……!」


 顔中を鼻血で赤く染めながら、彼女が両手を構える。

 闘志は失っていないようだが、瞳には戸惑いが強く混じっていた。


 そう、こいつもアタシが追われる身になった理由のひとつ。


 アタシは、〝だいたい一秒くらい時間を止める〟ことができるのだ。いわゆる、〝能力者〟というやつ。

 こんな芸当ができると気付いたのはまだ中学生の頃だったが、それからずっと、誰にもバレないよう生きてきたというのに――どういうわけか、アタシの能力を察知した政府関係者が接触を図ってきたのが二年前。やっぱり政府が国民を監視してるってのはデマじゃなかったんだ、これが。

 どっかの省庁直属の組織だっていう連中が、能力者を集めてる――そんでもって、多分人体実験かなんかをやらかしてるに違いない――身柄を預かるって勝手を言い出すもんだから、そりゃアタシも逃げる。逃げて逃げて、その内に今度の面倒に巻き込まれたのだ。

 きっと連中は、能力を使ったらGPSで居場所が分かるような装置を使っているに違いない、と、なるべく使わずに逃亡生活を送っていたのだが、今回ばかりは緊急事態だ。

 なるべく早く、この場を切り抜けて姿をしかない。


 先に動いたのは彼女の方だった。

 突き出された拳を弾き飛ばして、渾身の右ストレートをもう一度顔面に。

 踏ん張りが効かなかったのか、今度は堪え切れずに彼女の身体が宙を舞う。

 浮いた身体がそのままクローゼットにぶつかって、音を立てて木片が散らばった。


「ぼろい部屋だ」


 倒れたまま起き上がれない様子の彼女に近寄って、上着の内ポケットを探る。確か、ここに、車のカギが――あった。


「次の内見は、できそうにないな」


 こちらを見上げて荒い息を吐く彼女を置いて、玄関に向かった。

 こんなところ、さっさとするに限る。

 ドアをがちゃり、と。


「…………」

「――ッ⁉」


 アタシの目の前に、ちょうど入ろうとしてた様子の強面おっさん。

 一瞬の見つめ合いの後、アタシはドアを閉めようとして、おっさんは思い切りドアをこじ開けようとした。

 太い腕がドアを押さえる。そのまま部屋に押し入って、おっさんが腰から刃物を取り出し斬り掛かってくる。

 何度も振り回される匕首ドスを必死で避ける内に、アタシの身体は再び室内に逆戻りしていた。

 しかも、おっさんの後ろからはさらに新手が――


「まァ、ひとりで来るわけないか……!」


 全部で四人。彼女を含めて五人がかりだ。小娘ひとりに、ヤクザが五人も。

 ほんと、仕事熱心で嫌になるね。


「もう逃げ場は――――ッ⁉ な、なんだァ⁉」


 勝利を確信した様子のヤクザが言い終わるよりも早く、アタシの後ろでガラスの破れる甲高い音が――⁉


 今度はなんだ、くそっ……⁉


 半身になって背後を確かめれば、どこぞの特殊部隊よろしく全身を装備で固めた連中が、屋上からロープを伝って降下してきているところだった。


 しかも、こちらに何か向けて――


「くそったれ……⁉」


 またしても、アタシは部屋の死角に駆け込んだ。


「ぐ、あああああああああああ⁉」


 だいたい一秒の後、ラぺリングしている連中が構えていた〝何か〟が発射され、手前に立っていたヤクザが三人、身体を硬直させてぶっ倒れる。

 とっさにワイヤー式のスタンガン――いわゆる、テーザー銃だ――の難を逃れたおっさんが、巨体からは想像できないほどの素早さで物陰に隠れ、部下の持っていた自動拳銃を撃ち返す。

 ベランダに着地した襲撃者たちも、すでに実銃を構えている。

 狭いワンルームの室内は、たちまちに銃撃戦の繰り広げられる戦場になってしまった。


「早く邪魔者を排除しろ! また対象を取り逃したら面倒だ!」


 あの制服、あの口ぶり、初手が制圧用の装備なんて舐めた真似をする連中!

 ああ、くそったれ! 能力を使ったから!

 GPSか⁉ やっぱりGPSで監視してるのか⁉

 ヤクザと政府の実行部隊がアタシの身柄を奪い合ってるなんて、悪夢以外の何物でもない!


「対象を確保する! 援護を!」


 部屋の隅で気配を消していたアタシの方へ、強引に部隊員が突破してきた。


「抵抗するな! すれば撃つ!」

「いいやするね! アタシも撃つ!」


 大型のライフルを突き付けてくる男の脚を、先ほど彼女から回収したままだった拳銃で撃ち抜く。

 鈍い悲鳴を上げて崩れた男の急所に、とどめの蹴りをくれた。

 悶絶して動けなくなったところで、ライフルの背負いベルトを利用してかつぎ上げる。

 アタシの全身を隠せる盾の出来上がりだ。しかも、防弾ベストのおまけ付き。


「あっ! お前! ――うおっ⁉」


 男を引きずったまま玄関に向かうアタシに気付いたおっさんが声を上げるも、撃ち込まれる銃弾の雨にはばまれて身動きが取れないようだ。


「悪いね、後は任せた」

「待てっ! おい! ふざけ――」


 ばたん、と玄関の扉を閉める。

 何発か味方の弾を食らってぐったりしている男をその場に置いて、アタシは階段を駆け下りようと――


「逃がすな! こっちだ! 実弾発砲許可!」


 ――したものの、そちらから聞こえてくる足音の多さにすぐさま断念した。


 廊下の先に向けて、拳銃をぶっ放す。

 壁を穿って床を跳ねる銃弾は、いくらか連中の足止めに成功したが、そもそもの装填数が少なすぎる。

 あっという間に弾切れになったアタシに、何倍ものライフル弾が襲い掛かってきた。


 うおおおおおお、時間、とまれーーーー⁉


 一瞬遅れた、左肩に熱が走っている。気にしている余裕はない。

 三階の廊下から、身を投げる。落下地点には、ヤクザが乗ってきたのであろう大型のSUVが停まっていた。

 衝撃で全身が悲鳴を上げる。あちこちが鈍く痛む。能力の連続使用で、鼻血とが止まらない。

 それでも、アタシは起き上がって駆け出した。

 彼女と乗ってきた社用車にたどり着き、運転席に収まる。

 銃弾がガラスというガラスを粉砕し、車体に弾痕を残しまくっている中、どうにかエンジンをかけるのに成功した。

 頭を下げたまま、アクセルを思い切り踏み込む。

 何かにぶつかって、ハンドルを取られる。必死に立て直して、道路に出た。

 徐々に遠ざかっていく銃声を聞きながら、ぼろぼろのシートに深くもたれ掛かる。


「……次は希望条件のチェックリストに、銃禁止があるとこを探す」


 コーヒーは、すっかり冷たくなっていた。




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