自作『文を遺す、彼方へ届く』完結いたしました。
特に煮詰まる事もなく、無事最後まで書き終えられたことに、今は一先ずほっとしています。
そもそも文章を書く事が得意でもない…というより得手不得手を論ずる程に経験が無かった中、勢いで発進した物語を…恐らくは酷く不恰好とはいえ…自身が納得出来る場所にて着地させる事ができました。よかった。
よかったついでに。書いた私自身が忘れてしまわぬ様に、この話を執筆中に感じていた事やらを殴り書いておきます。いつか誰かの目に触れるといいなぁ。
産み落とされる物語に貴賎はない。
作中で何度か出てくる言葉ですが、このお話で書きたかったテーマの一つでした。
技術的な事を論ずるならば。例えば私が書いた文章と…ここでは分かり易く『商業的な成果を得ている』という意味合いで…プロの作家様が紡がれた言葉には、これはもう抗い難く天地ほどの差が横たわっています。これは至極当然だと思います。数多の作品を批評する上で技術的な側面が勘定に入る事は当たり前ですし、逆にそこを評価されないことこそは不平等であると思います。
では、翻って。物語そのものについてはどうか。これは私は、すごく難しい話だと思います。
実際の所、陳腐と評される物語は存在すると思います。使い古された設定、擦り切れた表現、どこかで見た様な結末。読み手がそれらを酷評する事、それ自体は仕方が無いと思います。ですから、上記の言葉というのは結局のところ、気休めにもならない程度の薄っぺらな綺麗事です。
けれど。例えば陳腐と断じられた物語があったとして。だけどその物語は、書き手の方が心を込めて産み落とした物であるはずです。伝えたい何かを伝えるために。心を設定に、登場人物に…それらを表現する言葉に変換して、積み重ねた果て。築き上げられた物語がくだらないなどという事が、果たして誰に言えるのか。
私の作品の読者数は、極めて少ないです。結末まで読んでくださる方というのは、これはもう殆どいないのではないかと内心で危惧すらしています。それでも、紡いだ言葉がいつか誰かに届けばいいな、と思っています。そしてその相手が、私と同じ様に、多く読まれていない自作を抱き抱えている人だといいなぁ、とも思っています。
最後になりますが。
本作にハート、お星様をくれた全ての方への感謝を述べて、この駄文の締めとさせていただきます。
また次の作品でお目汚しさせていただける事を楽しみにしております。