タイムスリップ・ハウス〜あなたと過ごした日々

猫海士ゲル

未来が見える家

「あれは、なに?」


 妻の連載締め切りが終わった翌日、ちょうど僕も雑誌のコラムがあがった。

 クルマで30分ほど駆けたところにその住宅展示場はある。いくつものモデルハウスが居並ぶ一角に他とは異質な建物を見つけた。


「ドーム状の家って珍しいね」


 北限に住むエスキモーのイヌイットが住んでいる雪と氷で造られたイグルーを思い起こさせる。あまりに奇抜すぎるデザイナーズ住宅に「ここは日本だぞ」と独り言をいう。妻はそれを『僕が気に入った』と勘違いしたか「入ってみましょう」と手を引いた。


「これはこれは、どうぞゆっくり見ていってください」

 入り口に立つ小太りな中年男性は、ぴっちりした黒いスーツで出迎えた。

 普通のおじさんに見える容姿に「まあ、そうだよな。不動産屋が開催する普通の住宅展示場だもんな」と少し安堵する。


 受付を済ませると、男は僕たちを案内した。

 屋内は柔らかな照明に満ちていたが天井を見ても蛍光灯ひとつ付いていない。どういう仕組みなのか聞こうとしたら妻が感嘆の声をあげた。


 簡素過ぎるほど何もない部屋の中央に円形のテーブルが設置されていた。

 真ん中に紅い花瓶がぽつんと置いてある。挿してあるのは見たことのない球体の花だ。

 テーブルには向かい合うように椅子が置かれている。アクリル製と思われる艶やかでモダンなデザインの椅子だ。


「お洒落ねぇ」

 妻の感性は独特だ。人気漫画家とはそういうものなのだろう。

 はたして僕はどうか。ただ不気味にしか感じられない室内を見まわす。


 小説がまったく売れず親戚の編集長から情けで雑誌にコラムを書かせてもらっている三流の物書き。

 ふたりの能力の差は歴然だった。


 妻はテーブルのいっぽうの椅子へ腰掛ける。優雅に。気品高く。

 けれどすぐに彼女の顔色が変わった。慌てて立ちあがる姿に「どうしたの!?」と僕は声をかけた。


「ううん、なんでもない。たぶん気のせい」


 不動産屋の男は飄々としていた。こちらからの質問以外は喋る様子はない。ならば質問攻めにしてやろうと自分も体験すべく、僕は忘れかけていた男気を出して椅子に座った。



 すると世界が一変した。

 和やかな団欒の風景。妻が抱いているのは赤ん坊だった。

「あなた、梓織しおりが立ったのよ」

 そういって僕の前でを歩かせた。


 ぼくは状況の異様さに気づいて椅子を立ちあがる。

 目に入る風景が展示場に戻った。混乱する頭のまま男へ問いかけた。


 だが扱く当然という表情で「内見会場ですから」と答える。

 いや、答えになっていないだろう。

 するとまた男は「この家でお二人がこれからどう過ごされるのかを垣間見ることが出来ます」と答えた。


 意味がわからない。


 気味が悪かった。


 帰ろうとしたが、妻は「未来が見たい」と椅子に座った。

 男は僕にも「さあ、ご夫婦の行く末をご覧ください」と勧めた。

 妻は目を瞑ったまま楽しそうな笑顔を浮かべている。

 その姿に絆され僕も腰掛けた。




 先程の続きか……いや梓織しおりは小学生になっていた。

 テーブル席に腰掛ける僕へ百点満点のプリントを見せにくる。僕は思いっきり褒めてやる。




 また日が進む。

 テーブルを挟んで妻が激高していた。尋常では無いほどの怒りに僕は震え上がる。

 妻は僕が浮気しているという。そんなわけがないだろう。

 ファミレスで食事をしていたのは新人編集者だと伝えた。


 この頃、妻の人気に陰りがみえていた。彼女は終始機嫌が悪かった。

 僕の小説がちょっとした文芸賞に受賞したのも面白く無い様子だ。今まで「自分が家族を食わせている」とするプライドが折れかかっていたのかもしれない。




 さらに月日は流れ高校生になった梓織は年頃の少女らしく父親を遠ざけるようになった。朝の挨拶すらしないので少し𠮟ると「ウルサイ!」と逆ギレされた。


 妻はその光景をほくそ笑んで見ているだけだった。


 彼女の週刊連載はとうに終わり、月刊も今月に雑誌が休刊した。

 漫画家としての岐路に立ちながら何を考えていたのか知れない。小説家として食べるに困らない程度の稼ぎを出していた僕に嫉妬していることは態度でわかった。

 夜も一人で食事をすることが当たり前になっていた。




 梓織は大学生になった。

 生意気な口を叩くようになった娘はさらに成長し二十歳となり、気づけば晩酌仲間になっていた。

 妻は相変わらず口数も少なく家事もろくにやらないが梓織が間に入って取り持ってくれた。本当によく出来た娘だ。




 そんな梓織が結婚相手を連れて来た。大人しい真面目そうな青年だ。

 聞けば大手企業に勤めていて年収は僕より高かった。

 認めないわけにはいかない。


 その様子を静かに見ていた妻が突然テーブル席へ座る。

 戸惑う僕に「ありがとう」と嬉しそうに呟いた。

 どうやら彼のことは僕より先に知らされていたらしい。

 



 娘が去った家に新しく猫が迎え入れられた。

 テーブルに載ってチュールをおねだりする。当初は怪訝な表情だった妻だが、テーブルのうえで必死にチュールを嘗める猫に微笑むようになった。




 大きく育ったどら猫がテーブルのうえでふてぶてしく寝ている。

 老夫婦となった僕たちは柔らかな毛並みに触れながら梓織の話をした。

 夫と一緒に海外支店へ行ってしまった娘。向こうで産まれた孫と一緒に一時帰国するらしい。それが楽しみだ。




 ある日のこと、僕の小説が大きな文芸大賞を受賞した。映画化もされるという。

 妻の嫉妬が怖くて黙っていたがマスコミが大騒ぎするのだから彼女の耳にはすぐ入る。「あなた!」その声に恐怖していると「なぜ、黙っていたのよ。おめでとう」祝福してくれた。

 どうやら刻の流れは妻の心すら変えてしまったようだ。

 そのくらい永い時間、この家で過ごしてきたのだと初めて実感した。




 ああ、こんな幸せが続けばよかったのに。

 刻は流れ流れて家の傷みとシンクロするように僕の躰も悲鳴を上げ始めている。

 妻は寝たきりでこれまでのように、このテーブルに腰掛けなくなった。

 僕はテーブルから妻の寝ている部屋へ向けて声をかけた。


 返事がない。


 何度も声をかけた。


 寝ているのだろうか。


 テーブルをたちあがり妻の部屋へと急ぐ。




 そしてテーブルには僕しか座らなくなった。

 ひとりぼっち。

 けれどドアベルが鳴った。娘夫婦が帰国したのだ。孫はすでに高校生になっていた。


 嬉しい。


 嬉しい。


 涙が溢れてくる。

 この家で、このテーブルに腰掛けてもうどのくらいの月日が流れたのだろう。




 やがて僕の日々も朦朧とした世界へ変わる。

 妻の顔が脳裏に浮かぶ。ああ、僕もそっちへ行くよ。そこにはこのテーブルに見合うほどのものがあるのかな。






 僕はハッとして立ちあがった。

 不動産屋の男が「如何でしたか?」と問うた。

 テーブルの向こうには妻の驚いた顔。感謝だけ述べて僕たちは展示場を後にした。



 次の日、どうしても気になって再びあの家を訪れた。

 住宅展示場のなかにあの家はなかった。他の家で尋ねてみるが「そんな家は知りません」と嘲笑された。

 家が建っていたはずの場所。転々と雑草が生える土のうえに小さなプレートが落ちているのを見つけた。

 そこには「売却済み」とだけ書かれていた。

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