売れると噂の部屋を内見したら、動画がバズってアイドルとして見つかる話
藤之恵
第1話
目の前を歩くのは不動産屋さんとマネージャー。
その背中を追いかける私の足取りは重い。
とうとう新人が入れる寮を追い出され、新しい部屋を探しているからだ。
私はレンガの外装がしてある古びたマンションを見上げた。
「ここが……その部屋なんですか?」
「そう! 住んだら出世する部屋。評判は聞いてたけど、入るのは初めてよ」
マネージャーのテンションに顔をしかめた。
住んだ芸能人が売れると有名な部屋らしい。
胸の奥を情けなさが締め付けてくる。
そんな私の反応をスルーして、マネージャーは隣にいる不動産屋さんに話しかけた。
今日の内見に付き合ってくれている凄腕の不動産屋らしい。
「ですよね?」
「そうですね。そう言われてますが、必ずってわけでもありませんよ?」
パリッとスーツを着こなし、どことなくおしゃれな雰囲気が漂っている。
アイドルとは無縁そうな女性だ。
こんな人でも都市伝説のような噂を知っているらしい。
案内された住んだら出世する部屋は、至って普通の部屋だった。
「ここに住まないと駄目ですか?」
古さは感じるものの、明らかな汚れなどはない。
芸能人が使うことが多いからか、大きさの割にセキュリティはしっかりしていた。
悪くはない。けど、特徴もない部屋。
「事務所の寮の契約は切れるし、ちょうどよいじゃない」
内見とは言いつつ、ほとんどこの部屋に決まっているようだ。
楽しそうに室内を見回すマネージャーを見るほど、どこかが冷えていく。
「はぁ」
歯切れの悪い返事。
オーディションだったら、間違いなく落選している。
私は部屋に唯一ある扉を開けた。
「ここは?」
お風呂があると思っていた。
扉の先には体全体が映る鏡に板張りの床。まるでレッスン場のような作りだ。
扉を覗き込んだ不動産屋さんが説明してくれる。
「皆さんが出世するとしたら、この部屋のおかげでしょうね」
にこりと微笑まれ、私はどう返したらよいかわからず 曖昧な笑みを浮かべた。
練習、レッスン、努力。
アイドルは そういったものを積み重ねでできている。
その塊が部屋の片隅に山になっていた。
視線を向ければ、また微笑まれる。
「出世した人たちが置いていった資料は山程あるから、好きに見てください」
「……ありがとうございます」
ヒクリと頬が引きつらないようにするのが精一杯だった。
他の部屋も内見したが、練習する場所があるのはあの部屋だけで。
家賃もお手頃だったので、すんなりと決まってしまった。
引っ越しもマネージャーに手伝ってもらい、すぐに終えた。
もともと荷物も少なかったため時間はかからなかった。
「デビューして6作。そろそろヒットしないとヤバいんだからね」
「わかってます」
部屋の片付けも一通り終え、帰るタイミングで釘を差される。
最後のチャンスがこの部屋というわけだ。
背中で組んでいた手をぎゅっと握りしめる。
「結衣の実力はわかってるわ。あとは、魅せ方だけよ」
「完璧なものを見せていると思うんですが」
実力はあるのに。
歌は上手いのに。
ダンスも上手なのに。
今まで山ほど言われてきた言葉だ。
練習でも手を抜かず、自分の理想を形にしてきた。
魅せ方の正解だけがわからない。
「それだけじゃ上手くいかないのがアイドルってことよ」
その答えを教えて欲しい。
なんてことを言えるわけもなく、マネージャーの背中を見送った。
完璧なパフォーマンス以上のもの。私より下手でも売れた子はたくさんいるのだ。
「今日から、ここがあたしの部屋……ね」
ひとりになると音がなくなる。
まだ借り物のように感じる部屋をぐるっと一周眺めた。
それから資料の山に目を向ける。
「とりあえず、見ようかな」
先人が置いていった叡智を見ようではないか。
不動産屋さんが言ったように資料は多岐にわたっていた。
お笑いのDVDがあるかと思えば、どこの劇団かも分からない小劇団の台本のようなものまであった。
「んーと、どれがいいかな?」
指を滑らせながら名前を確認していく。
「それよ、それ。そのリリカ単独コンサートにしないさい」
「これ? リリカって誰……って」
ピタリと指が止まる。
古びたビデオにはマジックでタイトルが書いてあった。
私は今誰と会話をしたのだろう。
背筋が泡立った。勢いだけで、後ろ振り返る。
半透明の女の子が浮かんでいた。
「誰?!」
「リリカは、リリカよ。ほら、売れたいんでしょ?」
半透明の女の子はリリカと名乗った。
両腰に手の甲を当てると胸を張る。
偉そうな態度の割に年齢は同い年ぐらいにしか見えなかった。
「え、なに、幽霊? ここ、そういう物件?」
「失礼な幽霊じゃないわよ」
「じゃ、何?」
そう言われて信じる人がいるのか。
ジリジリと後ずさる私に、リリカは唇を尖らせた。
「いいから。ここは出世する部屋よ。あなたに必要な、ね」
そう言いながらビデオを見るように指示してくる。
実体がないからぶつかりはしない。
半透明の体が重なるたびに水に手をつけたような感覚が伝わってきた。
ビデオを持ったまま、できる限りの距離を取る。
「幽霊のススメのままに、ビデオなんて見ません!」
まるで威嚇する猫のように身構える。
ふわふわと浮いているだけの存在に、こちらを害そうとする意思は感じられない。
頑なな私の態度にリリカは両手を上に向けて肩をすくめた。
テレビ受けしそうな大きなジェスチャー。
「やれやれ、イマドキの子は疑い深くてダメだねぇ」
見た目と似合わない言葉だった。
呆れたように目を細めると、リリカは垂直に浮いた状態で移動してきた。
朧気に見えるチェックのスカートが揺れる。
背中に壁を感じた。
これ以上触ることはできない私に、リリカは親指を上に向け、鏡の前を指した。
「じゃ、踊ってみなさいよ。あなたの歌」
「え?」
突然の提案に何を言われたかわからなかった。
ビデオを見ろと言ってきたくせに、今度は踊ってみろと言う。
鏡の前に目を向ける。ポジションゼロ。
アイドルが憧れるセンターポジション。
その視線に合わせるようにリリカは鏡の前で両手を広げくるりと回って見せた。
「ここは防音もしっかりした練習部屋。あなたの大したことない歌なんて聞こえないわ」
「大したことないって」
見てもないくせに、そう言われる筋合いはない。
歌も踊りも人一倍練習してるし、アイドルだからと馬鹿にされたくなかった。
私の言葉にリリカは皮肉げに唇を吊り上げた。
「大したことないから、ここに来たんでしょ?」
売れないアイドル。
落ち目のアイドル。
パットしないアイドル。
今まで投げかけられた評価がフラッシュバックする。
だけれど。
「パフォーマンスを見てから、言ってください」
「楽しみだわ」
私は拳を握りしめた。
ビデオは置く。
鏡の前に立てば、そこにいるのは私ひとり。
歌の世界は常に私だけ。
リリカに完璧なパフォーマンスをみてもらうために、私は踊り始めた。
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