小鳥の鳥籠

紫月音湖*竜騎士さま~コミカライズ配信中

第1話 神様のいたずら

 神様のいたずらというものがあるのなら、たぶん今日みたいな日のことを言うのだろう。




「こちらは築二年で駅からも近いおすすめの物件となります」


 日曜の昼下がり。穏やかな太陽の光が差し込むがらんどうの部屋の中に、三人分の影が伸びていた。

 営業スマイルを貼り付けた僕の後ろに続くのは、この秋に結婚するという幸せ絶頂の二人だ。男の方は僕より少し年上だろうか。新居の内見にもかっちりとしたスーツを着ている。仕事の合間を縫って来たのか、それとも普段から外出時にはスーツを着用する男なのか。どちらにしろ、僕にはない「勝ち組」の匂いがした。

 対して女の方は控えめな清楚美人で、男と並ぶと悔しいくらいに美男美女の似合いのカップルだ。どことなく儚げな印象は庇護欲をそそるのか、男は内見中もずっと女のそばから離れようとはしなかった。


「キッチンは収納も多いんですよ。こちらのパントリーには買い置きの食材や、少し大きい物もまとめて収納できる広さになっています」

「これは便利だな」

「……そうですね」


 パントリーの中を覗き込む男の後ろで、女はさっきから適当な相づちしか打っていない。体調が優れないのか、顔色もあまりよくない気がする。


「君は料理が好きだから、ここに……」


 男の言葉を遮って、突然スマホの呼び出し音が鳴り響いた。


「悪い。会社から電話だ。すみません。少し席を外します」

「お構いなく」


 軽く会釈をして、男が足早に部屋を出ていく。パタン……と締まった扉がまるで境界線のように、僕たちのいるこちら側の世界を遮断した。


「日曜日なのにお忙しいようですね。会社を経営されているんでしたっけ」

「は、はい……」

「いい相手を見つけましたね。――分不相応だとは思いませんか?」

「……ひっ」


 女を壁際に押し付けると、美しい顔が恐怖に歪んだ。

 。僕の嗜虐心を掻き立てる怯えた表情がたまらない。


「僕から逃げおおせて、やっと幸せを掴めそうだったのに……神様は本当にいたずら好きだよね。でも、僕はまたこうして君と出会えて幸せだよ」

「……や、めて。私はもう、あなたとは何の関係も」

「いけない子だな。そういう風に躾けたつもりはないけれど?」


 やわらかな体のラインをゆっくりとなぞりあげると、清楚な女の仮面にわずかな罅が入る。

 三年前、彼女の体にも心にも嫌というほど刻み込んだ、女としての悦び。支配される恐怖。それが未だ、彼女の中に息づいていることに優越感を覚えてしまう。


「どこへ逃げようと、結局君は僕の元へ戻ってくる運命なのかもしれないね」

「お願い……もう、私を解放して」

「おかしなことを言う。僕のところへ舞い戻ってきたのは君の方だよ」


 するりと顎を持ち上げて、彼女の頬へくちづけする。びくりと震える小さな肩すら愛おしい。


「おかえり。僕の可愛い小鳥」


 玄関の扉が開く。戻ってきた男に、僕はこれ以上ないくらいに晴れやかな笑顔を送った。


「こちらの物件、奥様は購入をご希望とのことですが、いかがなさいますか?」


 小鳥のさえずりは小さすぎて男には届かないだろう。

 その声を聞くのは僕だけでいい。



 ここは築二年の、駅から近いマンションの一室。

 そしてこれからは、僕の小鳥の住まう――新しい鳥籠だ。




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