ご縁があれば

かなぶん

ご縁があれば

 それは、今日のお供え分のみかんの皮を剥いていた時だった。

 何ともなしに見ていたテレビで、一般人には住みがたい家賃の高級マンションを内見するコーナーが始まり、(んな金あるなら、ウマいもんでも喰いたいねぇ)と思っていた老婆の頭に、ふと過る疑問。


 剥いたみかんを一房ずつ豆皿へ置きながら、相も変わらず、こちらをじーっと見つめる真っ黒な目を見る。まるでそうしなければいけない決まりでもあるかのように、骨と見紛う両手の指と目から上以外の全てをテーブルの下に隠した、同居者を。


 ――幽霊。それも、分類があるならば、怨霊と呼ばれる手合い。


 ひょんなことから共に暮らすことになった相手は、声らしき声は発さないが、何となく言いたいことが分かる雰囲気というか、気配のようなモノで、己の意思を伝えてくる。今も、じーっと見つめ続けていた自分を棚に上げて、何?、と尋ねてきている……ような気がした。

 このやり取りにもすっかり慣れていたため、疑問をそのまま投げてみた。


「いや、そーいやアタシも最初にこの部屋内見したんだよなぁって。でも、アンタは全然出てこなかったじゃないか。内見の時にぱっと出てきたら、他のヤツらをわざわざ追い払う手間も省けたんじゃないかと思ってさ」


 瑕疵物件ならば、さっさと分かった方が入居予定者にはありがたい。

 契約云々を交わす前なら、違約金を考える必要もなく、別の場所にとっとと移れるはずだ。――まあ、あの時点で行く当てのない老婆相手では、どちらにせよ今在る結果は変わらなかっただろうが。


 老婆の問いかけに、一度瞬きをした同居者は顔を振った。

 どうやら過去に試したことがあるようだが、うまく行かなかったらしい。

 この場所に来た人間を追い払う、ということ以外、己を知らない同居者だが、過去に薄ら同じように考えて行動したことがあったそうだ。

 それで分かったのは、この場所が住居として存在するようになってから、どうも自分という存在を知らしめる方法が限定されてしまったようで、ここと何かしらの縁を持った相手でなければ害せないという。


「ふーん?」


 豆皿に剥いたみかんを一房ずつ載せながら、生返事をした老婆は不意に首を捻る。


「あれ? でもそれじゃあアレは? あのガキには悪戯できただろう?」


 ガキ?、と言いたげな様子に「あのハゲだよ、つるっぱげの」と付け足す。

 瑕疵物件と知っていただろうに、どうせ老い先短い身の上だからと、親切心を装い、この部屋を紹介してきた丸頭。世間一般からすると中年の男だが、老婆とそれ以上を生きているらしい同居者にとっては、紛れもないガキである。

 それはそれとして、こうして今も格安で暮らしているなら感謝の一つでもするところではあるが、哀しいかな、あの丸頭は出遭いからこの方ろくなことを老婆の前でしておらず、真面目に隠す気もないので印象はいつ何時も最悪であった。


 同居者はしばらく思い出すための間を置くと、長い黒髪の間でギョロリと目を剥いた。――ああ、アレか。そうして薄い目蓋を細めては、両手の指を立てる。

 怒っているように見えて面白がっている様子に、老婆もニヤッと思い出し笑い。


 現在の住み心地はさておき、瑕疵物件を押しつけてきた恨みはそこそこあった。

 そのため老婆が依頼し、同居者が応じた当時、この部屋の住人でもない丸頭は、見事に同居者の悪戯の餌食になったものだが。

 一通り記憶をなぞって満足した同居者は、再び指を伸ばして黒い目を向ける。

 たぶん、望んでここの住人に関わろうとしたからだ、と――。


「……気味が悪い話はよしとくれよ」


 自分で振っておきながら心底嫌な顔をした老婆は、豆皿を壁に設置した黒縁の額の前に置いた。額の中の写真にはこの部屋の一画が映っているだけなのだが、老婆は神妙に手を合わせて目を瞑る。

 そうして同居者を再び見たなら、口をすぼめた顔に迎えられた。


「もしかして、酸っぱかったかい?」


 同居者のためのお供えだが、供え終われば老婆のモノ。

 そのまま口に入れたなら老婆も似たような口の形になる。

 これを見た同居者は「想像以上だ」と茶を啜る老婆へ怪訝に眉を寄せた。

 こちらの反応を見たくせに進んで食べるなんて。そう伝わる呆れに、老婆は負け惜しみのように言う。


「供えた後にどうしようとアタシの勝手だろ。それに、みかんは酸っぱい方が味が後まで残っていいんだよ。……でも、悪かったね。今度はりんごにしようか」


 その言葉に、同居者の目が珍しく老婆から離れて、玄関を向く。

 老婆が追って見た先には、安上がりと買ったみかんの箱。


「あれは……別にアタシの食いもんだからいいんだよ。ん? しばらくはアレでいいって? 今はりんごよりもみかんの口? なんだい、そりゃ」


 口をすぼめる同居者に老婆は呆れ笑う。

(勝手に買ってきて、勝手にお供えしているだけなのに。幽霊のくせに、気を遣っているつもりかい? 変なヤツだね、全く)

 言えば間違いなく、同居者からも同じように変なヤツと認定されるだろうことを、知ってか知らずか口にしなかった老婆は、残っていた一房を口に放り込む。

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ご縁があれば かなぶん @kana_bunbun

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