前の住居人との生活

あがつま ゆい

前の住居人との生活

 2LDK、駐車場と駐輪場あり、南向きで日当たりも良好、風呂トイレ洗面所別でしかもトイレはウォシュレット、クローゼットや備え付けの家具あり、さらにはケーブルテレビやWi-Fiが開通済みで、その費用も家賃込み。

 それでいながら家賃は相場のほぼ半額で、敷金も礼金もなし。良い物件だ……そう『異常に』良い物件だった。


「……この物件なんですが、何かあったりします?」

「……ええ、あります」


 部屋を探していた青年がそう尋ねると、初老の不動産業者が重苦しい雰囲気の中、話し始めた。


「前の住人は若いカップルだったんですけど、彼氏が不倫をして子供を孕ませたとかしないとかで揉めに揉めて、彼女さんが彼氏を包丁で刺し殺した上に後追い自殺をしてしまったんですよ。

 それ以来『出る』って噂の物件でして。だからこの値段なんです」


 予想通り、いわゆる「事故物件」っていう奴だった。


「内見したいんですけどいいですか?」

「ええ、構いません。今からでもいいですよ」

「分かりました。じゃあ行きましょうか」


 2人は内見……実際に建物を見るために、その物件へと向かう事にした。




「……」


 問題の部屋はテレビやタンス、テーブルなどが備えつけられており、中身さえ持ってくればすぐに生活ができるようになっていた。

 血こそキレイに拭き取られていたが、かすかに鉄臭いのが気になる点だ。

 業者の説明を聞いている間、青年……北野きたの しょうは視線を感じていた。誰かが自分たちを見ているのを感じていた。


「部屋の説明はこんな所になりますけど何かありますか?」

「もう少し物件を1人でゆっくり見ていたいんですけど、構いませんか?」

「え、ええ。良いですよ」


 しょうは業者を先に外へと出させた後、クローゼットを思いっきり開けた。中には若い女がいた。

 腰まであるボサボサの黒髪に、落ち込んだ表情で、肌は白いというか「土気色」だった。服は白のワンピースを思わせるが、右半分は赤色……おそらく首の動脈を切ったせいで出た大量の血液で染まっていた。


「……何の用?」

「このまま話が順調に進めば4月から同居人になる人だよ。北野きたの しょうって言うんだ。よろしくな」


 幽霊相手でも気さくに話しかけるしょうを見て、彼女には大きな疑問が浮かぶ。


「あなた、私の事が怖くないの?」

「全然。オバケが怖いなんて子供じゃあるまいし。それに、彼氏ができるって事はそれだけの美少女だから同棲できるってなると嬉しいねぇ」


 しょうはいわゆる「重度のオタク」だった。オタクというのはホラー映画に出て来る怨霊を「萌え美少女」に変えてしまう人種である。本物の怨霊を前にしても全く動じなかった。


「び、美少女……褒めたって何も出ないからね」

「褒められたくて褒めてるわけじゃないさ。ま、縁があったらよろしくね。じゃ、今日は帰るから」


 しょうは内見を終えて帰ることにした。




 2週間後……例の部屋にしょうは荷物を持った引っ越し業者と共にやって来た。順調に荷物を持ち運び終えた後、先住人とお話だ。


「アンタ、本当に来たのね」

「うん、来たよ。こんな美少女と同棲なんて最高の船出だろ?」

「……バカ」


 彼女は顔を赤くしながら照れているのを隠すために視線をそらした。


「4月からは仕事が始まるから家を空けがちになるなぁ。食事はどうする?」

「要らない。あと家事は全然出来ないから。物は動かせなくて通過しちゃうから、したくても出来ないんだ」

「ふーん。する気はあるんだ、いい心がけだねぇ」

「バカ。答えて損した」


 その日の彼女はそれっきりクローゼットにこもりっきりだった。どうやらクローゼットは通過できるようで、ドアが閉まっているにも関わらず中に入ることが出来た。




 ゴールデンウイーク期間中、しょうは自室で使っているノートパソコンをダイニングキッチンに持ち込んだ。画面にはちょっと昔のとあるコメディ映画が映っていた。


「どうせ暇だよね? 良かったら一緒に映画観ない?」

「しょうがないわね。見てやっても良いけど」


 暇なのは知られているのか渋々見ることにした。


「プッ! ブハハハハ! 何これ! お、おかし……ヒ、ヒー! ヒー!」


 劇中のギャグがツボに刺さったようで、彼女は大爆笑していた。その様子は何かしらの未練があって現世にとどまり続ける幽霊とは思えないものだ。


「笑ってる姿も様になるねぇ、惚れ直したわ」

「……そんなこと言ってると私も本気にしちゃうからね」

「別にいいよ。オタクの中には『自分の笑顔が気持ち悪い』っていう奴もいるからねぇ。電源の入ってないパソコンやスマホに映る自分の顔を見るのが耐えられない、っていう奴も多いそうだよ。そうならないってだけでも恵まれているよ」

「そこまで言うかなぁ……ブッ! ハハハハハ! お、おかし……!!」


 次いで流れて来るギャグにまた大爆笑だ。




 時は流れ夏。TV中継されている隅田川花火大会をしょうは彼女と一緒に見ていた。現地で見るよりは迫力はないが、クーラーがバッチリ利いている室内という点では勝っている。


「花火大会かぁ。私、前に彼と一緒に見に行ったんだよね。あの頃は浴衣を着て行ってたから懐かしいなぁ。実家にはまだ浴衣はあるのかな? まぁ知る方法は無いんだけどさ」

「ふーん、浴衣姿か。それも良いな」

「ごめんね。もう浴衣姿を見せることが出来なくて」

「悪い事なんてしてないだろ。謝る必要なんてない」

「ありがとう。しょうは懐広いよね。私、しょうに会えてよかったな」

「そう言っていただけると男としては光栄だねぇ」

「言っとくけど、褒められたくて言ってるわけじゃないからね」

「もちろん分かってるさ」




 2人の仲はどんどん親密になるが、別れは突然やってくる。それは秋分の日だった。


「おはよう……!? どうした!? その身体!!」


 しょうがクローゼットを開けていつものように彼女に挨拶しようとしたら、彼女の身体はボロボロと崩れそうになっていた。左腕は完全に崩れ落ち、足も崩れかかっていた。


「今から勝手なこと言うけど、ごめんねしょう。お別れの時が来ちゃったみたい。

 私は愛されたかった。それが未練でずっとこの世にとどまり続けていたの……でももういい。しょう、あなたはこんな私をここまで愛してくれた。

 心が満たされる位に愛してくれたからもうこの世にとどまり続ける理由は無くなったの」

「でも、何で今日なんだよ!?」

「今日は秋分の日、お彼岸だからかな。お彼岸はこの世とあの世が一番近づく日で、この世の霊が一番あの世に行きやすい時期だからなんだと思う。

 それに、お彼岸限定であの世への入り口が開く。なんて言われてる事もあるのかな?」


 成仏しかけの彼女は、最期を家族に看取られ大往生するかのように、穏やかなものだった。


しょう。私の事、忘れな……じゃないな。私の事なんてさっさと忘れて、もっといい彼女さんを見つけてちょうだい。私に縛られるよりもその方が報われるかな。

 今までありがとう……じゃあね……さようなら」


 そこまで言うと彼女の全身がチリと化し、消えてしまった。



エピローグ 1年後



「ふーん、そんな事があったんだ」

「結構いい女だったんだがなぁ」


 しょうには新たな彼女が出来て、今日から一緒に住むことになった。

「私の事なんてさっさと忘れて、もっといい彼女さんを見つけてちょうだい」という遺言は「彼女を覚えているため」完全には果たせなかったが、新しい彼女は出来たから多分許してくれるだろう。


「ねぇしょう、その話を本にしていい?」

「え? あ、ああ。構わないけど原作者として俺の名前は載せてくれよな」

「はいはい分かってますとも」


 彼女は笑ってそう返した。

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