名前はまだない。――夏に見つけた子猫の話――
岡本紗矢子
第1話
はじめに申し上げます。
私は猫好きです。度合いで言うと重度。道を歩けば外猫さんの姿を探し、家に猫がいるのに猫カフェに行き、「最強! シャーシャー猫(※人慣れしておらず全方位威嚇しまくる猫のこと)限定譲渡会」の文字に「なんてステキな企画なんだ」とキラキラし、本屋でまちがって猫雑誌なんか手に取ってしまったら、勝手に悶絶しながら30分立ち読みしたあげくお買い上げして帰ってくるのが既定路線です。
ですからですね、「猫好きに刺さる小説・エッセイ大募集」。
これ、私、書く側じゃなくて「刺される」側のはずなんです。
四方八方からグッサグサに刺されて、刺されて刺されて刺され過ぎてもうどうしようもなくなったら、「ねこ、かわいいいいいーーーーっ!」と叫びながら天にすぽーんと飛ばされる人。それが、この企画における私の立場――
と思っていたのですが、カクヨムの告知を眺めていた私、かわいいかわいい茶トラさんの磁力に引き付けられてしまいました。
しかも、バッグとともにいただけるらしい称号。
「猫好きオブ猫好き」。
わかっています、欲しいと思っても手は届きません。期間中に5本書くとか、手の遅いワタシには無理。けれど、せめて指の一本くらい茶トラさんに差し出したい。愛しているよ!と伝えたい。
まあそんなのが――「名前のない」うちの3びきめを家に迎えたときについて、書こうと思った動機です。
さて、その猫がうちに来たのは、当家の上の子がまだ0歳だった年の、9月のはじめのことです。
「今日はどっち方面に行く?」
その日、子どもをスリングに入れて、私はうきうきと日傘をさしました。
雨でなければ子どもをくっつけて散歩に出る――それが歩くのが好きな私の、当時の習慣でした。東京23区内ではあるものの、武蔵野台地の面影を残す地域。歩き出せばすぐに畑から土が香り、小川のわきには桜が植わり、こんもりした屋敷林に出会いますから、お散歩するにはとてもいい地域。行き先は決めず、気が向いた方向に子どもを連れていくのがなによりの楽しみでした。
今どきの9月といえば残暑どころか真夏のままですが、その日はからりと爽やかで、気温のわりに暑さを感じない日だったと思います。適当に流し歩いて1キロ2キロ、ついでにふらっとスーパーに寄って食材の買い物をすませましたが、まだまだ体力的には余裕がありました。
――よし、神社にも寄っていこう。
この日訪れたスーパーの並びに、小さな鳥居を置いた神社の入口があるのを私は知っていました。そこは正規の参道ではないので、短い道を経てすぐ拝殿に行き着くのですが、高い木の森に囲まれていて、なかなか良い雰囲気なのです。
しかも、その付近には、住み着いている猫さんがいました。神社の敷地や森の中を、自由に散策して回っている、しっぽの長ーいキジトラさん。一度、拝殿のさらに奥にある、一般人立ち入り禁止エリアの建物で堂々と日なたぼっこしているのを見かけ、「神様に怒られない……!?」とドキドキさせられたこともありますが、その後も何事もなくそのへんを散歩しているところをみると、神様および神社も公認の、オフィスキャットならぬ神職キャットなのかもしれません。
今日も会えるかな。会いたいな。
わき道から入って拝殿前へ出た私は、まずは二礼二拍手一礼でご挨拶をすませました。さて、拝殿を回り込むように裏手を目指します。あの猫さんをよく見かけるのはこの後ろ――。
――みゅーう。みゅーう。みゅーう。
ん?
――みゅーう。みゃーう。みぎゃー。ぴー!
おお。さっそく、キジトラさん登場!?
……な、わけはありませんでした。
細い針がひっきりなしに飛んでくるみたい。超音波というか高周波というか、なんかわかんないけどとにかく金属的な高いキー。鳴いているというよりわめき散らしているような切迫感。
間違いなく、これは子猫のものでした。
神社に住んでいるキジトラさんは成猫です。こんな声では鳴きません。
どこだ?
私は猫センサーの感度をいっぱいに上げました(多くの猫好きさんに共感していただけると思いますが、猫好きはいつもこうやって網を張り、道行く猫のいっぴきたりとも見逃さないようにしているものです)。
発信源。感知しました。
右側です。低木の根本の、しげみの中。
右に向かって90°向きを変え、私は止めていた足を、そっと踏み出しました。一歩、二歩――ものの三歩で行き着いた木の根本に、ふたの閉まった小さな箱がありました。
――みぎゅー。みぎゃー。びー。みぎー!
ふたの閉まった小さな箱は、かたかたかたかた、じたばたじたばた、左右に揺れているように見えます。
あー……間違いない。この中だ。
箱を引っ張り出して掲げてみます。推定するところ縦12センチ横15センチ、深さ5センチあるかな?というくらいの、片手で持てる箱。
開けようとしたとき一瞬、これを開けたら大変なことになるんじゃないのかと頭をかすめました。わからないけど、何かが大きく変わっちゃったりするんじゃないだろうかと。
その一方で、実は中に入っているのは、電池で動くぬいぐるみかなんかじゃないのかとか、そんなことも考えました。だって、見つけた箱の中に猫が入っているなんて、シチュエーションとして王道すぎる。本当に本当に、そんなことってあっていいの? やっぱりびっくり箱だったりしない? いや、でも――箱はあいかわらず、みぎゃーぴぎゃーといってるし……
開けました。
「みぎゃーっ!!」
そのとたん、中にいたものと目が合って、ドンと声がぶつかってきました。箱越しでも大きかった呼び声が、遮蔽するものもなく正面から直撃したときの衝撃は、わかりやすく言うとドラゴンボール初期のかめはめ波くらいでした。わかりやすくないか。
とにかく、やっぱりそいつは猫でした。
手のひらにのるくらいのサイズしかありません。子猫も子猫、赤ちゃん猫。人間だったら、今スリングに入っているうちの子と同じくらいの月齢でしょうか。
しかし、それにしても、その気迫のすごさに私は圧倒されました。「みぎゃー! ぴぎゃー! ふぎゃーっ!」――まだ数日前に開いたばかりでしょっていう目をいっぱいに見開いて、やわらかくてどこにもひっかかりそうにない爪のついた足を突っ張って。そんな黒っぽい毛むくじゃらが、全身で私に向かってわめいているんです。
自分が置かれた状況は何もわからないながら、子猫は存在全部を賭けて自己主張しているように見えました。なんだおまえー、こんなとこにとじこめやがってー、どこに連れてくんだー、こわいじゃねえかー、でも負けないぞー、みぎゃーっ!
あー、わかった、わかったから。
私は箱を閉じました。みぎゃー! 子猫がまた大きく鳴きました。
そのまま木の下に戻されると思ったかな?
でも私は、箱を離しませんでした。そりゃそうです。赤ちゃん猫です。ずいぶんと威勢がいいけど、たぶんそれなりに怖がってもいるんだと思う。このまま置いていくわけにはいきませんでした――
スリングの中に赤子を抱き、日傘を持ち、ついでにまあまあの量が入った買い物袋をぶら下げて。片手で、あっちへこっちへ変形しそうなほど中身が暴れている箱を持って。その状態で、私は家に向かって歩き始めました。
迎えに来て、と、頼もうと思えばできました。家には夫がいたからです。しかし、大声でわめきまくる謎の箱を持って、そこそこ人通りのある往来に立つのは注目を集めそうでしたし、もうひとつ、この猫を拾った経緯を、歩きながらちゃんと整理しようという心づもりもありました。というのは、うちにはすでに猫が2ひき。かつ、その2ひきを迎えるとき、夫とは「猫は2ひきが上限ね」という取り決めをしていたからです。
彼は私ほどバカみたいな猫好きではないですが、動物全般それなりに好きな人だし、わからずやでもないし、拾った猫をしばらくうちに置くくらいはしてくれるとは思いました。けれど、なしくずしはいけません。ちゃんと取り決めをしたんだから。この箱を拾ってしまった理由については、やはり筋道立てて説明して、それから家に入れないと――。
「みぎゃー。みぎゃー。みぎゃー。みぎゃー!」
……とはいうものの、実際の猫のお持ち帰りは大変で、歩きながら何かを考えるようなことはまったくできませんでした。
赤ちゃん猫は一丁前にわめき続けています。訳すと、「なんだこら。どこに連れていくんだ。事と次第によっちゃあ容赦しねえぞ。やんのかコラ。箱を開けてかかってこいや! みぎゃー!」て感じ。しかも、やっぱりひっきりなしに、パタパタカタカタ躍り回っています。私は持ち物が多すぎて、勝手に動くパンドラボックスを片手で――本当に手と指だけで――握るように持つしかありません。
落とすわけにはいきません。
スリングで抱えた子どもは、もっと落とすわけにいきません。
もう、頼むから暴れないでくれ!
結局、説明を考えるどころではなく、祈りながら足を動かしてきただけ。
ひいひい言いながら、ようやく私は玄関前に立ちました。
……インターホンも押せやしない。
「夫ぉ~」
ドアを蹴って、私は中に呼びかけました。
「ごめーん、ちょっと困ったことになったの。悪いけど開けてー」
中ですぐ動く音がしました。よかった、しっかり聞こえたみたい。鍵ががちゃ、と外され、ドアが動き、彼が顔を見せました。
「助かった、ありがと」
ほっとして、「実は――」と言いかけると、彼はかぶせるように言いました。
「それ。名前、つけるなよ」
……は?
「え? えっと……?」
「だから、それ。貰い手探すんなら、名前つけたら情がうつるから」
なんと彼、私の手にある箱を目にとらえた時点で、事態を完全に見抜いていたようです。
いやいや、ちょっと待ってよ。
「話、早すぎない?」
私が思わずそういうと、彼はこう返しました。
「だって紗矢子のことだから、どうせいつかは拾ってくると思ってたし」
ちなみに最初に「上限2ひき」と決めたのも、一応そういうことにしておかないと猫屋敷になりかねないという考えがあってのことだったそう。そうですか、お見それしました……。
さて、その子猫です。
獣医さんに連れていくと、生後3週間前後との見立て。名前はつけないので、とりあえず「ちび」と呼びながら衣装ケースに住まわせましたが、次の日にはケースの壁をがっしょがっしょとよじのぼって先住猫に合流し、成猫用のカリカリをがっつくというバイタリティを見せました。さすが、ぴーとかぎゃーとか威張っていただけあります。身体は大きいけれどおっとりした兄ちゃん猫たちを、小さな「ちび」は、フツーに圧倒しておりました。
貰い手探しはしました。しましたし、「欲しい」と言ってくれた候補の方もいました。でも、なんだかんだで結局決まらず――気づけば彼は、今、うちの子として10歳になりました。
正式な名づけはしていないまま、大きくなっても彼は「ちび」と呼ばれています。「名前はまだない」、リアル吾輩は猫であるです。
でも、猫の呼び名をアレンジしまくるくせがある私に、「ちーちゃん」「ちびび」「びーちゃん」「びこたん」「びっころみゅー」「ころころびっころころーにゃ」(もはや何がなんだかわからん)などといろいろ呼ばれている時点で、もう「ちび」が彼の名前ってことでいいのかもしれません。
ちびは、これからも「ちび」のまま。
あと10年、できれば20年。いえ、この世でできた縁を来世の来世までひっぱって、いつまでも「うちの猫」でいてほしい。
名前はまだない。――夏に見つけた子猫の話―― 岡本紗矢子 @sayako-o
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