先輩の内見に付き合う話

藤浪保

先輩の内見に付き合う話

「それで、あの教授が――」

「いやいやそれはないでしょ」


 まだ誰も来ていないサークル室で、先輩と二人きり。


 先輩がこの曜日のこの時間にサークル室に一人でいるのを知って、俺はこの時間の講義を捨てると決めた。選択単位だ。他で補えば良い。先輩との時間の方が大事だ。


 この事実を先輩が知れば、きっとドン引きされるんだろう。


 俺は先輩に片想いをしている。


 二年上の先輩は来月で大学を卒業してしまうけど、そのまま大学院の修士課程に進学し、サークルにも残ってくれるらしい。


 俺が先輩への恋心を自覚したのは、先輩が就職か進学か悩んでいると聞いた時だ。ずっと一緒にいるような気持ちでいた俺は、先輩がいなくなってしまうかもしれないことに思い至り、激しく動揺した。


 告白するかどうか散々迷ったが、二年間の延長戦が決まったことで、戦略的撤退を選んだ。まだその時じゃない。


 向かい合わせにつけた長机、その隣の席で、先輩が楽しそうに笑う。


 さらさらの黒い髪。くりっとした大きな目。ぷるっとした小さな口。


 かわいい。本当にかわいい。


 こんな笑顔を見せてくれるんだから、俺のことが好きなんじゃないだろうか。押したらいけるのでは。


 何度も何度も何度も思ったけれど、それが希望的観測であることを、俺は知っている。先輩は誰とでも仲良くなれる人なのだ。この笑顔は俺だけに見せてくれているわけじゃない。男だろうと女だろうと年上だろうと年下だろうと、先輩はみんなに優しい。


 第一俺は先輩とデートすらしたことがないのだ。先輩から誰かと二人で遊びに行ったという話を聞いて嫉妬しっとしているだけのポジション。


「――でね、付き合ってほしいんだけど、いい?」


 やべ。何も聞いてなかった。俺としたことが先輩の話を聞き流すなんて……!


 ん?


 いま「付き合ってほしい」って言った? 先輩が? 俺に!?


 上目づかいに見つめられて、ごくり、とのどが鳴る。


「無理?」

「いやいやいや無理なわけじゃないじゃないですか! もちろんいいですよ! 付き合いましょう!!」

「本当!? よかった!」


 先輩がほんのりと顔を赤くさせて微笑む。


 ヤバい超かわいい。触りたい。キスしたい。


 いいよな、両想いだもんな!?


 熱に浮かされたように手を伸ばすと、先輩がさっと立ち上がった。


「じゃあ、明日の朝十時に、駅の改札前で!」

「へ?」


 付き合ってほしいって、出掛ける話?


 そんなベタな……!!


 サークル室に一人残された俺は、頭を抱えてうずくまった。



 * * * * *



 勘違いだったけど初めてのデートだ、と期待してバチバチにキメた俺は、なぜか住宅の内見に連れて行かれていた。


 内見であるからには、もちろん不動産屋もついてくる。二人きりですらなかった。


 先輩は真剣に説明を聞いていた。


 ところどころで俺も意見を聞かれたが、正直それどころではない。


 進学を機に実家暮らしをやめて、大学の近くに住もうということなのだとは察した。大学院での実験は大変そうだし。


 一人暮らしをしている俺に意見を聞きたいという事情も理解した。コンビニが近い方がいいとか、三階以上の部屋がいいとか、ゴミ捨て場は二十四時間捨てられる場所がいいとかのアドバイスはした。


 だけど――。


「あー、ここも広いっすねぇ~」


 ――なんっで、二人暮らし用の物件ばかりなんだよ!!!!


「そう? こんなもんじゃないの? 1Kってわけにはいかないだろうし」

「なら寝室は二つあった方がいいんじゃないですか? 一つでいいんですか?」

「二つ、の方が、いいのかな? 一つがいいんだけど……」


 知らねぇよ!!


 寝室が一部屋ってことは、先輩はその誰かと一緒に寝るというわけで。友人とのシェアハウスじゃないことは確実で。


 先輩に恋人はいないと聞いていたのに、いつの間に一緒に住むほどの相手が出来たのか。


 なんで俺は他のヤツと住む先輩の内見を手伝ってるんだ……。


 気が遠くなりそうになりながら、俺は内見を乗り切った。



 * * * * *



「今日、ごめん、やっぱり急だったかな。あんま、乗り気じゃなかったよね……」


 歩きながら、先輩が言いにくそうに話しかけてきた。


「急なのはいいんですけど……何で俺って思ってて……」


 普通、一緒に住むヤツと見るだろう。何で俺? 経験者だからって、いくらなんでも。


「そこからかー……。自分としては、他の人はあり得ないって思ってるんだけどね」

「だとしても、俺にはちょっとキツいかなって」

「そっか……。うん、わかった……」


 うつむいた先輩の声は消え入りそうになっていた。


 たぶん先輩は、どうして俺がキツいと思っているか、理解できていないだろう。俺の気持ちは知らないのだから当然だ。


「あのさ、」


 顔を上げた先輩の目には涙が溜まっていた。


 それを見た途端、カッと頭に血が上った。泣かせた。俺が。


 気持ちも伝えずにこんなやり取りをしていれば、先輩を傷つけてしまっていたとしても不思議じゃない。


「俺、先輩のことが好きです!」


 俺は思わず口走っていた。


「じゃあ、一緒に住めなくても、恋人は続けてもいいかな?」


 ん?


「恋人……?」

「駄目、かな?」

「駄目じゃないです! 駄目じゃないけど、恋人? 俺が? 先輩と?」

「うん」

「一緒に住むって、俺と?」

「うん。だから今日内見を……」

「え? は? え?」


 頭の中がハテナだらけの俺に先輩は改めて説明してくれた。


 昨日、先輩は、俺に告白をして、一緒に住みたいと言って、だから内見に付き合ってほしいと言ったのだ、と。





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先輩の内見に付き合う話 藤浪保 @fujinami-tamotsu

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