SSRの事故物件
栗尾りお
第1話
「南向きでトイレ、風呂別。部屋は10畳。コンロは二口で収納スペースも広い」
40代の男が部屋を見渡す。その側にはスーツを着た20代の青年がいた。
訝しむ男性とは違い、青年の目はやる気に満ち溢れていた。
「はい!」
「壁も厚いし、独立洗面台もある。おまけに駅から徒歩5分で都心へのアクセスもいい」
「はい!」
「なんでこれで家賃3万なん?」
男の質問に元気よく答えていた青年が俯く。経験年数の浅さが露骨に出てしまった。
「……ですが、事故物件ではありません! そういう情報は伝える義務がありますので」
「でも、誤魔化そうと思えば出来るやろ? それに変に綺麗やねんなー。この洗面台も……ひゃょぁぁ!」
「どうされましたか⁈」
「女が! 金髪の女が鏡に映って! あかん! こんな所、居られへん!」
「えっ? あ、あの!」
腰を抜かした男が張り替えたばかりの床を這う。
靴を手に持ち、四つん這いのまま外へ。今の彼に二足歩行をする余裕はないみたいだ。
取り残された部屋で青年は鏡を覗く。
近づいたり、見る角度を変えたり。一通りの確認を終えた彼は首を傾げながら、外へ出ていった。
扉が閉まり、鍵がかけられた。外に出ても男のバカ騒ぎは止まらない。次第に小さくなる男の声が、この部屋との距離を証明してくれる。
行ってしまった。その事実を確認した私はその場に座り込む。
1人っきりになった部屋。数秒前まであった賑やかさはもうない。肩が小刻みに震えるのが自分でも分かった。
しかし、これは悲しさからくるものではない。
『あははっ! あははははっ!』
押さえ込んでいた感情が限界を迎えた。誰もいなくなった部屋で私は大声で笑う。
『「ひゃょぁ!」やって、「ひゃょぁ!」。
あははっ! あの発音どこで習うねん! マジであのオッサンおもろすぎ!』
張り替えられたばかりの床をバシバシと叩く。後日、物音がすると苦情を入れられるのだろう。
それを分かって私は騒音を奏でた。
『あーあ……しんどっ』
笑い疲れた私は立ち上がり、鏡を見つめる。髪を整え、表情筋をマッサージし、最後にニコッと笑ってみせる。
『……あかん、怖いままや』
鏡に写った地縛霊に私は肩を落とした。
傷んだ髪。釣り上がった目。青白い肌。外見だけで怖がられるのは生前と変わらない。地縛霊としてなら素晴らしい才能のはず。
しかし、そんなもの欲しくない。
ふらりと窓辺に近づく。
もう行ってしまったのは知っている。それでも、スーツの後ろ姿だけでも目に焼き付けられたのなら。
柔らかい日差しに身を焦がしながら外を見た。
肌を突き刺すこの感じ。幽霊の体に直射日光は良くないのだろう。それを知った上で我慢する。
彼が運転する不動産の名前がプリントされた車。内見の際に停めていた車はすでにない。
『いやいやいや、別に恋とかとちゃうし? 別に気付いて欲しいとかじゃなくて……応援的な?……そう! 応援したいだけやから!』
窓辺から離れる。その肩が下がっていることに気付いた私は、元気な独り言で虚勢を張った。
どんな相手にも優しく、謙虚に振る舞う。それは素敵だが、同時に臆病者の餌食となり得る。
誰かを虐げることでしか、自己を肯定できない臆病者。それに耐える姿を知っているからこそ凹んだ時に応援したくなる。
初めはそれだけの感情だった。
鏡越しにしか写らない。声も伝わらない。彼に触れることも出来ない。
鏡に写り込んで伝えようとても入居者希望者に先に気付かれる。
壁にシミでメッセージを残そうとしたが、書きかけの段階で壁紙の張り替え工事が行われた。
生きる世界が異なるのなら、諦めるしかないのだろうか。
『いや、鏡越しに写る時点で怖いやん! 幽霊の容姿なんで関係ないやん! メッセージもどこの誰か分からん相手からもらっても怖いだけやし……もうアホ過ぎる』
日が差し込まない場所でペタリと座り込む。無理して張った虚勢も長くは続かない。
自己嫌悪に陥りながら、私はいつものようにコツンと床を叩いた。
「空き部屋から物音がする」
私の奏でる物音は苦情を呼び、苦情は悪い噂を呼ぶ。中には勝手に作られた噂もあるかもしれない。
様々な好条件が揃ったこの部屋は、事故物件として皆から認知される。
家賃に釣られて、立地に釣られて、霊の噂に釣られて。
理由は何でもいい。ここがSSRの事故物件であり続ける限り、彼に会えるチャンスはなくならないのだろう。
どうせ気付かれないのだ。このくらい許して欲しい。
彼の姿を思い描きながら、今日も私は怪奇現象を起こす。
SSRの事故物件 栗尾りお @kuriorio
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