残り香

尾津嘉寿夫 ーおづかずおー

サイコウノヘヤ

 広さ的には全然問題ないしオートロックも完備、更に建物内ゴミ捨て場に、浴室乾燥機まで付いている。しかも築7年で駅まで徒歩5分――都内でこんな至れり尽くせりの物件が、なんと管理費不要で家賃8万円――でも……。


「申し訳ございません。別の物件にしていただけますか。」


 内見に連れてきてくれた不動産屋さんも、笑顔が引きつっている。


「本当によろしいのですか? これほどの物件、中々ございませんよ。もし、今契約しなければ、すぐに他の人に取られてしまうかもしれません。」


「大丈夫です。それよりも、家賃が管理費込みで8万円以下の物件をどんどん紹介して下さい。別に設備や築年数は気にしません。ただ、駅からは近いほうが良いですが……。」


 不動産屋さんは困り顔で、手持ちのタブレットPCを叩いた。可哀想に、私のような面倒な客に当たってしまったばかりに……。


 この不動産屋を利用するようになってから、もうすぐで1ヶ月が経過する。そして内見の回数は、先程断った部屋で12件目だ。


 私の担当となった不動産屋さんも頭を抱えているだろう……なんせ、どんなに良い物件を紹介しても断ってきたのだから。


 正直、良いなと思った物件はいくつもある。今紹介された物件もそうだ。しかし……。

 

「何か、こだわりがあるのでしたら、仰って下さい。その方が検索しやすいので。」


「大丈夫です。私のこだわりは家賃8万円以下。あと、新築じゃない方が良いですね。」


 不動産屋さん的には都内で8万円以下で”新築”の方が探しやすかっただろう。しかし、私は”新築ではない”方が良い。性格に言えば、誰かが過去に住んでいた物件が良い。


 暫くして不動産屋さんが私にタブレットPCを見せる。


「こちらの物件も家賃8万ですが……今、ご覧頂いた物件と比べると……。ここから近いので、今からでも内見可能ですが行かれますか?」


「行きましょう。」


 不動産屋さんは浮かない顔をしている。当然だ。恐らく、先程の物件が今提案できる最良の物件に違いない。


 であればこれから向かう物件は、同じ家賃で先程よりもランクの下がる物件だ。普通であれば、紹介しても契約して貰えないと考えるだろう。


 しかし私の場合は、その物件を内見しなければ分からないのだ。


「こちらの2階なんですが……。」


 いたって普通の5階建てマンションだ。ただ、線路沿いのため、電車の音がうるさいだろう。


 マンションの入口に目を向けるとインターホンが設置されており、入り口の上に警備会社のシールが貼られている。セキュリティは万全のようだ。


 入口の横の大きなごみ捨てかごが置かれ、デカデカと各種のゴミ収集日が記載されていた。


 マンションの中に入ると小さなエントランスがあり、エントランスの左側にエレベーターが1基ある。更に左へと進むと階段があり2階へと上がった。


 部屋の扉を開けると、平均的な一人暮らし用の1K部屋と言ったところだ。部屋の大きさは6畳――床や壁には、前に住んでいた人がつけたであろう、細かい傷などもあるが、まあ気にならないレベルである。


 そして、一際目を引くのがお風呂だ。一人暮らし用マンションにしては風呂が広く全面リフォームされており、ここだけ新築のようだった。


「こちらのお部屋はいかがですか?」


 不動産屋さんは浮かない顔だ。なんせ、先程の部屋と比べて全てが劣っている。恐らく、契約されないに決まっていると、心のどこかで思っているのだろう。


「以前ここに住んでいた人は、どのくらいの期間住まれていたのですか?」


「あまり詳しいことは言えないのですが、2ヶ月くらいですね~。」

 

「何故、そんなに短い期間で立ち去ったんですかね?」


「それは私共に聞かれましても……。お客様にも色々と事情があるんだと思いますよ。」


「では、前の前の方は何年くらい住まれていたのでしょうか?」


「これも個人情報なので詳しいことは話すことが出来ませんが、10年くらいですかね~。」


「変な話ですが幽霊が出たり、心理的瑕疵がついていたりはしませんよね?」


「そんなことはありません。」


「なるほど……じゃあ、ここにします。」


 不動産屋さんは驚いた顔を浮かべ聞き返した。

 

「よろしいんですか? 宇野(ウノ)様。」


◆◆◆◆


 私はこの春、大学を卒業し社会人になる。


 勤め先の会社は実家から通うには少し遠く、丁度良い機会なので一人暮らしを始めようと考えた。


 しかし、どうせ一人暮らしを始めるのであれば、様々な感情を感じたい。


 私には1つだけ他の人とは異なる特殊能力があった。


 それは、その空間の香りから、以前その空間を使用していた人を想像することが出来るのだ。どんな容姿で、どんな事を考えて、どんな生活を送ってきたのか……。


 もちろん人の多く集まる場所だと、様々な人の香りが混ざりノイズのような感じで特定の人を嗅ぎ分けることは出来ないが、マンションの一室程度であれば、以前に住んでいた人のことは簡単に想像できる。


 特に長い間住んでいた人のであれば尚更だ。


 私が二つ返事で契約をしたマンションの部屋、ここは最高の香りだった。


 以前この部屋に2ヶ月間住んでいた住人は女性だろう。


 初めの内は何かに怯えるように生活をしていたが、どうやら2ヶ月も経つと怯えは無くなり普通の生活を送っていたようだ。


 そして、彼女の前に10年間住んでいた住人は間違いなく女性だ。この女性が最高で、容姿はメチャメチャ可愛く、好きな男性に献身的な、まさに恋する乙女と言った感じだ。


 ここに住む前から片思いだったようで、この部屋で暮らすようになり2~3年後に恋が成就している。その後、彼女は彼を時々この部屋に連れ込み、幸せな生活を送っていたようだ。


 しかし彼女が最高である理由はそこではない。


 この女性、彼氏に浮気され、絶望の中この風呂場で自殺しているのだ。風呂場に入った瞬間、彼女の絶望が私の中に流れ込んでくるような――そんな香りがした。


 恋い焦がれる思いから幸せの絶頂へ、そして死に至るほどの絶望――。


 この全てを味わうことが出来る。


 こんなに素晴らしい部屋は他にない。

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残り香 尾津嘉寿夫 ーおづかずおー @Oz_Kazuo

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