悪いことができる部屋

みこ

悪いことができる部屋

 新居を選ぶのは、なかなかに難しいものだ。

 予算の都合、立地の都合、部屋数、水回り、などなど。

 舞香も、一人で暮らす家を探してもう2ヶ月になる。

 なかなか予算と希望の部屋というのが見合わない日が続いていた。


「確かに安かった……んですけど、ここで……合ってます?」


 その日舞香は、とあるマンションの一室を紹介された。

「はい、合ってます」

 にっこりと笑顔を向けたのはビジネススーツの男。

 柏木と名乗ったその男は、まだ20代であろうと予想のつく不動産屋だ。

 101とだけ書かれ、名前の付いていないポストから、大量のチラシと思われる紙束を引っこ抜くと、柏木は紙束を手に持っていたトートバッグに押し込んだ。

 101。

 確かに、そのポストにはそう書かれていた。それは、舞香が紹介されている最中の部屋番号だ。

 その紙束を、舞香は見てしまう。

 それは、ただの広告のチラシというわけではなかった。その紙束の殆どにはどれも、赤や黒の墨で書いた字で、『出て行け』だの『疫病神』だのが叩きつけるように書かれていたのだから。


 柏木は、見られていないと思っているのか、なんとも無かったような体で鼻歌を歌いながらそのマンションの101号室の鍵を開ける。何処にでもありそうな、銀色の鍵。

 そのちょっと高級なマンションに付いていそうな重い扉が開く。部屋へ、足を踏み入れる。


 舞香は、少しの緊張を逃がそうと、雑談を始める。

「今日はどうもありがとうございます、柏木さん。今日、お休みだったんですよね?」

「ああ、ははっ」

 柏木が振り返る。

「いえいえ。舞香さんも、せっかくの休日に御足労いただいて」


 その言葉に、舞香は眉を寄せた。今の今まで苗字で呼んでいたくせに、部屋に入ってからの名前呼び。突然それほそ仲良くなった覚えはなかった。


 カチリ、と柏木が壁のスイッチを入れたところで、舞香は異変に気が付いた。

 思っていたよりも、部屋が暗いのだ。

「暗い、ですね」

「そうですね。前の住人も単身者だったんですけど、明るいのが嫌いだったみたいで」

 そう言いながら、トイレや風呂場がある短い廊下を通り、奥の部屋へと入る。


 奥の部屋も、同じように暗かった。

 舞香は、キョロキョロと見回す。特に、変わったところはない。

 床はしっかりしたフローリング。右側に小さいながらも小綺麗なキッチンがある。右奥に扉。部屋が二つある間取りなのだ。

 左と奥にはカーテンが掛かっている。窓があるようだ。

 柏木は、そこでくるりと振り返った。

「電気は取り替えてしまって大丈夫なので。言っておいてくれれば、こちらで替えておくことも出来ますし」


 舞香があからさまにムッとする。

 カーテンが開けられない理由でもあるのか。これほど明かりが暗いなら、カーテンを開けて光を取り入れればいいのに。

 舞香は自然に見えるように窓の方へ歩いて行き、カーテンを開けた。


「………………」


 窓の外は、道路だった。

 景観が悪いからカーテンを開けなかったのだろうか。

 舞香が窓の端に指を掛け、開けようとする。

 しかし、窓はピクリともしなかった。


「建て付けが悪いようですね」

 すかさず柏木が言う。持っていたボードにチェックをする。


 これで、不審に思うなと言う方が難しいではないか。


 舞香は警戒しながら、隣の部屋を覗いた。


 隣の部屋は、真っ暗だった。

 戸惑っていると、柏木が明かりを点ける。

 明かりは、相変わらず暗い明かりだった。

 けれど、それだけではなく、舞香はギョッとする。


 目の前に置いてあったのは、大きな檻だった。大きな檻。人間が入っていても不思議ではないサイズの檻。

「これは…………?」

 柏木が微笑む。

「犬を何匹か飼っていたみたいで。突然檻なんてあったらビックリしちゃいますよね」

「……本当に、大きいですね」

 それによく見ると、床はタイル張りだった。床だけではない。壁も。壁は四方全てがタイル張りになっており、窓はないようだった。

 部屋の隅には、水を流すための排水溝がある。まるで、大きな風呂場のような部屋。


「タイル張りなんですね……」

 眺めながら言うと、柏木がおかしそうに笑った。何もおかしくなどないのに。

「やっぱり動物なんか飼ってると、部屋が汚れてしまうみたいで。掃除しやすいようにしたんでしょうね」

 それは一見あり得なくはない話ではあったけれど、それなら窓がない理由にはならない。


「ここは防音になってまして」

 防音。

 こんな怪しい部屋が防音だと、何かヤバい事をしていたのではないかと疑わざるを得なくなるではないか。

「どうして、犬の部屋を防音に?」

「犬はうるさいですからね。吠えたり。それに、楽器も何かやってたみたいですよ」

「……そうなんですね」


 柏木が持っている間取り図を見ると、確かに防音室と書いてある。


 前の住人は怪しい。

 けれど、舞香にとって、現実的に一番気がかりなのは、この柏木という男のどう見ても下心のある視線だ。


 檻、防音、窓のない部屋。


 この部屋は、悪いことをするのにとても都合がいい。


 そう、例えば、


「舞香さん……」

 舞香の背後から抱きついてきた柏木を……、


 バコン!


 裏拳からの、


 ガコン!


 蹴りで、血だらけにしてしまうとか。


「は!?」

 柏木は鼻と口から血を垂らしながら、床から舞香を見上げた。


 返事もできないくらいにやってしまうのがいいだろうか。


 舞香は柏木の首根っこを掴み檻の中に放り込むと、着けっぱなしになっていた大きな南京錠をガチャリとかける。鍵は見当たらない。


「なっ……、なんで……!ちょっと待ってくれよ!ここに居る事、誰にも知らせてないんだよ……!」


 舞香は、足に当たった間取りの紙が挟んであるボードと柏木のスマホを、スリッパでむぎゅむぎゅと踏みつけながら部屋を出ていく。


「はーあ」


 舞香はため息をついた。


 仕事をする時に便利そうな部屋だったのに、不動産屋があれでは契約できないではないか。


 血を流しやすそうなタイル張りの部屋に思いを馳せながら、舞香は次の部屋探しを始めるのだった。

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