『まあ、それはいいんですけど』

胡麻桜 薫

『まあ、それはいいんですけど』

 単身者向けマンションの一室。


 二十代後半くらいの男性が、内見に訪れていた。

 不動産会社の担当者が部屋を案内している。

 担当者はビシッとスーツを着こなした、いかにも仕事ができそうな人物だった。


「どうでしょう。南向きで、日当たりのいいお部屋ですよ」


「う~ん、そうですねえ……」


 男性は空っぽのリビングに足を踏み入れ、クローゼットに近づいた。


「そちらは大きめのクローゼットですので、収納に便利ですよ」


 担当者にうながされ、男性はクローゼットの戸を開けた。


「あっ……」


 クローゼットの中には、体育座りをした顔色の悪い老人の姿があった。

 老人の目の下には真っ黒いクマがあり、頭には白い三角の布がついている。


 男性は担当者の方を振り向いた。


「すみません……お伝えしていなかったのですが、クローゼットには老人の幽霊が住んでいます」


 担当者はそう言って、気まずそうに頭を掻いた。


「そうなんですか……」


 男性はバタンとクローゼットをしめた。


「まあ、それはいいんですけど」


「え、いいんですか?」


 担当者は目を丸くした。


「はい、それはいいんですけど……このリビング、窓が少し小さくないですか? 確かに日当たりは良さそうですけど、ちょっと窓のサイズが気になるっていうか……」


 担当者は気を取り直し、サッと眼鏡の位置を直した。


「窓が小さめな分、お部屋の断熱性能が上がると言われていますよ」


「断熱ねえ……」


 男性はいまいち納得していないようだ。


 担当者は慌てて、男性を別の場所に案内した。


「さあ、バスルームの方をご覧ください。ゆったりとくつろげる広いバスタブですよ」


 男性は勧められるままバスルームに向かい、浴室の扉を開けた。


「あっ……」


 バスタブの中には、スクワットをしている顔色の悪い老人の姿があった。

 老人の目の下には真っ黒いクマがあり、頭には白い三角の布がついている。


 男性は担当者の方を振り向いた。


「すみません……お伝えしていなかったのですが、バスタブにも老人の幽霊が住んでいます」


 担当者はそう言って、気まずそうに眉尻を下げた。


「そうなんですか……」


 男性はバタンと浴室の扉をしめた。


「まあ、それはいいんですけど」


「いいんですか!?」


 担当者は再び目を丸くした。


「はい、でも……シャワーヘッドの角度がちょっと気に入らないっていうか……」


「大丈夫ですよ! こちらのシャワーヘッドは取り外し可能な物になっていますので、ご入居後にお好きな物と取り替えることができます」


 担当者は眼鏡の向こうで目をキラッと光らせた。


「う~ん、でも自腹になってしまいますよね……」


 男性は腕を組み、険しい表情を浮かべている。


 担当者は慌てて、男性を別の場所に案内した。


「ほらほら! こちらの洋室をご覧ください! 寝室にピッタリだと思いますよ!」


 男性は狭い廊下を歩き、洋室の扉を開けた。


「あっ……」


 洋室の中には、ゴルフの素振り練習をしている顔色の悪い老人の姿があった。

 老人の目の下には真っ黒いクマがあり、頭には白い三角の布がついている。


 男性は担当者の方を振り向いた。


「す、すみません! お伝えしていなかったのですが、洋室にも老人の幽霊が住んでいます……ついでに言ってしまうと、トイレの便座の上には正座をしている老人の幽霊がいます」


 担当者はそう言って、バツが悪そうに頭を抱えた。


「そうなんですか……」


「はい。事前にお伝えしておらず、申し訳ございません」


 担当者は頭を下げた。


「まあ、それはいいんですけど」


「ほんとですか!?」


「はい、いいんですけど……」


 男性は溜息をついた。


「このマンションって、近くにコンビニがないんですよね……そこがちょっと気になります」


「それなら問題ありません! 駅前にあるスーパーは深夜まで営業していますよ! 帰りが遅くなった時でも、スーパーで買い物を済ませることができます!」


 担当者は鼻息を荒くし、男性に訴えかけた。


「まあ、それもそうですけど……あっ」


 突然、男性は何かを思い出したように顔をしかめた。


「ど、どうしました?」


「この部屋って……マンションの四階にありますよね」


「? はい、そうですが……」


 男性はぶるりと身体を震わせ、こう打ち明けた。



「実は僕……『四』っていう数字が苦手なんです。だってほら、四って『死』を連想しちゃうじゃないですか。だから、どうしても怖くて苦手なんです。そういうわけで……この部屋はやめておきます」



「そこで怖がるのかよ!!」


 担当者は思わず大声を上げた。


「いやあ、すみません……お伝えしていなくて」


 男性はそう言って、気まずそうに頭を掻いた。



〜おしまい〜


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『まあ、それはいいんですけど』 胡麻桜 薫 @goma-zaku-12

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