異境の森

 ちらちらと点滅するまぶしさを感じて私は上体を起こし、薄目うすめを窓の外に向けた。

 マイクロバスは森の中を走っていた。大木の枝葉の隙間から夏の強い陽射しが断続的に差し込む。

 道路にまでせり出したナラの枝葉の影と木漏こもれ日がリズムよく絡み合い、その光と影の反転の連続が私の脳内で音に変換され、白と黒のエイトビートの連弾となって私を眠りから解放した。

 ときおり、緩いカーブにさしかかり、遠い山々のシルエットが目に入る。

 下に目を向けると、まだらな木陰でできたパッチワークの道をバスはしっかりと踏みしめるように走り、その木陰を踏むたびに私は何か楽器の音を感じ、まるで異国の曲を聴いているかのような錯覚にとらわれた。

 時にリズムというものは視覚から入ってきても聴覚を刺激するものらしい。


 一方、バスの中はというと、一人残らずみな眠っていた。

 バスの中に目を向けてしまうと坂を上るエンジン音しか聞こえない。窓の外と内ではまるで別の世界だ。

 道は脇道へ入るたびにどんどん狭くなり、すれ違いもままならないところへと入って行った。

 大木の枝葉が道の両側から伸びてアーケードをかたちづくり、さながら森のトンネルをくぐって妖精がすむ国へと入っていくかのようだ。私はいつになく高揚した。

 そうして昼前にバスは目的地に到着した。


 その地に降り立った私たちは、森の匂いをまっさきに感じ、一斉に深呼吸をした。

 そして耳をすます。何か知らない鳥のさえずりを遠くに聞き、どこかで流れているらしい川のせせらぎを聞いた気がした。

 周囲は白樺だのミズナラだのいかにも別荘地らしい木々が遠くを見通せないほど立ち並んでいて、じかに太陽を見つけることも難しく、まさに避暑地にやって来たのだと改めて思うのだった。


 目の前に建つペンションが私たちのために貸し切られていた。屋根裏部屋がありそうな大きなとんがり屋根の洋館。雪が積もる地域の建物の屋根はこういうかたちが多いのか。

 そこに水沢先生を含む私たち十二人が招かれた。

 十二人とはまたいわくがありそうな人数だ。ここで最後の晩餐にありつくわけでもあるまい。

 しかし食事をとる部屋はいかにもそういう晩餐をとるようなつくりになっているのではないかと私は思ってしまった。

 玄関を入ったところ、少し暗いロビーにて泉月いつきとそのたちが私たちを待っていた。

 真っ先に出迎えてくれたのは私たちより一つ下の真咲まさき、三つ下の光輝こうきだった。

 真咲はやはり泉月によく似ていた。二人ともさらさらの黒髪ロング。真っ白な膝丈ワンピースを着ていてパッと見たら見紛うほどだ。泉月ともども良家の令嬢なのだと思い知らされた。

 しかし似ているのは外見だけで、性質は大いに異なることはものの一分でわかってしまった。

「みなさま、初めまして。東矢真咲とうや まさきです。ようこそいらっしゃいました」

 ワンピースの裾を少しつまんで膝を折りながら頭を下げる所作に私たちはうっとりした。

 何だこの異世界の住人は? お姫さまか?

「よろしかったら私とおともだちになってくださいまし」

「もちろんよ」真っ先に手を差し出したのはやはり和泉いずみだった。「お招きありがとう」

「よろしくね。真咲ちゃん」私も和泉に続いた。

 小学四年生の光輝は高身長の耀太ようたにまとわりついていた。素直で可愛い。こちらは年相応に感じられる。

「来てくれて嬉しいわ」泉月は相変わらずの能面だ。

 これでも嬉しがっているのだ。私は泉月の感情が少しはわかるようになっていた。

 その泉月の顔が一瞬にして固くなった。その視線の先から三十代後半と思われる和服の麗人が現れた。どことなく泉月や真咲に似ている。

「みなさん、いらっしゃい」

 そのうるわしの唇がかなでる言の葉ことのは調は誰のものよりも速く、確かに私たちの鼓膜に到達し、聴覚を刺激しただけでなく、脳髄に棲みついた。

「母です」真咲が紹介する。

 泉月の義理の叔母にあたる人物で名を東矢和紗とうや かずさといい、我が御堂藤みどうふじ学園の同窓会長だった。広報の写真でその尊顔そんがんを目にしたことはあったが、まさかここまで存在感があるひとだったとは。

 私を含め和泉まで目を見開き緊張のあまり平伏しそうになった。

 確か泉月とは血の繋がりはないはず。にもかかわらず泉月に似た顔に見える。泉月の叔父も父親も女性に関して好みのタイプが似ていたのだろうかと私は愚かな邪推をした。

「泉月さん、おともだちをお部屋に案内してさしあげて」和紗さんが泉月を促す。

「承知しました」

「みなさん、ゆっくりしてくださいね」言葉はやわらかいが有無を言わせぬ命令口調に聞こえたのは私だけではあるまい。

 それが私たちと泉月の義叔母東矢和紗さんとの初めての出会いだった。

 その頃の私たちはまだ幼かった。東矢家の女帝に立ち向かうだけの覇気すら持っていなかった。

 私たちはただ言われるまま、それぞれの部屋に案内された。

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追憶Reminiscence ―あかね雲― はくすや @hakusuya

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