第3話

 ノーが言えない。そのせいで流れに終止符を打てない弱さを、人は皆心に持っている。ただ、今はそれだけでなく、己自身の好奇心がブレーキの下に存在していて、強く踏み込めない。アイドリングで流れていく。今この時、爺がエンジンを積んでいる。対する私はけん引のようにただ引っ張られるだけの状態だ。JAFに価する第三者はここにはいない。

 既に事故後のような気分で、私は爺にけん引される。踏めるはずのアクセルを踏めなかったのは、弱さなのか好奇心なのかわからない。もう外は漆黒に包まれ、辺りのビルが窓から光を発している中、目の前の建物だけは変わらずに漆黒を貫いていた。

「まあ、ちょっと外も暗くなってきたし。そろそろ帰るかい?」

 意外にも、爺がブレーキを踏んだ。

「……はい、もう遅いのでこの辺でおいとまさせていただきます。」

「そうか、じゃあな。まあ、買わんで良いよ、こんな物件。」

 そう言って笑い、去っていく爺の笑い声は人間の笑い声のように聞こえた。

「そう言えば、あの不動産屋の男、なんて名前だったっけ………。」

 そういえば、と胸ポケットに入っていた名刺を見ると、不動産名と共に渡邊と書かれてあった。「おお、奇遇ですね! 僕も渡邊なんですよ、って言っても僕はなんですがね。」なんて茶番の問答が七三スキンフェードから発されたのを思い出す。


(とりあえず、帰るか。)


 この物件に関わると少々面倒臭そうな気がする。ただ、それ以上に興味の方が今は上回っていた。他にも内見を予定していて、他にも探してみるつもりだった。なんなら、この物件は内見だけして滑り止めにも引っ掛からない予定のはずだった。何か、魔力のようなものをもってして、誘惑されているのではという恐ろしさが離れないのであった。



 俺はあの物件に住むことになった。住んでみてダメなら引っ越せば良い。内見したところ、特に生活するのに不便はなさそうな住環境であることに付け、一軒家を借りるというのに少し憧れがあった。ここは周囲がテナントないしオフィスビルしかないため、集合住宅に比べて近隣に気を使うこともない。焦げ付いた物件だったからか、家賃もそう高くない。異様な見た目であることを除いて、良物件なのである。―――あの爺がたまに顔を出す以外は。


「ただいま。帰りました。」

 最近は爺の方が先に家に着いている。いつも門の下に腰掛け、酒を飲んで待っている。俺は一人暮らしがしたかった。そう思い込んでは飲み込み、爺と話していくうちに打ち解け、門の下で酒なんか酌み交わしていた。だから今日も爺がいることを察知して、コンビニで多めに酒を買って帰ってきたわけである。最初に家の前に爺が立っていた時は、あの門の装飾の魔法が解けたて人間になったのかと驚いたが、すぐに爺は「ここ、お前買ったのか?」なんて訊いてきて、そこから奇妙な流れで爺が入り浸るようになった。

「このところ、よく家来るじゃないですか。忙しくないんですか?」

「爺になるともう暇だよ。時間しかない。前言ったろ? やっぱりここはフジタさんと飲んでた頃思い出すな。」

「それ毎回言いますね。まあ、さすがに家に上げるのには抵抗ありますけど。」

「俺だってちゃんと家に上がったことはないぜ? まあ、フジタさんが人間のままだったら上がって中で飲んでたかもしれないな。」

「ちなみに、何話してたんですか? フジタさんとは。」

「そうだなあ。建築時代の話とかだな。と言ってもフジタさんこんなだろ?」

 そう言って、爺は門の装飾を指さした。

「もっと穏やかで表情豊かだったんだ。フジタさん。冗談で、俺がこの家守ってんだって言ってたなあ。フジタさん。」

「フジタさんが門の装飾になった時って、どんな感じでしたか?」

「驚いたよ、そりゃあ。でも、フジタさんはそのことについては口を割らなかった。なんで、って訊いても冗談で返される。見てるこちら側からしたら不憫でよ、それでよくここに来て酒飲んでたんだ。明るい人でよ、俺、お地蔵様にあげるみたいによく酒持ってここ来てた。それが本当にお釈迦になってしまうとはなあ。」

 今のは冗談なのか、素で言っているのかわからなかったが、とにかくフジタさんが門の装飾になった経緯について本人が何も言わなかったのだから、ここを深掘り、事の真相に迫ることはできないだろう。

「……俺、思うんだ。サトウさんは今も生きてて、どこかここじゃない別の世界にでも住んでるんじゃないかって。今でも思ってる。」

「……魔界、ですか?」

「たしか前そんなこと言ったっけな。まあ、魔界というかそういう特別な世界があるって言うのは、サトウさんの一件で強く思ったね。」

「この家も、一時的に消していたとかって……」

「ああ、そうそう! 当時だってこんな建物を曳家として移動させるなんて無理だったはずだ。ここは周りにビルもあるし田舎じゃあるまい。それを一時的にでも消すっていうんだから、そうとしか考えられんよ。」

「一夜城みたいに、逆に一夜で解体してってわけでもないんですよね?」

「そりゃ、壊したとしても凄いけど、それと同じものをまた建てるのはもっと考えられんだろう。」

「ですよね。」

 暫し、沈黙が過ぎていく。

「……あの、村主さん。いつまで、ここに来るつもりですか?」

 爺が気を悪くしないように、努めて冗談っぽく言ってのけた。そして、また暫し沈黙。気まずい。

「そうだな……。まあ、言ったろ? 俺はここの、ここで起きた事件についてもっと知ってもらいたい。……要は、俺意外にこの事を知ってもらって、何か解決の糸口に繋がるような展開になればいい。そう思ってるんだ。」

「たしかに、以前内見の時に話してましたね。……ちなみに、最終的には、やっぱり……黒幕を突き止めることですか?」

「それもある。だが、それでけじゃなく、サトウさんの行方を知りたい。そうすれば、フジタさんのことだって何かわかるはずだ。……まあ、俺はサトウさんに会えりゃあそれでいい。」

「……そうですか。」

 俺は次の言葉が思い浮かばず、しばし酒など飲んで次の言葉が出てくるのを待った。

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装飾隠者の忌々しきは記憶の彼方 善光大正 @yoshinoh

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