お部屋探しには風水って大事だと思うんですよ

否定論理和

東側には赤いモノを?

 今にして思えば、その日は朝から調子が悪かった。目覚まし時計の電池が切れていたせいで会社に遅刻しかけたし、いつもうるさい上司の機嫌が特に悪かったらしく朝から怒鳴り声を聞きながら書類作りをする羽目になった。


「この立地なら……無難ですが、東側には赤いアイテムを置くと良さそうですねー」


 挙句の果てがこの客だ。おっとりとした雰囲気を纏う茶髪の女性が、見た目通りに間延びした声で独り言を呟きながら、かれこれ1時間近くアパートの内見を続けている。いや、長いだけならば問題がない。これから長く住むことになる家を探すのだ、拘って選ぶのは何もおかしなことじゃない。女性の1人暮らしならば尚のこと慎重になってしかるべきだろう。問題なのは

 

「このアパートは龍脈の真上にありますからねー。的にはやっぱり気を高められるインテリアがいいんですよ」


 この、理解不能な基準で物件選びをしていることだ。いや、風水は知っている。中国が起源になっている占いや開運術のようなもので、特定の方角に特定の色のモノを置くと幸運になるとか……本当にその程度の大雑把な知識しか持ち合わせていないが、不動産営業なんて仕事をやっていればたまにはそういうこだわりを持っている客と出会うこともある。


 とはいえ超風水なんてものは聞いたことがない。


「ちょっと実際に置いてみたいなぁ……そうだ!」


 こちらが頭を痛めていることなんてつゆ知らず。彼女はスマホを取り出し、誰かに電話をかけはじめた。家族か恋人か知らないが、親しい知人を呼んでいるようだ。勘弁してくれ。美人の客を相手にできてラッキーだなんて浮かれていた過去の自分を一発殴っておきたい気分だが、できもしないことに思いを馳せてもしょうがないのですぐに思考を切り替える。


「今電話されたのは……ご家族様ですか?」


「はい?ああ、違います。お友達ですよー。ちょっと赤いインテリアを置いてみたくって……」


 持ってきてもらう、というわけだ。なるほどどうやら彼女は引っ越しにあたって格別に風水……いや超風水?を気にしているわけではなく普段から超風水を意識して生活しており、ついでに周囲を振り回しているようだ。


(友達であれ家族であれ、この人の周りにいる人たちは大変なんだろうなぁ……)


 顔も見たこともない、どれだけいるのかもわからない人々に対して同情の念を向けてしまう。というかそもそも人を呼ぶと言ってもそう簡単に来れるものなのだろうか?最悪の場合ここから更に数時間待たされるなんてこともあり得るかもしれない。いやな汗が首筋に流れたのとほぼ同時に、部屋の外からドタドタと騒がしい足音が聞こえてきた。


「姐さん!どうされましたか!!!」


 勢いよくドアを開けて部屋に飛び込んできたのはなんと形容するべきか、むしろ形容するべき言葉が少な過ぎて困るというべきか……


 呼びつけた張本人である女性とは正反対。オールバックの髪はびしっと決まっており、季節感を度外視した赤いアロハシャツの隙間からは何らかの入れ墨が見えてしまっている。いかにも高級品に見える腕時計を身に着け、丸いサングラスの向こうには鋭い眼光が覗いている。


 人を見かけで判断するのはよくないという倫理観が一瞬で無に帰すほど、清々しいまでにヤクザそのものの外見をしていた。


「赤城さん、早かったですねー。ちょっとそこの東側の窓辺に立ってもらえますか?」


「赤いものを置くって赤いスジモンもアリなんですか?」


 反射的に失礼なことを言ってしまった気がするが、どうやら無視してくれたらしい。赤城と呼ばれた男は何も言わずに窓際に向かって歩き出すとその場でなぜかボディビルめいたポージングをし始めた。


「いいですねぇー。キレてますねぇー。ちょっと脱いでみましょうかー」


 言われるがままにアロハシャツを脱ぐ赤城。するとおおよそ予測通りではあるがいくつもの銃創や刀傷、そして何よりも真っ赤な龍の入れ墨でデコレーションされた鋼の如き肉体があらわになった。


「やっぱり東側には赤いモノ、ですよね?不動産屋さん」


「赤いモンモンのスジモンまでは想定してなかったですねぇ」


 人間の思考というのはマヒするものなのだ。遠くなっていく意識の中で抱いたのは、そんな他人事のような感想だった。






「本日はどうもありがとうございましたー」


「「「「「「ウス!!!ありがとうございました!!!!!!」」」」」」


 あれからもう何時間経っただろうか。あたりがすっかり暗くなったころ、彼女はようやく内見を終える気になったようだ。気付けばもう6件目、1件見るごとに1人のペースでスジモンが増えているため随分物騒な大所帯になってしまった。


「私、この物件に決めました!今日はほんっとうに長々と付き合わせてしまって……本当にごめんなさい!」


「いえいえ……お客様に納得していただけるのが何よりですから」


 心底申し訳なさそうな謝罪に対して薄っぺらい営業トークで返しながら、パーティのスジモンをこれ以上増やせないから切り上げたのだろうかなどという雑念を振り払う。


「それでは契約は……もう遅いですし、ハンコとかも要りますし、また後日にしましょうか。」


 ようやく解放されるのだ、という安堵が自然と会話の流れを解散する方向に持っていく。彼女もスジモン達も特に不都合は無かったらしく一人、また一人とスジモン達が夜の街に消えていく。


 そうして最後に残った彼女が立ち去ろうとしたその時、急にこちらを振り向いて


「あ、そうだ!今日のお礼と言っては何ですけど……えーっとちょいちょいちょいのほどほど如律令!」


 なにやら呪文のようなものを唱えると、それ以上何も言うことは無く再び彼女は歩き出す。……最後まで、何が何なのかよくわからなかった。


「あ、会社に報告しないと……」


 否、最後というにはもう少しやることが残っていた。急激に意識が現実に戻された感覚だが、やはり心がマヒしてしまったのだろうか?いつもよりは軽い気分のまま、会社に向かって歩みを進めることにした。





 これは余談だが、最近無くしたと思っていた千円札が見つかった。久々に開いた小説に、栞代わりに挟まれていたのだ。


(彼女の呪文……あれ、何か効いたのだろうか?)


 だとしたら随分ささやかなおまじないだが、きっと何かいい効果があったのだろうと受け取ることにした。





 更に余談だが、彼女は契約時に「反社会的勢力と関りがないことへの同意事項」へサインする時若干の葛藤があった。頼むから、頼むから何事も無くあってくれよ。そう願わずにはいられなかった。

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