最終話 君の分まで

私は、高校時代の一番の大切な思い出を書いていたノートを閉じると、暫く目を閉じた。今、かつてあり日のことの数々を書いていくうちに、頭に去来することは楽しいこと嬉しいこともあった、しかし、園田さんが逝った後の人生は、まさに涙に濡れた足跡をただ辿っていたように感じる。もう、園田さんが、旅立ってもう半世紀は過ぎてしまったが、今でも、園田さんのかつての声や体は間違いなく今の私の中に血肉として一体となっている実感がある。その園田さんのおかげで私はどんな辛いこと悲しいことの果てにも、決して挫けることなく、多くのことを成してもらったと、感謝の祈りをよく空に向けてするようになった。


「先生、横になってください。体に障りますよ。」


私は、穏やかな笑顔を、我が子に向けた。私は、なるべく我が子を心配させないようと気遣ったつもりだが突然、咳の発作が起こった。むせる、私の背中を我が子が撫でながら


「先生、お薬です。お医者さんも言っていたではないですか。無理はしないで、安静にしてくださいって。」


私は、ありがとうと言うと、薬を飲んで横になった。


― あの後、私は、園田さんの意志を継いで、音楽の道で一人でも多くの人を幸せにしようと、本当の素人からだったが、まさに血の涙が出るくらいの努力と園田さんの心の力のおかげで、音大へと進学して、プロの道へと進んだ。多くの舞台を踏んで多くの人を感動させる音楽ができたと、年老いた今の私に悔いはない。しかし、私が、海外で公演するときにたまたま間違って入ったスラム街を見たときに、流石にショックを受けた。不衛生な環境でゴミ箱で残飯を漁る子供たち。盗みやドラッグで日々の生活を賄っている生活しているという現実。その後、私はいかに自分が贅沢な暮らしをしていて、その反対に多くの子供たちが日々の生活すら困難を極めているかという矛盾に悩んだが、このままではいけないと思って楽団を辞めて、暫く、一人で日本を旅をした。日本では、流石に残飯をあからさまに漁る子供はいないが、多くの子供たちが、一見裕福な日本でも実際に日々の食に困っているという現実に絶望と私自身の罪悪感が心に響いた。私は、道中、実際に自分に何ができるのか、自問自答しながら、旅を進めていった。そして、とある関東圏にある乳児院が目についた。私は運命に促される様に、その門を叩いて、職員や子供たちの話を聞いて、いかに子供たちがないがしろにされ、前途有望な子供たちの未来が暗く閉ざされてしまっているのを聞いて、私はそこの院長に話をして、ボランティアだけでもいいので手伝いたいと申し出た。そして、履歴書を書いて欲しいと言われたので、私の名前を書いて履歴書を院長に提出すると、院長は、二度三度履歴書と私の顔を繰り返し見た。院長は、それなりのオーケストラ愛好家で私の名前を知っていたのだった。そう、突然消えた音楽家というのでオーケストラ界隈では、あることないこと騒いでいた時期があったらしい。そんな中の、ボランティアの申し込みで、院長はなぜボランティアがしたいのかを聞いてきた。私は、これまでのいきさつと想いを素直に話すと、院長は深く頷いてむしろこちらこそありがたい話だということで、そこから私は、その乳児院に働くことになった。私は、音楽家時代に貯蓄していたし、独り身でもあるので、お金に困ることはなく、当分はボランティアとして、赤ちゃんから、3歳児までの子供たちの世話をした。はじめは、おしめのつけ方や、寝かせ方など苦労したが、次第に、子供たちの世話ができるようになった。そんな、ある日、子供に寝かせ歌を歌っていると、私の今までの音楽家としての経験が育児に活かせないかと思いついた。私は、すぐにカリキュラムを作り実行するとかなり子供たちに好評でこれが契機となり、本格的にそこの乳児院で働くことになった。そこらから数十年、私を採用した院長引退するとき私を後継者に選んで今に至る -


「先生、今夜、珍しく雪が降るみたいですよ。」


と、我が子はにっこりと私に微笑んでいた。この子は、ここの乳児院の出身で小さい頃は私が実際に世話をした。そして、恩返しをしたいと成人した時にここに職員として帰ってきたのだ。私は、結婚すべき人は園田さん以外いないので結婚する気もないので子供もいないだろうと思っていたが、この乳児院を通して多くの我が子を育てて、見守ってきた。


― 僕は、ちゃんとできたかな?園田さん、君の分まで生きてこれたかな? -


ちらほらと、珍しく舞い落ちる粉雪を見て、かつての光景が再び瞼に浮かぶと、自然と涙を流れてきた。


「先生、泣いてどうしたんですか?え?先生!先生!返事してください。」


― 園田さん、僕はできる限り頑張ったよ。ちょっと疲れたな…園田さん、もう十分だよね、そっちに行くね -


                                < 了 >

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悲しみの果てに~涙に濡れた足跡を辿って~ スカサハ ランサー @emile_dead

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