水面下で、彼らは。
サトウ・レン
彼らは見えないところで。
『住宅の内見』という文字を見て、あなたはなんと読むだろうか。
「ないけん」と読んだあなた、それは間違っていない。内部見学の略、「
正解だ。
だけど私の言う『住宅の内見』は、私がかつて住んでいたK団地にあるマンションあたりで広まりつつあった都市伝説、『住宅の
内見君は今から十五年ほど前、そのマンションで自殺した大学生の霊だ。
私が住んでいた部屋こそが、内見君の住んでいた部屋だ。異様に家賃が安いこともあり、事故物件というのは借りる前から知っていたのだが、本当に私の前に現れるなんて思わなかった。
内見君は今、私の目の前にいる。
男性にしてはすこし長い髪、縁が銀の眼鏡、背は高い。男性の第一印象に、これは似合わないような気もするが、綺麗だな、と思った。
「今の住人は、きみ、かな?」
「私はもう住人じゃ……。ちょっと前まではそうだったのですが」
「じゃあ、空き巣かい?」
「ううん。忘れ物があって」
内見君は大学三年生の時に命を絶った、と聞いている。だから年齢で言えば同い年なのに、何年も現世で怪異をしていたせいもあるのか、大人びた余裕がある。
「きみと僕は似ているね」
初対面のはずなのに、何を分かったようなことを、と思ったけれど、言い返す気にはなれなかったのは、私も彼に親近感を抱いていたからだろう。
善悪の判断はひとそれぞれ違うとは思うのだが、一般的に、『住宅の内見君』は良い怪異とされている。人間を襲う怪異を退治してくれるそうだ。「僕も怪異なのに、怪異たちは僕のことを嫌うんだ。仲間外れだね、まったく」と自分自身の都市伝説について語りながら、内見君は楽しそうだった。
「どうして怪異になったの?」
「気付いてたら、なってたんだよ。……って、まぁ聞きたいのはそういうことじゃないよね。事のはじまりは、僕の部屋で飲み会をした時だった。その中にすこしオカルトに詳しい女の子がいてね。怪異を呼び出さないか、と言いはじめたんだ。みんなはあんまり乗り気じゃなくて、そのままいけばやらない流れだったんだけど、僕が、『どうしてもやりたい!』って言っちゃって」
「オカルトの類が好きだったの?」
「いや好きも嫌いもなく、正直に言えば、興味がなかった。でも」
「でも?」
「その言い出しっぺの女の子ことが気になってたんだ。良いところを見せたかったんだよ。それがあの悲劇を生んだ」
内見君が死んだ日、あの部屋で死んだのは、ひとりではない。大学生の男女七名が死ぬ事件が起こったのだ。全員が自殺だったわけではない。
「悲劇……」
「悪魔を呼び出してしまったんだよ。『悪魔』って呼び方が正しいのかは分からないけど、ね。牛の角のようなものがあって、その悪魔は何かを唱えはじめ、僕たちはわけの分からない破壊衝動に突き動かされて、殴り合い、刺し合い、殺し合ったんだ。今まで築き上げてきた人間性というものが崩れ落ちていく感覚だったよ。そして最後に生き残ったのが、僕とその言い出しっぺの女の子で、僕は彼女を殺して、そして自らも死を選んだ。自殺を選んだのは、僕がすこし冷静さを取り戻していたからで、死ななければ、さらに多くのひとを殺してしまいそうな気がしたからだ」と内見君が私をじっと見すえる。「最後の理性を振り絞ったんだ。褒めてくれてもいいくらいだと思うけどね」と続けて、言い添えた言葉はどこか自嘲気味だった。
「そんなことが……」
「だから罪滅ぼしなんだよ」
「罪滅ぼし?」
「僕たちの行為が、悪魔を生み出してしまったからね」
その牛の角の『悪魔』は今も、このK団地に棲んでいて、その『悪魔』が新たな怪異を生み出し続けるのか、様々な怪異が現れては、ひとを襲おうとするらしい。それを助ける役目を担っているのが、内見君なのだそうだ。確かに私がこの部屋に住んでいた頃も、ベランダや玄関あたりから何かに見張られている気配があった。そのことを伝えると、
「あぁそいつらは比較的、こっち寄りの奴らだよ」と内見君が笑った。
「こっち寄り?」
「あぁ僕ひとりでは、そこまで大量の敵と戦えないからね。怪異の仲間たちがいるんだよ。戦う中で、死んだ後にまた死んで、もう姿を失ってしまった仲間もいっぱいいるけど」
つまりは内見君は仲間たちとともに、凶悪な存在と水面下で争い続けている、ということだ。ホラーというよりは、まるでドラクエやFFみたいな話だ。
「ちょっと格好いいね」と私が笑うと、
「ちょっとは余計な気もするけど」と彼が頭をかく。「それで、きみは?」
「私?」
「きみはなんで、死を選んだの」
そう私はもう、生者、ではない。そうここは、私が首を吊った場所だ。だから私の部屋であったけれど、もう私の部屋ではない場所だ。
「直球だね」
「最初は、怪異の誰かに心でも操られたのかな、なんて思ったんだけど、きみは僕たちに対する耐性は強そうだから。だからまったく別の理由かも、って思って」
「人間の死ぬ理由なんて、案外たいしたことじゃないよ。あなたが特別過ぎるだけ。振られたんだ。大好きだったひとに。そんな下らない理由。笑う?」
「笑わないよ。どっちかと言うと、悪魔を呼び出した結果、自殺することになりました、なんてほうが下らないと思うけど」
「それも、そうか。ねぇ、私は悪い怪異なのかな?」
「それはきみ自身が選ぶことだけど……でも」
「でも?」
「さっきも言ったけど、きみと僕は似ている。あと……」
「あと?」
「あの時、僕が好きだった子にも似ている」
「もしかして口説かれてる?」
「いや、そういうんじゃないよ」
「そっか」
「そうだよ」
「きみが良かったら、だけど、僕たちのところに来る?」
内見君が、私に手を差し伸べ、私たちの物語ははじまった。
水面下で、彼らは。 サトウ・レン @ryose
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