【KAC20242】住めば都と人は言う

ながる

男爵、内見する

 都会は人が多い。

 懐かしいような、うんざりするような、少し不思議な感覚を味わいつつ、うつむき加減で歩いていた。

 ショールを被って、前を行く男爵の足元だけを見ていたのだが、その足が止まったのに気付くのが遅れて、頭で背中をどついてしまった。

 一応使用人らしく謝っておくべきかと顔を上げると、ホテルにしては品のない色の看板が目に入って思わず顔をしかめる。


「……ですか?」


 声が冷えるのも仕方ないだろう。まだ日も高いというのに、腕組みをして娼館を見上げる男を目の前にしては。


「こっちに移ってきてから来てないからさぁ。どんな感じかと」

「きちんと宿を取ってからにしてくれませんか」

「なんで?」

「私は微塵も興味ないので」

「うーん。それは困るなぁ。滞在中はここで働いてもらおうと思ってたから」

「は?」


 超低音になった声が聞こえたかどうか。男爵はのほほんとした調子のまま、「さあ」と言うように手を伸ばしてくる。

 その手を素早く掴んで背中へと捻り上げてやった。


「い……た、たたた! 痛い! 痛い……!?」


 ついでに足払いをかけて、地面に転がしてやる。膝で背中を抑え込んで徐々に圧をかけていけば、口から洩れる声も大きくなった。騒ぎに周囲の視線が集まり、娼館からも視線が注がれる。


「レヴ? あらあらあら」


 そんな声がしたかと思うと、数人の女性が娼館から出て駆け寄ってきた。

 ファーストネーム呼びとは、ずいぶん仲がよろしいようで?


「そろそろ着く頃だとは思ってたけど……こちらが、言ってたお嬢さんね? なるほど。腕が鳴るわぁ。頼まれた物は用意してあるから、チェックだけして頂戴ね? で。お嬢さん? あまり目立ちたくないのではなくて?」


 綺麗に整えられた指先が、私の顎をついと持ち上げた。長いまつ毛に縁どられたエメラルドの瞳がゆるく弧を描く。駄々っ子をなだめるような表情に、わずかに気を削がれたところで、両脇からするりと腕を絡めとられた。


「たぶん、誤解してると思うから、まずは中でお話ししましょう? レヴは内装を見て回ってればいいわ」


 両脇の女性たちからはいい匂いが漂ってくる。まだ地べたに転がってる男爵を振り返ってくすくす笑い合う様子には悪意はないが、客(それも一応貴族)に対する遠慮も忖度も無い。

 いくらでも振りほどける拘束ではあるけれど、ひとまず話とやらを聞いてみるべき?

 リーダー格の女性が先に行きかけて「ああ」と、振り返った。


「貴女に客を取らせようなんて思ってないから安心して?」


 笑いを含むエメラルドの瞳は、一度男爵に向けられて、戻ってくる。男爵も、そんなつもりはなかったってこと?

 振り返ってみれば、男爵はようやく起き上がって、半べそをかきながら腕をさすっていた。




 案内されたのは事務室のような部屋で、右腕を絡めていたが丸椅子を持ってきてくれた。

 左腕を絡めていた方は紅茶を淹れてくれている。しばらくすると、クッキーと共に机に置かれた。


「改めまして、館長のディタよ。レヴとは爵位を継ぐ前からの付き合いなの。今は彼、お客じゃないんだけど、世間的にはそう見えるかもしれないわね」


 疑問は湧くものの、あまり深入りしたくもない。私は穏便に暮らしたいだけだ。そっけなく「そうですか」と頷けば、宝石色の瞳の館長は意味ありげに微笑んだ。


「無駄なお喋りは要らなそうね? じゃあ、本題。レヴの滞在は二週間ほどになるかしら。ホテルは取ってないでしょう? ここで寝泊まりするつもりだと思う。貴女には滞在中、掃除とかベッドメイクとか、いわゆるメイド仕事をお願いするわ。基本、お客と顔を合わせることはないから、お互いいい条件だと思うのだけど?」


 なるほど。私があまり人前に出たくないということもわかっているのね。まあ、ここで引きこもっていても、パーティなんて参加したら、結局顔が割れちゃうんだろうけど。あんな大々的に情報ばらまきやがって……絶対みんな興味津々でしょ。どう言い訳するつもりなのか、楽しみなくらい。

 下手な手を打ったら、会場を血の海にして逃げてやる。


「それと、パーティ当日は私たちがメイクを担当するから、安心してね。レヴも「衣装とメイクにかけるお金は糸目をつけない」って言ってくれたから、みんな張り切ってるし!」

「え。どこにそんなお金が……」


 私を働かせるのは、帰りの費用を賄うためなんじゃないの?

 館長はふふと笑った。


「レヴ、貴女にはちゃんとお給金払ってるでしょ?」

「まあ、一応」


 でなきゃとっくに逃げ出してる(n回目)。


「使うべきところに使うお金はあるのよ」


 使うべきところを間違えてるような気もするんですが?

 そんな話をしているところに、噂の男爵が入ってきた。薄汚れて、とても男爵には見えないが、機嫌は良さそうだ。


「ディタ! 思ったよりいいよ! あの隠し部屋とか最高だね! 地下通路もちょっと浪漫あった!」

「んふ。酔った客が壁に穴開けたときにね、ついでにこっそり。滞在するつもりなんでしょ? お部屋は見た? みんなで高級っぽく飾り付けたんだから」

「心遣いには感謝するけど、部屋なんて眠れればいいから。僕には添い寝もいらないし、あのベッドはピアが使えばいいよ」

「彼女の部屋のベッドも同じサイズよ。安心して」

「さすがディタ。任せて良かった」

「でも、中も見ずに建物買い付けるのは、これきりにした方がいいわよ? リフォーム代も結構かかってるし」


 苦笑しつつ、肩をすくめる館長に、男爵は同じように肩をすくめてみせた。


「そうだね。まあ、必要があったから仕方ない。見ちゃったら渋ってたかもだし」

「その辺の勝負強さは相変わらずねぇ……」

「え。なに。ちょっと待って。ここ、男爵の持ち物なの!?」


 男爵はへらりと笑う。


「うん。建物はね。別宅みたいなもん?」


 別宅が娼館ってあんまり聞きませんが!?


「空けとくのもったいないからって、うちらが前のとこ引き払って入ることになったの。まあ、事情はそれだけじゃないんだけど……ピアちゃんはあんまり気にすることないかな」

「さすがに大声で言うことじゃないから、黙っててね」


 人差し指を口の前で立てて、にこにこ笑う男爵に呆れる。言わないし、言う人もいないけど、ますますコイツのことがわからなくなったわ!




*住めば都と人は言う おわり*

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