鳥かごの鍵③

「──生き残りはこれで全員か?」

 少し高い場所から見渡すのは、20代前半程の青年だ。

 彼の傍らには例の少女。

 流石と言うべきか。およそ半数が減っただろうこの状況でも、二人は凛として指揮を取り続けていた。

「何人いる?」

「ざっと、んー……300はいるよ。大したもんだ」

 カナは感心するように告げる。対してオースティンの表情からは、悔恨が感じられた。

「相変わらず浮かない顔だね」

「俺は今日送られてくる兵の数を聞いている。……半数以上を失ったとなれば、笑っているわけにもいくまい」

「まさか、本当に新兵教育だったなんてね」

「そういう意図はなかったと思うがな。しかし、実地訓練になってしまったのは申し訳ない」

 青年は反省を示すが、カナはゆっくりと首を横に振った。

「あんたのせいじゃない。さっきも言ったでしょ、よくこれだけ残ったよ」

 二人が見下ろす先には、血で染まった男たちの姿があった。

 彼らは各々に震えるもの、祈るもの、憤るもの、と反応は様々だ。しかし、生き残ったことに対する安堵を感じているものは、いないようだった。

 それを察したのか、オースティンは一歩前に出る。

「はーい。皆さん、けいちゅー」

 カナが声をかけると、各々が二人を見上げた。

 それを数秒待って、オースティンは口を開く。

「俺はA-15部隊隊長、アル・オースティンだ。皆、よく生き残った。……まずはその幸運と精悍に敬意を示そう」

 その一言は、彼らを安心させるのには十分だったようだ。

 短いそれを理解し「生き残ったのか……」という感嘆が所々から聞こえてくる。

 周囲と肩を抱き合うもの。顔を覆って泣き崩れる者もいた。

 みな危機からの脱却を感じては、抱く感想は様々だ。

 その喧騒が収まるのを待って、オースティンは再度話し始めた。

「早速で悪いが、お前たちには今後、A-15部隊として共に戦ってもらうことになる」

 聴衆の反応はいまいちだ。

 おそらく言葉そのままに意味が分かっていないのだろう。

「残念ながら、今日駆け抜けた荒地よりもさらに過酷な戦場が舞台となる。先に言っておくが、命の補償などあるわけもない。死ぬ確率の方が高いだろう。しかし、やらなくてはならない以上、最善を尽くせと、そう命ずる。……ついては今後の部隊編成について副長より説明する」

 オースティンは早口で、しかしはっきりと告げる。

 気休めも言わなかった。

 二人が立つお立ち台。

 その周りを囲む男たちは、唖然として突っ立っている。


 「嘘」が他人を欺くための道具なのだとしたら、「真実」は人を信じるためのプロセスなんだとカナは思う。ありのままを語ることが、他人を信じる第一歩だと。

 しかしながらときに「嘘」は自分を、そして他人を守る為に働く。

 だからこそ「真実」もときに残酷だ。

 ときに真実は、自分を、そして他人を傷つけるために働く。

 でも、彼は――。

 オースティンは嘘を吐かなかった。

 すべてを真実で綴ったのは、彼なりの信念なのだろうか。

 カナはその隊長の横顔を見上げるが、いつも通りの凛々しいそれは、まさに隊長としての彼の顔だった。

 なんにせよ、私は自分の仕事をするだけだ。

 カナはそう反芻し、一歩前に出る。

 必死に自分を律するその苦労を、共感した瞬間になった。

「A-15部隊副長のカナ・アマミヤです。これからについて私から簡単に――――」


 カナの説明が終わると、兵士たちはみな緊張を解いて雑談を始めた。

 銃声どころか、軍靴の音さえ聞いたのが初めての者たちだ。彼らの面持ちは多様だが、なるべく明るく保てているのは、よくやっているというところだろう。

 そうして死線を乗り越えた兵士たちだったが。

 さて、そうなってくると次に始まるのは、この状況に対する論難らしい。

 彼らは現状を理解し、そして「受け入れるか否か」という選択を迫られていた。

 無論そこに「拒否」は用意されているわけもないが、その事実はまだ知らない。

 当然ながら湧き出す非難の数々は徐々にその勢いを増し。

 そして、やがて待ってましたと言わんばかりにそれが始まった。

 数人の成りたて兵士たちが、ずかずかとお立ち台のもとに集って来る。

 彼らはこちらが口を開くのも待たずして、言葉を荒げて二人の上官に詰め寄った。


「――おい、俺たちは飯と寝床をくれると聞いてここまで来たんだ‼」

「戦場で戦えだと? そんな命令に従う理由がどこにある‼」

「そうだ! ここに来るまでに仲間が何人も死んだぞ‼ どう責任を取るつもりだ?」

「そもそも、お前たちが何者なのかも知らされていない‼ すべてが不十分だ‼」


 口々に投げられる不満。

 ごもっともだと、そう思う。

 いきなり呼ばれて、仲間は死んで、そしてお前たちも死ねと。

 そう言われているのだから、カナであっても同じく非難するだろう。


 ――しかし、それが不正解であることも、彼女は知っている。

「言いたいことは分かるけど、そう喚いても仕方のないことが分かんない?」

 淡々と、諭すように告げる。

 ――わからないだろう。いまは、まだ。


 ――だからこそ、分からせる必要があるのだ。


 カナは深々とため息をつくと、ゆっくり隣の青年を見つめる。

 青年も軽く息を吐くと、渋々ながら頷いた。

「――俺たちを元の場所に帰しやがれ‼」

 詰め寄った男たちのうち、その一人がカナの足首に手を掛ける。

 凄まじい力だ。華奢な少女は引かれるがまま台から滑り落ち、男の足元に着地した。

 男たちは一気に少女を囲い込み、小さなリングが出来上がる。

 いや、それが議場になるのかリングになるのかは、まだ決まっていなかったか。

 しかし、おそらく議論の余地などあるはずもなく、そしてその方が合理的で好都合だ。

 それは勿論、少女にとって。


「……私は階級を説明したはず。そのうえでその行動が、どういう意味を持つかわかってる?」

「お前らで勝手に話を進めてんじゃねえ。……俺たちは兵士でも何でもない。従う通りなんかないはずだろ?」

 男は口角を上げながら近寄る。それは当たり前だろう。片手で持ち上げられる少女を相手にして、油断などはザルのように入ってくる。しかし、その後悔を知るときには、心の網も立派なコンクリートに建て替わっているに違いない。

「あんた達は兵士だ、上にそう言われたなら拒否権なんてないんだから」

 カナは諭すように言う。最後の勧告が近づいていた。

「いいや、違うな。俺たちは何も知らされずに連れてこられただけだぜ。お前等は上官でもなんでもないんだよ。……すぐに俺たちを帰せ。さもないと――」

「――さもないと?」

 いたずらっぽく微笑む少女に、男は青筋を立てる。

 3、2、1。


 ――そしてゴング代わりの鉄槌が合図となった。


 男は逞しい右腕を大きく振り下ろす。

 しかし、その質量は当たらなくては、ただの隠れ蓑に過ぎなかった。

 軽く跳ねた少女は着地と同時に視界の外へ滑り込み、男の腕に隠れるようにしてその脇をくぐる。少女を見失ったその男は、必死で首を振るが――勝負は既に決していた。

 背後に佇むその少女からは、余裕と慢心があふれ出ている。

 しかし、それを咎める理由も必要もない。

 カナは揶揄うように、トントンと男の肩を叩いた。然して反射的に振り返った男の顔面には、逆さに跳んだ少女の膝がめり込んでいる。

 これでノックアウトだった。

 退屈な試合だ、と少女は愚痴るが、その一連の所作は美しいと感じるほどだ。実際、野次馬の男たちは、皆があっけにとられていた。

 俗にエネルギーとは、質量よりもその速度が大きく要因となるらしい。

 身軽な少女の一蹴でさえ、その俊敏性を掛け合わせると、二回りも大きい男を気絶させるには十分というわけだ。

 男は勢いよく後方に倒れこみ、周囲に砂埃が舞う。

 3メートルは吹き飛ばされたその男は、ピクリとも動くことはなかった。

 歓声こそ聞こえてこないが、息を飲む音は所々から聞こえている。

 

 そうして生まれた静寂を上手く使わんと。

 離れた場所で眺めていたオースティンが「よし、これで――」と言いかける。

 然してその劇は終焉に向かおうとしていた。

 していたのだが――。


 劇の主役が誰なのかを、よく考えねばならなかった。


 カナは仰向けに倒れる男のそばまで、あえてゆっくりと近づいていく。

 その歩みは、周囲のやじ馬たちに恐怖と敬意を覚えさせるには十分だっただろう。

 しかし、少女が止まることはない。

 彼女はこれもゆっくりとレッグホルスターに手を伸ばし、ハンドガンをリロードした。

 さすがのオースティンもハッと台を降りるが、彼でさえその少女を制御できないことは知っている。彼の静止は、カナには聞こえない。

 少女はただぶつぶつと独り言を呟くだけだ。

 もっとも、周囲の兵士たちにはその声が聞こえてしまった。

「……もう何人も死んだんでしょ、ならここで一人死んでも、そう大差ないのかな」

 戦慄。

 恐れ慄く男たち。道を開けろと叫ぶ隊長の声は、さして意味がなかった。

 恐怖で足を縛り付けられたその群衆の中から、少女に近づこうとする輩はもう出ない。

 倒れた男と少女との距離だけが、ゆっくりと縮まるだけだ。

 そうして引き攣る男たちの顔を背景に。


 ――パァン‼


 カナは非情にも、躊躇いなくその引き金を引いた。


 火薬が弾ける音がした。

 文句を垂れるものは居ない。

 ――当然だ。

 彼らの震える口を持ってして、もうその少女に対抗できるはずもなかった。

 打ち抜かれた男の胸元には、黒く衝撃の跡が残っている。

 その紛れもない事実は、群衆に開いた口を閉じる方法を忘れさせる。

 小さな少女が握りしめる小銃はモクモクと真っ黒な煙を吐き出していた。

 駆け寄ってきたオースティンは、その様子を見つめ、そして小さく息を吐く。

 そうして開かれる口元は、意外にも安堵が滲んでいた。


「……脅しもいい加減にしておけ」

「なに焦ってんの、本気で撃つと思った?」

 ケラケラと笑う少女の様子も、現状にはあまりに不適切で。

 しかしその理由を推察できるものはこの場に居るはずもなかった。

「お前ならやりかねん、なんたってバーサーカーだからな」

 二人の会話は弾むが、取り囲む男たちは不安そうにその様子を傍観する。

 それに気が付いたオースティンは「空砲だ」と説明した。

 途端に周囲からどよめきとため息が漏れた。

 しかし隊長の表情は一転、眉を寄せるようにして少女を見る。

「お前、あんな至近距離で打つもんじゃない。空砲でも当たり所が悪ければ死んでいたぞ」

 男の胸元を触診して言う彼の口ぶりから、男の無事が保証される。

 倒れた男は一寸も動きはしないが、それでも目の前の二人を信じる他なかった。

 その少女はホルスターに銃を仕舞うと、ウインクをしながら青年兵に告げる。

「少しは痛い目を見てもらわないと、ね」

 それなら最初の膝蹴りで十分だろ。

 誰もが心の中でそう突っ込む。が、それを口に出すことが許されていないことは理解したらしい。カナは目論見通りと不敵に微笑むが、それはバーサーカーという通り名に説得力が増すばかりだった。

 そしてこれが好機といわんばかりに少女はオースティンの顔を見る。

 彼は渋々ながらに、それを了承した。


「――分かったと思うが、貴様らに選択権も拒否権もない」

 静寂の中、オースティンは告げる。

「理不尽に思うだろう。整理できない感情もあると思う。しかし、それがどうしようもないことは、もう分からねばなるまい。……少なくとも、分からされるよりは幾分かましだ」

 オースティンの口調は厳しく、しかしどこか同情のような感情も見える。

 その場の全員が、彼の言葉に言い返す術を持たず、みな何か言わねばなるまいと口を動かすが、聞こえてくるのは声にもならない掠れた吐息だった。

「……いきなりそんなこと言われても」

 どこかでそんな声が聞こえた。

 それは反抗でも非難でもなく、どうしようもない泣き言だ。

 しかし、オースティンはその一言も逃さない。

「――俺がここに来たのは十六の時だった。初陣では血と泥にまみれ、仲間の遺体を盾にして生き延びた。……二度目の戦場で初めて人を殺した。今でも覚えている。俺と同じ年頃の青年で、震えて引き金を引けずにいる彼の頭に、鉛の弾を撃ち込んだ」

 彼はそっと空を見上げる。

 周囲の聴衆は、何も言わずに彼を見つめていた。

「お前たちは、奇しくもここまで俺と同じ道を通っている。おそらく近く人を殺し、おそらくいつか『敵を殺せ』と誰かに命ずるだろう」

「……殺したくない」

 またもどこからか、心境が漏れ出す。

 しかし、オースティンの口上が止まることはなかった。

「お前たちはもう決まった道の上を進んでいる。その道を外れることはできない。外れた者は例外なく、人の道すら外れてしまう。……そういう奴らを山ほど見てきた」

 口の端が悔恨で滲む。

 隣に佇む少女の面持ちも同様だった。

 逃げ出そうにも、一歩でもその道を外れると、そこでは終焉が待ち伏せている。

 そういうことを知っている。—―見てきたのだから。

「――だからこそ、お前たちに残された選択肢は、ただ走り続けるだけだ。終わりのない道の末路、いつかあるかもしれないその道の終わりまで、全力で走るしかない」

 オースティンはまとめるようにそう言った。

 いかにも彼好みな抽象的な言い回しだったが、その真意はうまく伝わっただろうか。周囲は依然として呆然と、しかし意義を唱える声はもうない。

「先ほどの説明に合った通り、今日はこれにて解散だ。自身のテントに戻って、今晩くらいはゆっくり休むといい」

 隊長のその一声で、300人の兵士たちは各々に散っていく。

 逃げるようにも見えるその姿に、少女は何とも言えない表情を浮かべていた。



 そうして数刻後、辺りに誰も居なくなったころ。

 カナとオースティンは、倒れた男を一瞥する。

 しばらく見つめ合う二人の瞳は、互いに負けじと揺れている。しかし、ため息をつくのは、やはり青年の方だった。勝負はもう始まる前には決している。

「……お前、最期まで面倒を見ろよ」

「私に担げるわけないでしょ」

 漂々と告げる少女はどこか楽しそうにも見える。

 オースティンはカナを睨みつけるが、少女の方は「じゃ、お先に」とキャンプに帰っていく。そして、少女が走り去ったそのしばらくの後に、その後ろには大柄な男を背負って歩く隊長の姿がある。

 異様なその光景を周囲のひよっこ兵士たちは唖然と眺めていた。



 ――――時は巻き戻り、十分前。


 少女の指が引き金にかかった瞬間だ。


 ――パァン‼


 お立ち台より少し離れた瓦礫の丘。その麓に二人は腰かけていた。

 突如響いた発砲音は、血で濡れた荒野に響き渡る。

「――な、まさか⁉」

 リアムは唖然と音の鳴る方角を見つめていた。

 群衆でよく見えないが、周囲は静まり返り、その少女が引き金を躊躇いもなく引いたことを理解するには十分だった。

「撃ったのか、味方を……?」

 信じられないという呟き。

 しかし、隣に佇む少年はクスクスと笑みを浮かべていた。

「なにを笑っているんだ? 人が、味方が撃たれたんだぞ?」

 年下の少年は自身の弟に重なり、つい説教臭い口調になってしまう。

 しかしそんな言い草にも気にすることなく、ユイは「多分大丈夫だよ」と告げた。

「どういうことだ?」

「空砲だよ、乾いた音がする」

 ユイは確信を持った表情でリアムの方を見た。

「……空砲?」

「弾は出ていないってことさ」

 ユイはそう言うが、リアムは半信半疑で中央を見つめるしかない。

 その直後、静寂の中で隊長の男が何かを告げ、途端に張り詰めていた緊張が途切れたような感覚を覚えた。

 ユイは「ほらね」と笑う。

 対してリアムは拍子抜けしたと言わんばかりにただ目を丸くしていた。

「よくわかったな、割れるような音がしたからてっきり本当に撃ったのかと……」

「空砲っていっても火薬は入っているからね。多少の怪我をすることも分かっていたはずだから、あのお姉さんも実際少し癪に触っていたみたいだ」

「へえ、よく知っているな。……銃について詳しいのか?」

 得意げに話すユイを見ては、リアムは目を丸くして問う。

 その表情に気が付いて少年は「まずったな」と内省した。

 慌てて「ちょっとね」とごまかすが、特にリアムが言及することはない。

 少年は別の方を向いてホッと息をついた。

 あの銃声を聞いてすぐに、空砲であることに気が付いた。それは聞きなじみのある「人を殺す音」より幾分か軽く感じられるのだ。おそらく、あの場でそれに気が付いた者は、隊長の青年を除けば、ただ一人だけだろう。


 ――鳥かごのその内側に、鍵が迷い込んでいることにまだ誰も気が付いていなかった。

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鳥かごのリコシェ @Rurihari0031

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