第2話


 リリカの前で歌って踊った。

 大きな鏡が埋め込まれた壁の前。曲は常にスマホに入っている。

 曲はデビュー曲。練習も思い入れも人一倍ある。

 ミスはない。歌もブレることもなく完璧。

 いつもと同じパフォーマンスだった。

 鏡の横にいるリリカに視線を向けた。


「つまらない歌」

「なっ」


 一刀両断。

 思わず一歩詰め寄ると、リリカはさらにもう一歩踏み込んでくる。

 顔と顔が近い。

 整った顔面は表情がないと怖いくらいだ。


「完璧なだけ。あなたのパフォーマンスは」


 眼球と眼球が触れあいそうな距離。

 リリカに実体がないからできる距離で見つめ合う。いや、にらみ合うと言ったほうがいいかもしれない。

 わたしはリリカの身体が自分をすり抜ける感覚を味わった。


「そうね。あなたには、こっちの方がいいかしら」


 ひやりともぞわりとも違う。独特の感覚。

 それをもたらした本人は棚にぎっしりと詰められたビデオテープの一つを指差す。

 昭和59年リリカコンサート。

 そうラベリングしてあるビデオを手に取る。


「これ、昭和って書いてありますけど」

「いいから。あなたに足りないものがわかるわよ?」


 おっかなびっくりビデオデッキにビデオを差し込む。

 古いビデオは途中で切れたり、絡まったりするらしい。

 そう聞いていたから実際画面に映るまで、握りしめた拳を膝の上に置いていた。


(それにしても)


 全身が映る鏡に防音の部屋。

 ビデオ設備にテレビ画面まできちんと置いてある。

 ここはまさしく練習部屋だった。

 アイドルがこもって練習するにはピッタリの部屋だ。

 売れるという伝説も、案外地道な努力によるものかもしれない。

 そんな考えもコンサートが始まると抜けていく。


「楽しい?」

「悔しいですけど」


 見終わって、リリカに聞かれた言葉に反射的にそう返していた。

 リリカのコンサートはアイドルらしい楽しさに溢れていた。

 そのくせ観客との絡みもあり、あっという間に時間がすぎる。

 時計を見て2時間近くが経っていたことに、驚きを隠せない。

 リリカは私の顔を見ると得意そうに腕を組んだ。


「あなたにこれができるかしら」

「やってみせます」


 できる、できないじゃない。

 やる、やらない、だ。

 私はずっと自分にそう言い聞かせて生きてきた。

 何よりこれは挑戦だ。アイドルとして、伸るか反るか。負ける訳にはいかない。

 この日から、私のリリカ研究は始まった。


「結衣、がんばるねー」


 スタジオでステップを踏む。

 今日の課題は終わっての練習時間。

 家にいるリリカを驚かせるためにも無駄にはできない。

 ひとりで練習していたら、同期の葵が飲み物片手に話しかけてきた。


「ちょっと、昔のアイドルですごい人見ちゃって」

「誰?」


 アイドル好きの葵の瞳が輝いた。


「リリカって人なんだけど」


 言った瞬間に葵が立ち上がり、隣に立つ。

 その距離の急激な詰め方に思わず体を引いた。

 目をキラキラさせた葵に両手を取られ、ブンブンと上下に揺らされる。


「知ってるー! リリカ、超いいよねっ」


「う、うん」と戸惑いながら頷くと、葵はそのままの勢いで話しだした。

 マズい。これは止まらないやつだ。

 アイドルでありながらアイドルが好きな葵は、好きなアイドルのことを語り出すと止まらなくなる癖がある。


「代表曲の『カラフルな世界』もリリカらしくて好きだけど、『星降る夜に願いを』はなんでアルバム曲なのってくらい完成度高くてさ」

「そ、そうなの?」


 昨日、コンサートだけを見たので楽曲とタイトルが一致していない。

 印象的な曲は何曲かあったが、そのタイトルが何か私は知らなかった。

 首をかしげた私に葵はすぐさま スマホを取り出して曲を流し始める。


「え、見てない? これ!」

「あ、知ってる」


『星降る夜に願いを』とタイトルが書かれ、その下に歌詞が表示されている。

 楽曲が同時に流れてきて、私は葵の言っている曲を知った。

 悔しいことに見惚れた曲。

 得意げなリリカの顔が浮かんできて、すぐにかき消した。


「代表曲はこっちなんだけどね」


 葵は再び 画面を操作すると別の曲が流れ始める。

『カラフルな世界』はタイトル通りポップで、楽しい曲だった。


「確かにアイドルっぽいね」


 私の言葉に葵は珍しく 眉をひそめた。

 それは好きなものを差し出されて 選べないと迷っている子供のようだった。

 両腕を組んだまま右、左と首を傾げる。


「『星降る夜に願いを』の転調とかサビでの盛り上がりが特に好きでさ」

「うん」


 よく知っている。

 私自身が鳥肌が立ったのも、その部分だった。

 アイドルで転調をうまく使った曲は数多くある。

 意外性だったり ギャップだったりを見せやすいためだ。

 だけどリリカのこの曲で転調が使われる意味は違う。


「特に、このサビのアオリとか! ライブごとに変わるんだよ? すごくない?」

「うん……すごいね」


 いつのまにか動画サイトに画面は切り替わっていた。

 小さな画面の中でリリカが『星降る夜に願いを』を歌い上げる。

 勢いがありすぎて、飛んだり跳ねたり忙しない。

 それでも画面に映る人は全員楽しそうだった。

 私はその光景に目を細めた。


「歌ってみたも流行ってるんだから」

「へぇ。葵はリリカが好きなんだね」

「アイドル好きなら、当然でしょ!」


 スマホ片手に笑う、その顔が眩しくて。

 きっとリリカが言ったつまらないは、この熱量のことなのだろう。

 私にはない。好き、という熱量。

 胸の奥がジリリと焦げる音がした。


「結衣だったらリリカの楽曲も歌いこなせるっしょ」

「どうかな?」


 葵の問いかけに首を傾げる。

 リリカの楽曲は難しい。構成もパフォーマンスも、観客を巻き込むフリさえも。

 だけど。

 私は笑っていた。


「どうかなって顔じゃないし」

「ふふ。ちょっと、やってみる」


 できないと言われれば燃える。

 難しいと言われれば、簡単にこなして見せる。

 私はもう一度鏡の前に立った。


「だいぶ、良くなったんじゃない?」

「これだけ資料があればね」


 リリカの言葉に背中で返す。

 私は今日も鏡に向かって練習を重ねていた。

 脳裏に浮かぶのはリリカのパフォーマンス。葵が見せてくれたライブ映像だ。


「毎日、毎日、飽きないね?」

「好きなことだもの」

「ふーん」


 頭の中にある理想をなぞるように体を動かす。

 飽きるわけがない。

 私は理想をまだ手に入れていないのだから。

 ただ、その足がかりは確実にできてきている。


「おかげさまで、バズったよ」


 動きを止め、リリカに向かって自分のスマホ画面を見せる。

 流れている動画は私が『星降る夜に願いを』を歌って踊っている様子。

 葵が言っていた歌ってみた動画に挑戦したのだ。


「バズった?」

「あなたの歌を歌った動画が、すごく流行ったの」


 首を傾げるリリカに私はスマホを見やすいように傾けた。

 実体のない彼女はスマホを操作することができない。

 近づいても体温は伝わらない存在を不思議と心地よく感じ始めていた。


「え、どれどれ?」


 画面を覗き込む。

 リリカの瞳が忙しなく動いた。


「いち、じゅう、ひゃく……十万超えてるじゃない!」

「アイドルとしてはまだまだだけどね」


 目をパチパチと瞬かせるリリカに私は得意げに笑って見せた。

 バズったのは嬉しい。

 けどまだまだ。目指す道は遠い。


「百は行きたい」

「はぁー……今の時代はちょっとしたことで火がつくね」


 私の言葉にリリカは呆れたように肩をすくめた。

 それから、すぐに悪戯な笑みを浮かべる。

 頬に指を当てて可愛らしいポーズまでとっている。


「リリカのおかげじゃない?」

「実力」


 間髪入れず、私はそう返した。

 リリカは小さく鼻で笑う。


「証明してみせなさい?」

「上等よ」


 目と目がぶつかり、星が生まれる。

 私が見つけたアイドルの輝き。

 それをひたすら追いかける道は、まだ始まったばかりだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

売れると噂の部屋を内見したら、動画がバズってアイドルとして見つかる話 藤之恵 @teiritu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ