青春番外 ある夜に

部活動お別れ会……久賀根たきめについて



「ふぅ……」


 扉から出ていったポニーテールを見て、僕はほっと息をつく。


 ……なんとかなった。


 あの状況なら、出ていくのが最適だったはず。

 けれど何となく、彼女の声が疲れているように思えて……つい居座ってしまった。

 


「『くがねたきめ』……『帰宅眼鏡きたくめがね』、か。

 いくら何でもダサすぎでしょ、この偽名」


 …………そう。

 心理学者だの、日本大学だのと垂れ流していたあの駄文ろんぶんは、ウソなのである。



 ……まあ、全部がウソというわけでもない。

 『一生で出会う人が三万人、友と呼べる人はそのうちの30人』あたりは本で読んだことがある。

 それを見て、――つまり僕が、ひいおじいちゃんに聞いた事実も本当だ。

 それにしても。


「もっとまともな名前を言えばよかった………」


 思わず頭を抱えて下を向くと、机の上の消しカスが目についた。

 はらって、一応本の中も確認する。

 我慢できなくて本を――『日記を』閉じたとき、消しカスが出てきたのは本当に驚いた。

 この日記はあの時のままらしいから、カスが挟まりっぱなしだろう。




 日記を、もう一度眺める。


『びょういんの先せいはやさしいし、友だちもいっぱいできました。

 ぼくは小学校に行けなくても、とっても楽しいです』



「……まあ、ホントはあこがれだったけど。

 まさか中学まで見せてくれて……学ランも用意してくれるし。

 おまけに

 聞いてないよ――神様さん?」





 イスにもたれてひとりごつ。

 ゆりかごみたいにイスをぐらぐら揺らして遊んでいると、ポケットから何かが落っこちた。


「あ……」


 お気に入りだったアニメの、コラボ鉛筆。

 僕の数少ない所持品のひとつだ。

 拾い上げて、ポケットに……しまおうとして、何となく手を止める。

 開きっぱなしの日記に、丸まった鉛筆を走らせた。


「……『今日はクラスメイトの女の子と話しました。

 その子はとても優しくて、仲間を大事にする子です。

 でもちょっぴり、誰かの気持ちを気にしすぎてしまうみたいです。

 君の世界はもっとんだよ、と言ったら、少し吹っ切れたみたいでした。

 今度はあの子に、僕の友だちも紹介したいです』……っと」


 鉛筆を置く。

 ……こうやって毎日、書いていたっけ。

 懐かしむように文字をなぞって、

 一瞬、


「…………」


 刻まれた黒線が。

 綴った文字が、紡いだ言葉が。

 水がにじむみたいに薄くなって――消える。


「……前と一緒か。

 イレギュラーは認めないってわけね。

 神様も、お頭の固い」


 窓の外はもう、藍色に染まっている。

 夕方が……僕のが、終わる。



「ねぇ神様。

 次は――どんな思い出をくれるの?

 言葉で表せないくらいの思い出を、さ」



 返答が、来るはずもなく。



 誰もいない教室。

 オレンジ色の小さな光は、紺色の空に押し潰されて……音もなく、消えた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

三月学生卒業闘争 秋雨みぞれ @Akisame-mizore

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ