神棚と祠

nanana

神棚と祠


 はて、と。男が大層困惑した様子で首を捻ったのは、内見もつつがなく進み、いよいよこの家屋に住み始める未来の自分達の姿を具体的に思い描こうかと、思案を巡らせ始めた矢先のことであった。


 間取り図を見た限りでは気付かなかった、二階へと伸びる階段下の狭い空間。そこに、小さな神棚がそっと鎮座していた。


 住み替えの検討理由は、いささかありきたりなものだった。つまり、新たな家族の誕生である。元々そんな予定が人生設計に組み込まれていた訳でもなかったが、元気盛りの長男に加え、更に新たな住人を迎え入れるのに、今の住まいは些か手狭が過ぎた。とはいえ。人生の選択に伴って先立つ物が振って沸くでもなし。妥協と言うほど後ろ向きでもないまま、現実的な取捨選択の結果として、中古物件に的を絞ったのが半年程前の話。

 そして今日。数多の聞き取り、内見を経て辿り着いたこの家屋こそ、求めていたすべての要項を満たした、まさしく理想郷である様に思えた。築年数こそ僅かばかり嵩んでいるが、経年による各所の痛みを差し引いて余りある魅力を備えたその家に、男だけではなくその家族も一様に強く惹きつけられていた。

 家族の気持ちは半ば以上既に決まっていた。件の神棚の存在が詳らかになったのは、丁度そんな頃合いであった。

 前の住人が商いでも営んでいたのか。それとも単に神仏に対して敬虔であったのか。埒の開かぬ堂々巡りはしかし本来、それほど重要な話ではない。

 正味な話、気持ちが良いとは言い難い。如何に信心深い者であったとて、見知らぬ他人が管理していた神棚を引き継ぐ事への抵抗は当然のもので、無神論者然とする男にとっては尚な事。

 とは言え。その存在を理由として断念するには、その家の魅力は大き過ぎた。


「後日、ご住職様にお願いして、供養して頂けば良いのではないですか」


 妻もまた男と同じく、神仏に敬虔であるとは言い難い人物であった。故にその感性は些か以上に緩慢で、本来嫌悪の念に身をやつしてもおかしくない此度の事案に対しても、極めておおらかな言葉を吐くばかりであった。とは言え、家族の口からこうもはっきり忌諱に触れぬと明言されてしまうと、これ以上あれやこれと憂慮を重ねても自身の立つ瀬がないと。結局男は家族諸共、その家に住まう事を決めたのであった。


 さて。

 引っ越しの諸々も住み、ようやっと生活から慌ただしさが削ぎ落とされ、穏やかな日常へと昇華された頃。家では時折、不思議なことが起こる様になった。




「…山菜だ」

 ある日は。古めかしい山菜籠一杯の山の幸が、ぽんと脈絡なく置いてあった。不思議と見やればそれらは土に塗れ、つい今し方採ってきたばかりの様であった。男がなにかと妻に尋ねる。妻は妻で、それらは男が裏の山手から運び込んできたものだとばかり思っていたそうだ。

 また明る日は。庭先の雑草が人知れず手入れされており、忙しさにかまけて管理を怠ってしまっていた男を随分と驚かせた。

 そんな事が暫くの内、何遍も繰り返すものだから。いよいよ男と家族は、何かこの家には大層縁起の良い物が同居しているのではないかと考え始めた。そして、そうした考えの矛先が件の神棚へと向くのに、そう時間はかからなかった。男と家族は入居の折の不穏当等は忘却の彼方、出来うる限り神棚を大切に扱う様になった。


 そんな暮らしが過ぎる事十と余年。ある晩男は眠りの底、奇妙な夢の只中にあった。

 

 夢の中で男は、庭先に立っていた。

 夏の繁りの盛り、すっかり伸びた雑草共が目について、今年もそう言えばそろそろ腰を折って手入れをせねばな、と薄らぼんやり考えていた。すると、そんな男の考えを透かしたかの様に、せっせと庭の手入れに勤しむ姿があった。白髪の、老婆であった。

 見覚えの無い老婆の姿に幾分動揺していると、その姿が顔を上げて男を真っ直ぐに見据えた。そして一度、腰を折って深々とお辞儀をすると、大きく微笑みを浮かべた。呆気に取られる男に、続け様、老婆が口を開く。


 早く起きてあげなさい。ご家族が待っていますよ




 跳ね飛ぶように体を起こす。夢と現実の境界を確かめる猶予などない事に、男はすぐに気がついた。燻る煙と焦げた匂い。何処からか、火の手が上がっていた。



 後に聞いた話では、隣家の不始末が炎上したその飛び火が原因であったそうだ。結局家屋はすっかり焼け落ちてしまい、夜が明ける頃には黒く焦げた家の残骸ばかりが風に吹かれる有様であった。だが、男の落胆はそう大層なものではなかった。

 命があれば人生が幸福だと、男は考えてなどいなかった。生き延びたとて人生は続くし、失ったものの大きさを鑑みれば、今後の生涯が苦難に満ちる事は容易に想像がつく。それでも、男はそうした現実に苦言を呈す心持ちには到底なり得なかった。男を含めた家族は、かすり傷一つなく無事であった。


 その後の家族の行方は知れていない。幾つかの噂話が不明瞭なまま行き交うばかりで、実際彼等が後々に渡ってどう過ごしたかを計り知る術はない。


 ただ、後年。

 件の家の跡地にはいつからか、小さな祠が建っていた。祀られる神仏の真名すら不明瞭なその祠にはしかし、いつ見ても真新しいお供物が絶えず置かれているのだった。

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神棚と祠 nanana @nanahaluta

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