ボーイッシュよりボーイッシュ

蒙昧カルト

ボーイッシュよりボーイッシュ

 二週間ぶりに登校した新谷日向が以前と変わらない様子で、僕は少しほっとした。

 スポーティなショートカットがぱっちりした目によく似合う、底抜けに明るく可愛い奴だ。


「みんな、心配してくれてありがとう」


 以前より少し低いその声を、クラスメイトたちは拍手で迎え入れる。


「みんなも知っての通り、新谷はTS症候群で――」


 先生の言葉が僕の頭を右から左へ流れていく。

 TS症候群とは、突発的に性別が変わる国指定の難病だ。治療法はまだ無い。

 健康被害はまったくないらしい。要は本人と周囲が受け入れられるか否かの問題だ。

 もっとも日向は元から男勝りなところもあったし、この雰囲気なら周りも問題なく受け入れていくのだろう。


「――と、いう訳だ。それでは日直、挨拶を頼む」


 朝礼が終わると皆一斉に日向を囲んで、あれやこれやと盛り上がる。

 僕はそんな空気に馴染めず、教室の隅で遠くの空を眺めていた。

 日向の病気を受け入れられていないのは、たぶん僕だけだったのだろう。


 授業中も昼休みも、日向はとにかく話題の中心にいた。

 時間は刻々と過ぎ去っていく。

 結局僕は日向に声を掛けられないまま、一日が終わろうとしていた。


「それでは日直、挨拶を頼む」


 ホームルームが終わり、みんなぞろぞろと教室を後にしていく。

 掃除当番が準備を始めたので、僕も仕方なしに教室を出た。

 階段を降りて下駄箱に向かう。

 感傷的になっていたせいか僕の動きは随分とのろまになっていたようで、他の生徒はみんな校門の向こうにいる。

 燦々と輝く夕陽が眩しくてうつむいていると、ふと後ろから足音が聞こえた。


「ねえ、井口」


 僕の名前を呼んだのは日向だった。


「えっ、あっ、ああ……」


 口から漏れたぎこちない返事に、僕自身が小っ恥ずかしくなる。

 こういう時こそ自然な対応をすべきだろうに、まったくもって不甲斐ない。


「この後、時間ある?」

「うん、もちろん」


 この二週間、家と学校を往復するだけの毎日だった。

 久々の寄り道が少し嬉しい。が、やはり心の奥底がむずむずとする。


「どこ行くの?」

「そうだね……久々に駅前のカフェとかどうかな?」

「うーん、あそこちょっと高いんだよね。美味しいけど」


 だらだらと駄弁りながらローファーに足を通して校舎を出た。

 少し前を歩く日向の肩がいつもよりちょっと高くて、なんとも言えない違和感に襲われる。

 何か喋ろうと考えても、日常に混じり込んだノイズがそれを邪魔して思考がまとまらない。


「私が男になったって聞いた時、井口はどう思った?」


 突然、日向がつぶやいた。

 心の中を見透かされたような問いかけに、僕の胸は張り裂けそうなほど鼓動する。


「……分からなかった。次に会う時、どんな顔をすればいいのか。これからどんな話をすればいいのか」


 本心を告げれば日向を傷つけてしまうかもしれない。

 そう思って押し殺してた言葉が口を突いて溢れる。

 僕の答えを聞いた日向は立ち止まり、こちらを振り返って笑った。


「なんだ、同じこと考えてたんだ」


 ハッとさせられた。

 僕だけでなく日向自身も、まだこの病気を受け入れられていなかったんだ。

 周りに気を遣って平気なフリして、我慢できなくなって僕の前でだけつぶらな瞳を潤ませている。

 やっぱり日向は可愛い奴だ。


「ねえ、本当に行きたいところ、一斉に言おうよ」


 人差し指で涙を拭い、日向がこくりと頷く。

 少し間を置いて僕と日向が発した言葉は、一言一句ピタリと同じだった。

 お互いを見合ってクスッと笑いが漏れる。


「じゃあ、行こっか」


 日向が僕の手を引いて、また歩き始める。

 前よりも大きな日向の手。

 握り返す僕の手は、いつもよりほんの少し火照っていた。

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