第8話

   5


 柔道場には毎日行ったが、授業には出なかった。

 練習が始まるまで自分のアパートで小説を読んだり昼寝をしたりして過ごした。ハードな寝技の練習は二浪の体にかなりこたえ、すさまじい疲労がたまっていた。北海道の野生動物を撮るために名古屋から持ってきた一眼レフカメラは一度もシャッターを押すことなく部屋の隅に転がったままだった。練習が休みの日曜日も、疲れてとても外出する余力がなかった。

 久しぶりのどうは、受験勉強で弱くなった皮膚をヤスリのように削っていた。銭湯の大鏡で見てみると、背中の皮膚があちこちがれて血がにじんでいた。両肘は直径七、八センチにわたり皮が剝け、こちらも血まみれだった。かさぶたになっても次の日の練習で剝がれるのでいつまで経っても治らなかった。

 ある朝、惰眠をむさぼっていると、窓をたたく音がした。

 ちょうど高校時代に好きだった女の子が夢のなかに出てきていたところだったので、混乱しながら目を覚ました。二階なのだから外から窓を叩けるはずがない。気のせいかなと思ったら、続けてまた音がした。布団からい出て窓を開けた。自転車にまたがった竜澤が小石を手のひらの上で転がしていた。窓に石をぶつけていたのだ。

「迎えに来たよ」

 竜澤が言った。あいかわらず柔道部員とは思えぬれいな格好をしていた。アイロンのきいたチノパンにピンクのボタンダウンシャツ、ブレザーの上にコートを羽織っている。

「今日の練習は四時からだよね」

 私は言った。

「練習じゃない。授業だよ! 授業!」

「今日はやめとくよ」

「どうして」

「練習で疲れてるし」

「出なきゃだめだ! 卒業できないよ!」

 竜澤は普段から私が「留年する」と公言しているのを心配していた。

「いつか卒業できると思うよ」

「なに言ってんだ。さぼってばかりいたら将来どうなっても知らないぞ。俺が自転車の後ろに乗っけてってやるから」

 どこで聞いてくるのか、竜澤は一般企業は二年遅れまでしか採用しないから二浪の増田君は一度でも留年すると後がないといつも言っていた。そういうものなのかなと思った。

「早く降りてきて」

 竜澤が腕時計に目を落としながら言った。

「疲れてるから……」

「だめだよ! 行こう!」

「とりあえず今日はやめとくよ」

 私が言うと竜澤は不満そうに腕時計を見て考え込んでいたが「じゃあ明日あしたも来るよ」と言って行ってしまった。早く行かないと自分も授業に遅れるのだろう。私は安心してまた布団にもぐり込み、夢の続きを見た。

 竜澤はそれから本当に毎日迎えに来るようになった。せっかく迎えに来てくれるのだからと思い、ときどき自転車の後ろに乗せてもらって教養部へ行ったりもしたが、授業に出ると、英語とか生物とか化学とか、高校の延長の内容でうんざりした。だいいち家から送ってもらった教科書代はすべて小説やノンフィクションなどの書籍代に消えていたので、教科書を一冊も持っていなかった。しばらく教室の机に突っ伏して眠り、隙をみて教室から抜けだしてアパートに戻り、また眠った。


   6


 土曜日に武道系すべての部が集まる合同コンパがあった。

 何人かの先輩が出席するということで、ここまでに正式入部した一年目も連れていってくれた。先輩に聞くと、柔道部はめつにこういった外部の飲み会には出ないが、七帝の二年連続最下位と部員数減少で、最近、他の部に「あそこは廃部寸前だ」と噂されているので出ることにしたらしい。

 私は行く前に心配になって杉田さんに聞いた。

「酒の強制とかないですか?」

「ないない。うちだけはそういうのはないから安心しろ。せっかく体作ってるのに酒飲んで筋肉落としたら本末転倒だからな」

 道場から出て五分ほどのところにある「きよた」という大座敷のある居酒屋だった。ふすまを取り払ったその座敷は五十畳か六十畳くらいあった。

 私は三年目の内海うつみさんの隣に座った。柔道部の先輩には顔中にひげを生やしている人が二人いた。四年目の斉藤トラさんと、この内海さんである。私ははじめこの二人の区別がつかなかったし、区別がつくようになってもひげづらなのでなんとなく内海さんも怖かった。しかし何度か練習後に話して優しい人だとわかるようになっていた。

 しようちゆういつしようびんがテーブルにずらりと並んでいた。みんな番茶割りで飲んでいるが、内海さんだけは工業用アルコールのようなきつい臭いがするその焼酎をストレートで飲んでいた。酒が入ってくると、内海さんははにかむように話しだした。

「女の子いっぱいいるだろ」

 たしかに他の部には女子部員がわんさといる。

 内海さんが指さしながら言った。

「あれがけんせいどう部だろ、あれが合気道部、あっちが少林寺で、あれが剣道だ。ああ、いいなあ。あいつら部員数多いしな。みんな四十人か五十人くらいいるだろ。いや、もっと多いところもあるかもしれない、六十人かなあ、何十人いるのかなあ」

 拳制道というのを私は知らなかったので聞くと、空手から分派した打撃系の武道だという。

「なんであんなにいるんですかね」

 私は聞いた。

「練習が楽だからに決まってるだろ。うらやましいよなあ、いいよなあ、部員が多いと」

 内海さんが言った。そして「ええと、うちはいま正確には何人だ……」と指折り数えだした。

「四年目が金澤さん、斉藤トラさん、岡田さん、永田さん、上田さん、とくがわさんだろ。三年目が俺、和泉、松浦、末岡、うえ、本間、とよさわで七人、二年目が杉田と後藤と斉藤テツの三人。………五年目の佐々木さんと山岸さんを入れても十八人しかいねえな……。そりゃ練習きついはずだよなあ。おまえらが入ってきてくれて、ほんとほっとしたんだぞ。久しぶりに大きいやつが多いしな。将来が楽しみだよ。あとはちようきゆうだよ、誰かいつか超弩級に育ってくれりゃあいいんだがなあ。超弩級って、おまえわかるか?」

「昭和五十六年卒の高橋ひろあきさんとか昭和五十九年卒の川西正人さんとか、そういうすごく強い抜き役ですよね」

「そうそう。おまえなかなか詳しいじゃねえか」

 向かいで松井隆と話していた和泉さんが顔を上げた。

「内海、一年目になに偉そうに説教しよるん。それよりあんた、その髭、汚いけえりんさいや」

「そういうゆいしんはなにしてんだよ」

 内海さんがべらんめえ調で言った。内海さんは東京の下町出身である。

「いま、この松井に説教しよるんよ。ザンギばっかり食いよるんで」

 ザンギとは北海道の言葉で鶏の唐揚げのことだ。

「いいじゃねえかよ。一年目には肉食わして太らしてやれよ。唯信みたいに酒好きばっかりじゃねえんだよ」

「なに言いよる。酒飲みの留年の髭面のくせしてからに」

「唯信だって留年してるじゃねえか。万年教養部のクソ坊主が」

「増田君、あんた、その髭面男は酒乱じゃけえ気ぃつけんさいよ」

 松井はとうし合う二人を笑いながら見ていた。四年目は私たちにとって遠い存在だったが、いつもじゃれ合っている三年目は親しみやすかった。もちろん練習中は四年目と同じく容赦してくれなかったが。

 遠くのテーブルから松浦さんがやってきた。手には一升瓶をげていた。

「増田、一杯飲むか?」

 松浦さんが一升瓶を持ち上げてうれしそうに言った。

「いえ。もうたくさんいただいたので……」

 杉田さんに柔道部は酒の強制はないと言われてはいたが、それでも怖々断ってみた。すると松浦さんはとくに私にこだわるわけでもなく隣のテーブルへ行って末岡さんと飲みだした。和泉さんが「トシも風邪男もそんなとこにおったんかい!」と言ってそっちのテーブルに移っていった。他の部をみると、一年目に酒を無理やり飲ませて騒いでいた。柔道部はほんとうにいい先輩ばかりだなと思った。

「十人欲しいよな」

 内海さんが言った。一年目のことだろう。

「二年目が少ないぶん、十人残ってほしい。辞めるぶんを見越してもっともっと入れないと。毎年十五人くらいは入ってくるんだけど、それが辞めちまってほとんど残らねえんだ。うちは練習がきつすぎるからなあ……」

 内海さんは酔っているからなのか、そこから「きつい」とか「つらい」とか「楽じゃねえから」と繰り返した。「俺も悩んでばっかりだ。なんで北大来てこんなことやってんだろ」などと話しだした。内海さんは柔道部では数少ない文系のひとりで『北大柔道』にも延々とウェットな文章で悩みを書いていた。それが髭面にあいまって、私は内海さんにソクラテスやプラトンなどギリシャ哲学者のような魅力を見ていた。もともと北大は農学校だったので文系より理系の学生の方が人数が多い。柔道部はその大学全体の割合よりもさらに理系が多かった。先輩たちによると、悩み苦しんで退部していくのはたいてい文系の人間だそうだ。私は理系に所属しているが、頭の構造は文系なので悩むかもしれないなと思っていた。

 内海さんが焼酎をあおりながら言った。

「入れても入れても辞めてっちまう。とにかくうちはきついからな」

「僕たち一年目にはきついですけど、先輩たちにもきついんですか」

「きつい。かなりきつい。合気道や拳制道なんかは週三回の練習だろ。一回の練習時間も少しだ。しかも柔道みたいに試合形式で本気で戦い合う乱取りがないから、絞め落とされるわけじゃないし腕折られるわけでもない。苦しくもきつくもない。女子部員もいて楽しいし、あっちの方がいいに決まってるだろ。上級生は威張って酒飲ましてりゃいいんだから」

「いま七帝で連覇してる京大柔道部はたくさんいるんですか?」

「三十人以上はいるんじゃねえかな。七帝戦の他に東大と京大の定期戦があるんだけど、それはたしか二十五人戦だからな。七帝のときに三十人とか四十人の中から十五人選ぶのと、うちみたいに十五人ぎりぎりのメンバーで戦うのじゃあ差が出ちまうんだよ。わかるだろ」

「はい」

「練習に活気がなくなるし、同じ相手と何度も乱取りしなきゃいけなくなるから力が頭打ちになる。怪我しても見学しづらいからますます怪我が悪くなる。ただでさえ苦しい練習がさらにきつくなる。悪いことずくめなんだよ、ああ嫌だ嫌だ……」

「和泉さんは大型の超弩級選手がいなくなったのが北大低迷の原因だって言ってましたよ」

「たしかにそれもある。それもあるけど、人数も必要なんだよ。強い時代の活気がなくなっちまって、それが部員数を減らす悪循環をよんでんだ」

「じゃあ、どうして内海さんは辞めないで続けてこられたんですか」

「七月の七帝戦を見てみろ。そうすりゃわかる」

 内海さんはそう言ってコップの焼酎を一気に飲み干すと、自分で一升瓶からなみなみとそそいだ。そして「辛い辛いっていうしけた話はもう飽きた!」と言って、そこから合気道部の女子部員をわった目で物色しては私に名前を教えてくれた。なぜ知っているのか不思議だった。先ほどまでソクラテスかプラトンのように見えた内海さんの横顔が、和泉さんが言うようにただの髭面の酒乱に見えてきた。

「どうですか、飲まんですか」

 後ろから声をかけられた。振り向くと、一升瓶を提げ、ぎだらけの汚い着物を着た男が立っていた。髪がぼさぼさで無精髭を生やしている。応援団員だ。

「あ、すみません。どうぞ」

 私が少しずれて横を空けると、その応援団員は「すいませんです」と言ってそこにあぐらをかいた。

えんだんの一年目、たきなみけんといいます。よろしくお願いします」

 丁寧に頭を下げた。どこかのなまりが少し入っていた。

「なんだ、同じ一年目か……俺も一年目だよ。柔道部の増田だ。よろしく。びっくりしたよ。怖い先輩にからまれたと思って」

 私が言うと瀧波が相好を崩した。

「なんだ、おまえも一年目か。偉そうに座ってるから、どっかの二年目か三年目だと思ったぞ。そうか柔道部か」

「おまえの方が偉そうだろ、そんな格好してるから。応援団が汚い着物着てるのは知ってたけど、ほんと汚いな。それ、いつの時代のものだ」

「知らん。先輩から代々譲り受けてんだ。戦前のものかもしれん」

「洗わないのか」

「何度か洗ってると思うけどな」

 瀧波はそう言って自分のそでのあたりの臭いをかいだ。

「四年間それを着てなきゃだめなんだろ?」

「いや、この格好は二年目までだ。三年目になるとひげを剃って髪も切って学生服を着る。あっちにいるのが三年目や四年目の先輩だ」

 瀧波が指でさした。一番向こうのテーブルに学生服姿の男が六、七人座っていた。たしかに短髪で髭も剃っていた。

「俺はずっとその格好でいるんだと思ったよ。たかも二年目まで?」

「そうだ。あそこにいる人が二年目だ」

 瀧波が今度は別の方をさした。長髪の男があぐらをかいて一升瓶に口をつけて直接しようちゆうを飲んでいた。縮れた髪が肩まで伸び、顔中に立派な髭をたくわえている。さながら瀧波が若い雄ライオンで、二年目が壮年のライオンに見えた。

 私は二年間の浪人時代に北大関係の本をたくさん読んでいたので、入学前から団員が着物と長髪、三〇センチくらいある高下駄姿なのを知っていた。しかしそれが二年目までだとは初めて知った。

「俺、高校のときは柔道部と応援団と兼部してたんだ」

 私が言うと「なに? そうなのか?」と瀧波の顔色が変わった。そして「入れよ。うち、いま一年目が三人しかいないし二年目も少ないんだ。おまえも入れ。最近だんだん団員が減ってきてんだ。兼部すりゃいいじゃねえか。入れよ」と迫った。私は瀧波の物言いにされた。自分がクラスの人間を柔道部に誘っているときもこんな感じなのかなと思った。

「だめだぞ」

 内海さんがこちらも見ずに言った。ひとりで酔っ払って飲んでいると思ったら隣でちゃんと聞いていた。

「無理無理。両立なんて絶対無理だよ」

 私が言うと「じゃあ柔道部辞めて入れよ」と瀧波が言った。

「だめだぞ」

 内海さんがまた言った。

 私は瀧波に説明した。

 自分は七帝柔道にあこがれて北大に入ったこと、いかに部が大変な状況かを話した。七帝戦は十五人で戦う団体戦だが部員が減っていて大変なのだと話した。二年連続最下位で大変なのだと話した。そして実は自分は柔道部の他に、もうひとつ北大ヒグマ研究グループにも入ろうとしていたことを話した。しかし、とてもじゃないが柔道部の練習は他のことと並行してできるような、そんな甘いものではなかったことを話した。

「そうか……」

 聞いていた瀧波がためいきをついて「伝統ある部は、どこもいま大変なんだな。きついところは流行はやらないんだな」と言った。話しているうちに瀧波も水産系なのだとわかった。今度また飲もうと約束した。


   7


 次の週から、ときどき《たるしよう大学》と染め抜かれた巨大な旗を持って北大キャンパスを練り歩くたるしようの応援団員たちを見かけるようになった。北海道の人たちは小樽商科大学のことを親しみをこめて樽商と呼んでいた。

 彼らもまた、北大応援団と同じように、汚い着物を着て髪を肩まで伸ばし、髭を顔中に生やしていた。やはり高さ三〇センチ以上ある高下駄を履き、それをガラガラ引きずりながら歩いていた。手には木の枝で作ったつえを持っており、その先には大きなエゾシカの角がわえ付けられていた。

 戦前から、北大と樽商は春にすべての運動部が激突する総合定期戦を行っていた。毎年交互に開催地を変え、今年は札幌で開催される。

 北大応援団と樽商応援団は全競技に先駆けて札幌駅前でげきぶんの読み合いをし、それは春の北海道の風物詩になっていてテレビ放送もされるのだと先輩たちが教えてくれた。

 翌日に樽商戦を控えた練習後、私と沢田征次がどうけた傷を見せ合いながら笑っていると、後ろから声をかけられた。

「おい、沢田、増田」

 振り向くと杉田さんだった。

明日あしたの樽商戦、おまえら二人、二軍戦に出ることになったらしい。頑張れよ」

 杉田さんが説明してくれた。試合は講道館ルールなので立技ができるおまえらに出てもらわなければならない。本戦は七人戦、二軍戦は五人戦、共に点取り試合で戦う。戦前からの慣例で、一年目で選手にばつてきされた者は、もし負けたら頭を丸める。

「え、坊主にするんすか……」

 私が引くと、沢田が笑った。

「いくらなんでも樽商あたりには負けんよ」

「そう簡単にはいかんぞ」

 杉田さんが言った。樽商は三年生も四年生もかなり強く、主将のたにがわさんは北海道学生体重別八六キロ級で昨年準優勝していること。他の部員も上位進出の常連であること。そして向こうは一年生が二人しか入部していないが、二人とも重量級で高校時代に実績を残している選手だということだった。

 それを聞いて私と沢田は焦った。なにしろ二浪と三浪である。力はまだ高校時代の三割にも戻っていない。

 翌日、樽商がやってきた。

 主将の谷川さんは八六キロ級の選手だが、減量していないので九五キロくらいあるように見えた。一八二、三センチか、くちひげを生やしてこの体格があるとすごみがあった。

 一年生の二人が北大陣営にあいさつに来た。

「樽商の一年です。よろしくお願いします」

 やぶしたもりという名前だった。藪下は一八〇センチくらいで一〇〇キロ前後、森は藪下より背は低いが九五キロくらいあるようだった。二人とも現役合格だと言った。

 試合前に着物姿の北大と樽商の応援団員たちが大きな旗を持って道場に入ってきた。そのなかには瀧波もいて私に片手を上げて挨拶した。

 試合は先輩たちの予想どおり本戦は谷川さんに取られて大接戦となったが、最後は金澤さんと斉藤トラさん、岡田さんが寝技で取り返して制した。

 二軍戦のオーダーが黒板に書かれた。

 しくも沢田が藪下と、私が森と当たっていた。

 二人とも途中までは頑張ったが、すぐに息が上がって負けてしまった。私が次の日に五厘に頭を丸めて道場に顔を出すと、沢田が怒った。

「おまえ、つまらんやつだね」

「どうして……」

「格好つけるんじゃない。頭丸めたらなにかが変わるのか。頭なんか丸めるな。結果を出せ。勝ってみせろ」

 厳しく言った。そこから二人は激しい口論になった。

「わかったわかった。もうよか。酒でも飲みにいって仲直りだ」

 最後は歳上の沢田がそう言った。その夜は二人で痛飲し、北大柔道部のこれからを語り合った。だが、飲みながら沢田はときどきひとりで何かを考えていた。私にはわからない何かを考えていた。


(この続きは本書でお楽しみください)

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七帝柔道記 増田俊也/小説 野性時代/小説 野性時代 @yasei-jidai

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