KAC20242「内見さんの最後の内見」

地崎守 晶 

内見さんの最後の内見

 今日は待ちに待った内見ないけんの日。そしてわたしがこの名字で生きる最後の日。

 なんといってもわたしはまもなく愛しの彼と結ばれて新しい名字を手に入れるのだ。婚姻届を出しに行くのが明日。週末には結婚式と披露宴。


内見うつみ様、お待たせいたしました。それではこちらのお部屋をご案内いたします」


 七三の髪にお手本のような笑顔。丁寧な物腰の不動産屋さんが言う。わたしは内見のこの瞬間が一番きらいだ。

わたし、内見晴香うつみ はるかの名字を目にして、口にするとき。営業スマイルの裏で、その上げた口角の橋で、「内見という名前の人間が内見に来た」という状況を嘲笑しているんじゃないか。子どものころ家族で引っ越すときも、大学の下宿を探すときも、独身寮として会社の決めた候補の中から選ぶときも。内見というインシデントのたびそんな猜疑にかられ、早く終わって欲しいと苦しんできた。

 あれは、中学生の頃の引っ越しだっただろうか。

内見うつみ』という名字を見てにやりとした相手に、お父さんが忖度するように率先して「内見って名前で内見に来てるんですよ~あはは」と笑ったのを見て、心底イヤだったんだ。

 あれから、引っ越しを経験するたび、新生活への期待感の裏にいつも内見というイベントと自分の名字のコンプレックスが貼り付いていた。

 そんな人生も、これで終わり。マッチングアプリで知り合った、趣味が会う一つ年下の彼氏。彼の名字になることで、わたしはこの呪いから解放される。内見うつみではない人生、二人で紡ぐ日々。まさにバラ色の新婚生活!

 

 あいにく今日、彼氏は急にお腹が痛くなったので、わたしだけ先に不動産屋さんに向かうことになったけど。

 目の前に広がるぴかぴかの新居。

 この玄関で毎日彼を見送って、出迎えて、ただいまと言えばお帰りと返してくれる。

 このキッチンで彼の好きなものを作って、このリビングで大きなテレビを見て、ふかふかのソファでくっついて。

 それからこの、ダブルのベッドをおける寝室で……ふふっ。

 この部屋で暮らすことをひとつひとつ思い描くだけで、内見ないけん用の薄っぺらいスリッパを履いた足で浮き足立ってしまう。


「ここ、ほんとうにいいおうちですね~!」

「気に入っていただけてなによりです」


 踊るように体をくるくるさせて笑うと不動産屋さんも微笑んでくれる。

ああ、こんなに楽しい内見ないけんは初めて。


 舞い上がる心地の絶頂。そのとき、ポケットの中でスマホが震えた。

きっと彼だ。早く一緒にこの新居を見たい。はやる気持ちでメッセージアプリを開く。


『ごめん』


「……は?」


『ほんとうにごめん。実は、前にマッチングした女の子、別れたんだけど、その』

『子どもが、お腹にいるって』


「……は!?」


『その、相手のお父さんが、とても怖くて』

『責任とらないといけなくなって』


「……はあああっ!?」


『結婚の話は、なかったことに。さよなら』


「っっっふっざっけんじゃあねえぞこのクソカスがぁあああああああーーー!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」


 わたしは叫んだ。

 あれだけ輝いて見えた新居ーーいや、気持ちの面でも、一人で家賃を払うことを考えた場合の負担の上でも、ムダに高い、もうぜったいに住むことはないただの空虚な入れ物―ーの真ん中で、壁をとどろかせるほどの大声でわたしは叫んだ。目を丸くして後ずさる不動産屋のペラいスマイル0円男にもかまわず、スマホを床にたたきつける。


 内見うつみとしての最後の内見ないけん。そう思ったからこそうれしかったのに。

 会社の規定でまた寮に戻れない以上、どうあがいてもこれからもう一度内見ないけんをしなければいけないという事実が、裏切りド畜生カス男への怒りを上待って忌々しくわたしの目の前に立ちはだかるのだった。


「もう内見なんてこりごりよ~っ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」





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KAC20242「内見さんの最後の内見」 地崎守 晶  @kararu11

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