3話

 ――星名くん。


 今日の美波は口を開けばそればかりだった。楽しくないとは言わない。美波の隣にいられるんだからそれだけで幸せだと思う。


 でも、でもだ。それとこれとは別問題で、楽しいし、幸せだけどつまらないと思う。私の隣にいるときくらい私のことだけ考えればいいのに。


「あそこのお店入らない?」


 時刻は12時を過ぎた。お昼時だ。そうでなくても星名とやらの話はもう聞きたくない。


「なんの店?」

「わかんないけど、飲食店っぽいし」


 中に入る。外からはわからなかったが全体的に黒に近い茶色でまとまっていて、奥には小さいステージのようなものがあって、そこだけ床に赤いカーペットが敷いてあった。


「なんか雰囲気あるね!」


 美波は珍しいものを見るように店内を見渡している。


「2名様ですか?」


 店員さんの顔を見てこくりと頷く。


「こちらにどうぞ」


 店員さんは店内の雰囲気に会った茶色のエプロンを身に着けていた。


 席に座ってすぐ、机に立てかけてあったメニューをとる。表紙にカラオケ喫茶小鳥と書いてあって、ここがカラオケ喫茶であることがわかった。


「歌わないといけないのかな?」


 それを見た美波が不安そうに私を見る。


「歌わなくても大丈夫なんじゃない?」

「よかったー……」


 歌わなくても大丈夫とはいえメニューの端を見るとカラオケの点数次第で割引とも書いてある。

 これは高校生になったばかりの私たちにはかなり大きい。


 軽く辺りを見渡す。店内には人が少なく、いても年寄りが多い。これなら歌えないこともない。


「胡桃は何にする?」


 店内に向けていた意識をメニューに向ける。


 サンドイッチ、ハンバーグ、オムライス。


 見る限りはお昼ご飯に向いているものばかりでここに入って正解だったと安心する。


「サンドイッチにしようかな」

「じゃあ私もそうするー!」


 店員さんを呼んでサンドイッチと飲み物を頼む。


「なにか歌いますか?」


 店員さんが悪気のなさそうな顔で聞いてくる。


「歌います」


 私は美波を見ずにさっと答える。


「わかりました。今からですか? 食事後ですか?」

「今からでお願いします」


 私は席を立ち上がってステージに向かう。思い立ったが吉日だ。


 割引があるから、というのを差し引いたとしても美波にかっこいいところを見せたいなと思った。


 一度頭を真っ白にして軽く深呼吸をする。


 歌には自信がある。美波とカラオケに行くことは滅多にないけど1人で行くことは多い。




「歌上手いんだね!」

「ありがと」


 席に戻ると美波が目を輝かせて私を見てきた。


 点数は95点。


 歌い終わったあと年寄りの方や奥の方に座っていた高校生向くらいの子、美波がたくさん拍手をしてくれた。


 結構嬉しい。


「美波は歌わない?」

「胡桃の後だと誰が歌っても下手に見えちゃうから」


 それは嬉しいこととは言えない気がするけど表情を見る限り嬉しそうで私も嬉しくなる。


「サンドイッチ食べよっか」


 味は言うまでもなく美味しかった。少食気味の私たちにはちょうど良いくらいの量でその後お腹が空くこともなくゲームセンターに行ったり服を見に行ったりして過ごした。


 スマホの時計を見ると17時が過ぎていて、そろそろ帰る時刻であることがわかる。


「そろそろ帰る?」


 そう提案したのは私ではなく美波だった。


「うん」


 普通なら帰るには早い時間だと思う。でも、私達は幼馴染で家も近くてお互いの家を行き来することも多い。


 今日このあとだって美波は私の家に来るんだと思う。だから帰ることをためらうことはしない。


「今日楽しかった?」


 いつもは聞いてこない。なのになんで今日に限って聞いてくるんだろう。


「楽しかった」


 楽しくないわけがない。そう言いたいけど言える勇気は持ってないし持ってても言えない。


 でも、いつか言える時が来たら言いたいなとは思う。


 行きと同じ道のりをなぞるようにたどって帰る。


 美波との時間は短く感じるなと思う。別にそれが嫌とかそういうわけじゃないし、その時間をもったいないなんて思わない。


 だけど美波が同じように感じてないんだったらずるいと思う。


「胡桃の家寄っていい?」

「いいよ」


 私が「いいよ」以外言わないなんてわかってるはずなのに美波は毎回律儀に聞いてくる。


 それがひどく辛い。


「おじゃましまーす!」


 丁寧に靴を並べる。


「飲み物持ってくから先部屋行ってていいよ」

「わかった」


 緑茶をコップに入れる。美波は麦茶が苦くて飲めないらしい。

 いつだったか、それを知ったとき申し訳ない気持ちになったのを覚えている。


 自室の扉を開ける。


「おかえりー」


 美波はベットに寝転がっていた。


 小さい頃から私の家に来ている美波はいつからか遠慮というものがなくなった。


 嬉しいことではあるとは思う。でも、なんとなく理性が危ない気がするからなるべく美波に意識を向けないようにしている。


 少しくらい美波にも意識してほしい。


「ねえ、なんかおすすめの漫画ない?」


 美波は眺めていたスマホをしまって私を見る。


「これとか」


 私は本棚から最近買った漫画を取り出して渡す。それはスパイと心が読める少女と殺し屋の話で、ネットでおもしろいと好評だったから買ったものだった。


 美波が漫画を開いたのを見て私は静かに目を閉じる。


 この空間は私だけのもので、私以外の誰にも渡せない。渡すつもりもない。


 でも、もし星名と美波が付き合ったらこういうこともあるのかな。


 心の中が黒く染まっていくのがわかる。高校生になってますます好きになっている。

 私と美波はずっと近い位置にいて嫌なところだってたくさん知っているはずなのに。


 なのに、なんで。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

この百合は幸せになれない。 心臓 @Antare_s

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ