ブラック新人社員研修と人事に「親に愛されてないよ」と言われて逃げた話

秋犬

ブラック新人社員研修と人事に「親に愛されてないよ」と言われて逃げた話


 こんにちは、秋犬と申します。黒歴史放出祭と言うことでひとつ参加させていただこうと思います。


 黒歴史と言えば思い出すのも痛々しい過去、ということですが、秋犬さんの一般的に厨二病というような思い出はそれほど面白くありません。それで、自分なりにどんな黒歴史があるかなあと人生の履歴を検索したときに「思い出したくない」と言えばコレ、というエピソードがあるのを思い出しました。


 黒歴史ということでまさしく「ブラック新入社員研修」とそこから始まる新社会人生活時代の思い出とその顛末と怖いおっさんの話。今でこそブラック企業という言葉は浸透していますが、このお話はその言葉が社会に出てきた頃のお話です。


 さてさて、秋犬さんが大卒で新入社員になった時のことです。今思えば自意識過剰のバカなねんねちゃんでした。バカなので内定がもらえず、とりあえず人員が欲しいと思われたとある大手サービス企業に就職します。バカなのでホイホイついていってしまったんですね。いやあバカでした。


 入社式の直後、新入社員はバスで山奥の貸し切ったホテルに缶詰にされます。だいたい100人かそのくらいいましたかね。「山奥で集団生活かあ楽しそう」と思った秋犬さん。同僚になる高卒社員3名と同室。これから2週間よろしくね! ……とはならず、秋犬さんはこの後嫌というほど社会の闇を垣間見ることになります。


 そんで研修が始まるのですが、秋犬さんの就職したサービス企業は接客業でした。翌日から朝礼でグラウンドに集められて集団運動、社訓の斉唱、そして体操。午前中は業務に必要な座学を2時間ほど。午後からは接客訓練と言うことで大きな声を出す練習。きびきび動く訓練ということで独自の訓練体操、そして大声で社訓を言う練習、社歌のようなものを歌う訓練。


 この大声を出す訓練、具体的には数十メートル先にいる教官に向かってデカい声を張り上げるというもので、ドレミファソラシドを4拍ずつ自分で拍子をとって叫ぶのですが、この際息継ぎを禁止されます。息継ぎをしないでデカい声を出し続けるとどうなるかと言えば、もちろん酸欠になります。拍子を取る際は太股を叩いてみせるのですが、酸欠状態で苦しい中太股をバシバシ叩き続けることになるので大きな痣ができます。もちろん喉も潰れます。潰れてからが一人前、みたいに笑われます。


 そして訓練体操ですが、ゆるゆるとしたラジオ体操やエアロビのようなものではなく、しごきのためにあるような運動でした。今思えばサーカスで鞭打たれながらダンスをするようなものですね。全身をふんだんに使うので筋肉痛が激しいのですが、それでも踊らされ続けます。


 それでいて、できない奴には教官からの恫喝もセットになります。腹筋を確認ということでお腹に拳を当てられ、全力で声を出すことを強要されます。人格否定、人権無視、ここはどこだ、戦時中か? というような光景。


「いらっしゃいませ!」

「もっと腹から声を出せえ!」


「いらっしゃいませ!」

「まだまだいけるだろ本気出せ!」


「いらっしゃいませ!」

「声が小せえんだよやる気あんのか!!!」


「いらっしゃいませ(ガラガラ声)!!!」

「最初からそのくらい出せよ」


 まあ2週間こんなんが続くわけです。最終日にはテストとか行って、屋外で酸欠になるほど意味のないドレミファソラシドを歌わされて、激しい痛みを堪えて訓練体操を踊らされ、それでも笑顔で「いらっしゃいませ!」を叫び続け、業務に必要な知識を覚えるどころではありませんでした。


 で、こういうのに参加したよというだけなら「それは大変な経験だったね」で終わるのですが、この研修のヤバさはここから始まります。「研修って必要な知識の習得とか動作を訓練するためにあるのではないの?」とお思いの方も多いと思うのですが、この手の「ブラック研修」の目的は知識の習得ではありません。簡単に言えば洗脳です。優秀な人材を育てるのではなく、ある程度人材を叩き潰して逃げ場所を無くすことがこの研修の目的なのではないでしょうか。だから山奥に連れてきてるんです、逃げることが出来ないように。


 さて秋犬さん、訓練自体は呑気に構えていたのですがここで問題が発生します。秋犬さんと同室の高卒女子3名のうち、ひとりが過酷な研修にダウンします。元からメンタルが不調だった彼女はそこから研修期間ほぼ寝たきりになります。秋犬さんはお姉さんということで必然的に彼女の世話を行うことになりました。なんで倒れた社員の面倒を同室だからというだけで同じ研修を受けている社員に任せるのだと今なら思います。今で言うとヤングケアラーですが、当時は何の疑問にも感じませんでした。


 ただでさえメンタルがすり減るような研修に加えてメンタル不調のよく知らない女の子の世話、このままでは秋犬さんのメンタルも死んでしまうと教官に相談しても「女のことはわからん」の一点張り。えぇ……。


 ちなみにやっぱり過酷な研修のため、倒れる女の子はたくさんいました。研修の後半になると、過呼吸で封筒片手にヒーヒーやってる女の子が廊下にごろごろ転がっていて「野戦病院みたいだな」と思ったものです。


 更に秋犬さんを追い詰めるように、なんと完璧に歌いきったはずの社歌のテストで不合格をもらいます。あとで理由を尋ねると「もっともっとやればもっとよくできると思った」とのこと。当時は悔しくて仕方なかったのですが、今思えば「こいつの心折っておこう」くらいの感じだったのだと思います。


 そして最終日のテスト。自分の至らなかった点を発表し、今後どうしていきたいかを即興で叫ぶというもの。酸欠、過度の筋肉痛、各所の痣、メンタル不調の人の世話、味方のいない秋犬さんは涙ながらに「わたしはぁ! もっとぉ! まわりのことをぉ! たすげよおとぉ! おもひまじだあああ!」と絶叫。立派な社畜の誕生です。おめでとう! おめでとう!


 その後「感謝」「仲間に支えられて」「更なる自分の成長を」みたいな日記を提出し、帰路についたわけです。業務内容の確認? そんなのあったかなぁ……? なお倒れた女の子は研修後にそのまま退職したと風の噂で聞きました。いろいろ大変そうだったけど、今は幸せに暮らしているといいなあ。


 さてさて、ここまで来てドン引きの方もいると思うのですが地獄はまだまだ続きます。バカ犬から社畜にクラスアップした秋犬さんは配属された場所でバカに暮らしていました。しかし、そんなバカにも限界がすぐに来ます。ただでさえ研修で叩き潰されているメンタルです。業務に関係なくどんどんメンタルは悪化していきました。


 主な理由は過酷な業務……ではなく同期入社の社員でした。彼女も元からメンタルが健康ではなかったようで、研修時からいろいろトラブルはありました。しかし秋犬さんも頑張っていたので、ひとつひとつのトラブルと仕事を切り離そうと頑張りました。でも難しかったのです。病院とか退職とか過るくらいには追い詰められました。実はこの辺、何があったのか具体的にあまり思い出せないんです。ただすごく面倒くさいトラブルが多発していたのは覚えているんです。


 ここで今なら「嫌なら逃げろ」という言葉が出てきそうなのですが、先ほどの研修を受けているとまず「逃げる」という選択肢が奪われます。何とかこの組織の中でやっていこうと思っちゃうんですね。実際新入社員は一律で借り上げの社宅に入れられて、半ば寮のような生活でした。入社から一か月くらいでそんな社宅から飛んだ同期がいたのですが、今思えば賢い選択でした。人を人と思わないところにいてはいけないのです。


 そんな相互監視状態っぽいところで病んだ秋犬さんのところに、定期的に行われるという人事の面談がありました。秋犬さんは真っ先に彼女とのことを相談しました。すると人事のおっさん、人が良さそうな面でこんなことを言いました。


「秋犬さんにご家族は?」

「父と母と、兄弟がいます」

「秋犬さんは長女ですね、ご兄弟はどんな感じですか?」

「いわゆる、手がかかるというタイプでした」

「そうですか、秋犬さんは愛されてなかったんですね」

「どうしてですか?」

「だって秋犬さん、今の会社に不満があるんでしょう? それは今まで愛された経験がないからだよ。お母さん、ご兄弟のことばっかりで秋犬さんをちゃんと見てくれなかったんだ。わかるよ、寂しかったでしょう?」


 今なら「うちの家族は関係ねえだろ! てめえの雇ったバカ女のせいでこちとら迷惑してんだよ!」と言えるのですが、当時の秋犬さんはバカで自意識過剰な社畜のすり減りメンタルだったためにこの言葉がすーっと入ってきてしまったのです。


「どうだい、会社は君を守ってあげよう。だから実家に帰るなんて言わないで、もう少し頑張って働いてみよう」

「はい! わがりまじだあああ!」


 結局守ってくれなかったのですがね。


 そして当時いろいろメンタルクリニックを探して行ってみたのですが、医者に「人間関係の問題解消はボクには出来ないので薬飲んで寝ててね」と言われたのが印象に残っています。まあ、そうなんだけどさあ……。


 それで病んで病んで、休日はわざわざ横浜駅まで出て行って、西口のビブレの脇にあったミスドでぼーっとカフェオレをおかわりし続けてました。なんか、人の多い場所にいたかったんですね。当時のポイントでもらったミスドのマグカップは今でも使ってます。そのとき隣のパチンコ屋でエヴァ打ったら閉店まで当たり続けて8万くらい儲かったのも思い出です。その次は残念ながらなかったので、パチンコなんてそんなものです。結局マイナスになってますんで……。


 その後、結局その他の要因等でいろいろ我慢できないために会社を辞めることを決意。転職活動を開始した直後に、ちょうど申し込みをしたところから「急遽人員が足りなくなって、なるはやで来れる?」と打診が来ました。そういうわけでサクっと退職しました。転職とあっては会社も引き留めることができませんからね。


 しかし、秋犬さんの心には風穴が空いたままでした。


『あなたは愛されていなかったんだね』


 その後実家から通える距離の場所に転職したために実家へ戻ったのですが、もちろん親とうまくいくはずがありません。何かのきっかけで秋犬さんは人事のおっさんに言われた言葉を母ちゃんに言ってしまいました。


「愛してくれなかったくせに、偉そうなこと言わないでよ」

「はぁ!? 誰がアンタを愛してないなんて言ったの!!」

「前の会社の優しそうなおじさんに言われたんだ!」


 まあ、母ちゃん怒る怒る。


「なんだって人様の大事な娘を預けてやったってのにそんな変なこと吹き込むんだ! あんたもアンタだ!! 母ちゃんよりも知らないおっさんの言うことを真に受けるのか!! 誰がアンタを愛してないって!? 冗談じゃない、そのおっさんの言うことを信じるならいますぐ出て行け!!」


 実際にはこう言っていませんが、こんな感じのことを言われました。そりゃね、メンタル病んだ娘が帰ってきて「お前に愛されなかったんだ」なんて言われたら母ちゃん激怒するわな。もうね、めちゃくちゃ怒られた。それでやっと「ああ、洗脳されてたんだな」って気がつけました。


 後になってわかったのですが、洗脳の手段として逃げ場をなくすというものがありまして秋犬さんはそれにひっかかっていたようです。例えば物理的に山奥に隔離するとか、今回のように家族を悪者にして関係を断たせるようにするとかですね。

 

 例えば、例の新人研修で徹底的に人格否定と無力感を叩き込まれます。「声が小せえ!」「真面目にやってんのか!?」と毎日毎日罵倒され、何をやっても褒められず、最終的にメンタルが悲鳴をあげたところで「よし、お前はやればできるじゃないか」と声をかけられる。するとメンタルがすり減った人には福音のように感じてしまう。「これよこれ、ダメな私はこれに縋るしかないの!」とモードが変わってしまう。


 秋犬さんの場合、メンタルがすり減ったところに「生育歴の全否定」をぶっ込まれたようです。何も知らずにこれに抗える人はいないと思います。「あんたは実は親に愛されてなかったよ、だから今苦しいんだ」はかなり危険です。本当に親に酷い目に合わされた人もいるので難しいところですが、こういう言葉をかける人の中には搾取目的の人もいるということは念頭に置いておいてほしいと思います。


 さて、秋犬さんはなんとか無事に両親と関係を修復できました。その後転職先でまたものっそいパワハラにあってガチで病院行きになるとか、例の彼女は社内にゃんにゃんが発覚して処分されたらしいとかいろんな話はあるのですが、この辺は全体的に「思い出したくない」話ではあります。


 ちなみに両親と仲直りした後に某チェーン店のブラック研修動画が話題になり、テレビで流れる度に「これ! これやった!」と両親に嬉しそうに報告する秋犬さんがいました。やっぱりバカでしたね。


 多分この企画は「黒歴史なんかみんなで笑い飛ばしちゃおうぜ!」という主旨のものなのだと思うのですが、「やっぱりフィクションより事実の方が怖いな」と思ってもらうのもアリかなと思って書きました。今でもこの経験は自分の作風に存分に出ているのですが、やっぱりあの人事のおっさん以上の恐怖はなかなか表現できないでいます。


 ある日突然「愛されていなかったよ」と人は繋がりを断たれて、必要ないのに家族と切り離されるのかもしれない。そして意図せず完璧に壊れるまで言いなりになり続ける。そんな未来があったかもしれないと思うと、やっぱり逃げられるときに逃げたほうがいいと思うのです。とりあえず逃げてからその先は考えよう。今の私に言えるのはこんなことくらいです。


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