スライドショー
秋色
Slide show
「見て、ここ」
夏鈴はGoogleマップの一点を見つめて言った。
「ローズガーデンハイツってあるでしょ? 私が子どもの頃に出来たの。もう築何年になるんだろ? 十四年? まだあったなんてね」
その春の午後、夏鈴は夫の尚と一緒に新居を選んでいた。五月から、二人の故郷である地方都市で暮らすために。
ただどの部屋も決め手に欠けている。これと言う部屋が見つからないまま、午後の時間はどんどん過ぎていった。
その時、Googleマップの航空写真でローズガーデンハイツを見つけたのだ。
「ね、ここの不動産情報を調べてみて」
「やめとこ。そんなシャレた名前のマンションなんて、どうせ高いに決まってるんだから。……って、めちゃ安じゃん。この、月に四万二千円からって本当かな。2DKで?」
「一番安い部屋がって事よね? 平均はどうなんだろうね」
「わ、やっぱ他の部屋はそこそこだな。これはあれだ。つまり事故物件ってやつだろ」
「え? こんなに素敵な場所なのに? ほら見て。この写真の外壁のクリーム色。十才の頃、憧れてたのよ。お友達の家に行ったら、その途中の坂の手前に新しい五階建てのマンションが建っていて、それがこのローズガーデンハイツだったの。二階の端っこのベランダにブルーのグラデーションの植木鉢が置いてあってね。マンションの中庭が外から見えるんだけど、そこに薔薇園もあったの」
「なんたってローズガーデンだもんな」
「薔薇園の横にはブランコがあって、そこで女の子が二人、遊んでた。私達の子どももあんなブランコで遊ばせたいな」
「でもオレ達の間にできるのが女の子とは限らない。もしかしたらブランコなんかで遊びたがらない腕白な男の子かも」
「男女差別反対! 勝手にイメージで決めないでよ。男の子が生まれても、私は薔薇園の横のブランコで遊ばせたいの」
「ったく、イメージで決めてんのはどっちだよ。
でもまぁそんなに夏鈴が気に入るなんて珍しいよな。とにかく、今度の週末、このローズガーデンハイツの部屋を見に行くとしよ」
「本当? やったー! 尚君の転勤で、住む場所を変える事になったけど、もしローズガーデンハイツに住めるのなら運命を信じてしまうな」
***
話し好きの中年の不動産屋は、部屋の鍵を開けて、中を見せた。
「ほら、築十四年には見えない位、ピカピカでしょ? それに日当たりも良いし、見晴らしだっていいんですよ」
「ホントだ。しかも二階の角部屋だ。画像で見るのよりずっといいな。どう? 夏鈴、気に入った? なんだ、泣いてんのかよ」
夏鈴の眼に涙があふれていた。
「うん。何だか泣けてきたの。だってここ、初めてここを通った十四年前に目にした部屋なんだもん。当時住んでいた人は、ブルーのグラデーションの植木鉢か飾ってた……。それに昔、パパのパソコンで見た広告のスライドショーとおんなじ」
「ここのところ長く住んだ人はいませんでしたからね。ずっと空き物件だったから綺麗なんですよ」
「それなんだけど……ちょっといいですか?」
尚は不動産屋といったん部屋の外へ出た。「彼女には聞かせたくないんで、ここで。正直に言って下さい。この部屋は事故物件なんでしょ? でなきゃこんなに安いわけないですよね?」
「いいえ、違いますよ。この部屋は事故物件なんかじゃありません。前回の住人の方も、すごく住み心地が良いと言ってましたよ。残念ながら転勤で、一年しかいませんでしたがね」
「隠さないで教えてほしいんです。事故物件と言っても、三年経てば告知する義務はないんですよね。それに以前何かあっても、その後に一度でも他の入居者がいれば、事故物件の告知義務がなくなるって」
「いいえ。本当に違うんです。年数が経ってもお客様からのご要望があれば、必ずお教えしますよ。ただ本当に何も事件らしい事はなかったんですよね。なのに出るんです」
「出るって何が? え? やっぱそっち系?」
「何もなかった証拠に、このマンションが経った当時からこの二階の角の部屋だけ、幻が見えると言われています」
「マンションが建つ前は?」
「今は移転した郵便局がありましたよ」
「郵便局だったんだ」
「いずれにせよ、見える人と見えない人がいますしね。とにかくここで危険な事があったわけではないんですよ。たちの悪いものじゃないって話だし」
「え? まさか霊媒師にみてもらったとか?」
「いや、若いカップルで、女性の方が泣き出してもうここに住めないって言い出した事があるんです。そうしたらその女性のお祖母さんという方が田舎からいらして、辺りをくまなく見て回ったんです。霊感のある方とかで。そしてここにいる子は悪い子じゃないよって。キャンディを窓際に置いて帰りました」
「もうここ、立派な心霊スポットじゃないですか……」
その時、部屋から夏鈴が顔を覗かせた。
「どうしたの? 中、見ないの? 私、気に入ったからもう少しゆっくり見たいのに」
「ああ、見てていいよ。すぐ行く」
尚は溜息混じりに言った。
「本当は、妻が気に入っているから、ここに決めたいんですよね。妻の夏鈴はナイーブで、どの部屋を見てもなかなか気に入らなかったんですよ。子どもの頃に、新築した家に入る寸前で、父親の会社の倒産でダメになった事があったとかで。だから住まいに対する思いが強いんですよね」
「気に入られたのなら、ここに決めてみては? 実はさっきの話のキャンディ事件以降、そういう、何かが見えるって話は聞かないんですよ。キャンディが功を成したのかもしれないですし。あのお祖母さんのいう通り、悪いものではなかったのかもしれません」
「悪い子じゃない……か」
***
夏鈴は、部屋をもう一度玄関スペースからゆっくり見て回った。
キッチン、バスルーム、備え付けのクローゼット、バルコニー……と。
全て見覚えがある。昔、パパのパソコンで見たスライドショーの通り。
スライドショーの中で、キッチンにはイメージを膨らませるため、お洒落な外国製のフライパンやほうろうの鍋を置いていた。ほんの少しの現実味を加えるために。
バスルームの横のキャビネットには、清潔そうなタオルが入っていた。淡いピンク、ブルー、グリーン。その中のブルーがバルコニーの向こうの空に溶けていきそうだった。
ふと眼を閉じると今も浮かんでくるあの頃夢みた風景。
ある日、パパから、そんなパソコン広告を見るんじゃないと言われた。夢は破れたんだから、そんな自分のものじゃない夢にすがりつくのはやめなさいと。
それからは、パソコンを見る代わりに夜眠りにつく前、よく心の中でスライドショーを再現していた。まるで夢をみているかのように自分が思い描かなくても、自然と場面が繰り広げられていく。たぶん半分、夢だったのだろう。
玄関から入り、キッチン、バスルーム、明るいリビングルーム、隣の寝室に使う部屋へと。バルコニーからは薔薇園が見えて。何秒かごとに場面は変わっていく。
時に誰か他人の部屋のように寒々しく感じる事もあった。でもたまに南風が吹いたような温かさを感じる事もあった。
一度、夢の中で部屋中に甘い香りがした。まるでデパートの地下で売っている外国のキャンディの包み紙を開けた時のような香りだ。その香りは夏鈴を優しく包み込むような気がした。
今、ローズガーデンハイツの部屋を内見している夏鈴を誰かが見つめている。
部屋の隅。
そこにいるのは誰?
あれは女の子。
この部屋の精?
いや、あれは。
そうだ。あれは昔、心の中でスライドショーを繰り広げていた自分。そう気が付いた。
夏鈴は部屋の隅の孤独な少女に向かって言った。
――今に全てがうまくいくよ――
女の子は、凍えるようにしゃがみ込んで、周りの空間を見つめている。どこかうっとりと。家が貧しすぎてクラスで浮いていた頃の自分がいる。そして夜、寝る前にローズガーデンハイツのスライドショーを思い浮かべていた頃の自分が。
夏鈴は一人の部屋で声に出して言った。
――大丈夫。今にきっと全てうまくいくようになるよ。信じられないだろうけど。新しいクラスで、いつも笑っているような子と親友になって、いっぱいお喋りして、毎日が楽しくなって。
そうしたら成績も良くなって、大人になる一歩手前で、ぶっきらぼうだけど、とっても優しい青年と出会って、両思いになるの――
女の子は、聞こえてないような様子で、でもほんの少し瞳に光が灯って、頬がピンク色に染まった気がした。
それで夏鈴は付け加えた。
「そしていつか、その人と一緒にローズガーデンハイツに住む事になるんだよ」
〈Fin〉
スライドショー 秋色 @autumn-hue
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