渚にて

野村絽麻子

ボクと黒猫と寄居虫

 昼間訪れた海辺の砂浜で黒猫オペラが見つけてきたハーミット・クラブは、右の前脚が失われていた。

「大変! これじゃ暮らし難いだろう?」

 治るまで家に来るかい? と彼に尋ねれば、しばらく考えるようにゆらゆらと鈍色の巻貝を震わせて、それから、ボクの手の平にそっと乗り込んだ。


 *


 航空通信エアロ・ラヂオで問い合わせた叔父さんによれば、ハーミット・クラブは本来的には雑食で、小魚や海藻、果物なんかを摂るものらしい。けれども、彼の好物はカリカリに焼いた麺麭パンの端っこ。生えかけの華奢な右前脚を器用に使ってはくるくると回しながら得意気に食べている。

「ねぇ、オペラ。ハーミット・クラブはお引越しをするそうだよ」

 ボクは眺めていた図鑑の中に興味深い記述を見つけて、透明なケースを熱心に見つめている黒猫に声をかける。黒猫は、振り返ると小声で「ニ、」と短く鳴いた。

 標本棚を見る。海岸で拾ってきた巻貝が並んでいる中から、いくつかを取り出して彼に見せてみた。すると彼は、つぶらな黒曜石の瞳をのそりのそりと貝殻の中に出し入れしては、のんびりと次の巻貝を覗き込む。

 どうやらなかなか彼のお眼鏡に適うものは出てこない。

「もしかして、巻貝じゃなくても良いのかしら」

 ボクは大切なコレクションの入った引き出しを開けてみる。

 空になったインク瓶、理科教室で貰った滴瓶、美しいキャンディの缶、お祭り用ランタンの蠟燭の空きケース、アンティークの香水瓶。

「さぁさぁ、お気に召すものは?」


 *


 麺麭パンの端っこがカリカリと美味しそうに焼けた朝、ボクと黒猫オペラは時々、良く晴れた海岸を散歩する。波打ち際で人魚の涙シーグラスを拾い、桜貝を愛で、小魚の群れを眺めているうち、極光オーロラ色のインク瓶を背負った彼が、どこか照れくさそうに現れる。

 そうするとボクは、ピクニック・ブランケットを広げて、彼をご招待することになる。一人と二匹で、バタ付き麺麭パンとマッシュルームのポタージュ・スゥプ、紅玉林檎のささやかな朝食を摂るために。

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渚にて 野村絽麻子 @an_and_coffee

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