ビー玉が向かう先
木曜日御前
カラカラカラ カタンッ
「本当に掘り出し物件で、残っているなんて運がいいですよ!」
都内の外れにあるワンルームマンションの一室。
真新しいスーツを着た不動産屋の営業は、初めての一人暮らしという青年を部屋に案内していた。
新人営業の彼にとって、これが初めて一人で案内をする日だった。
今回のお客は元々は先輩のだったが、「必ず入居してくれるから、一人デビューに花を持たせてやろう」とお客を譲ってくれたのだ。
常に売り上げトップの先輩からお膳立てされた案件、彼の顔を汚すことだけは避けたかった。
実際に彼が選んだ部屋は、角部屋かつ日当たり良好、築浅。風呂トイレ別、収納スペースや宅配やゴミ箱ボックスも完備。
最寄り駅から五分、ショッピングモールも近い。また、辺りは閑静な住宅街で過ごしやすい。
条件的に見れば、かなり良物件。これで、家賃六万は安いと言い切れる。
しかし、肝心の客は無反応のまま辺りを見渡していた。
「気になることあれば、是非!」
「はい、それではちょっと、失礼しますね」
「はい、ぜひ……って、え、あっ」
自信満々だった営業は、客の取り出したものを見て、動きを止めた。
太陽光を浴びて、キラリと反射させるソレ。
青く透けたビー玉である。
ビー玉は、客によって床に優しく床に置かれ、指がぱっと離された。
カラカラカラ カタンッ
小気味の良い音ともに、勢いよく転がり壁の隅へとぶつかった。
「傾いてますね」
客の声が、ワントーン下がった。
「たまたま、ですかね?」
客はもう一度ビー玉を手に取り、場所をずらして転がした。
同じ方向同じ隅へと吸い込まれていく。
「日当たりは、良いですから」
「窓の方、向かい側が工事中でしたよね? 道で高層マンション建築反対的なポスター見ましたが」
「駅からも近いですし」
「通勤ラッシュ酷くて、開かずの踏み切りらしいですね」
「ショッピングモールも近いですし……」
「閉店のお知らせの垂れ幕、掛かってましたけどね」
「宅配ボックスと、ごみ置き場もあります
し」
「マンションの入り口に、宅配ボックスの盗難の注意喚起されてましたね」
空気が凍る。営業の額からは脂汗が滲み、滝のように流れていた。なんて物件を寄越してくれたんだと、先輩に向かって心の中で怒りをぶつける。
「でも、静かではありますし」
絞り出した言葉は、あまりにも弱々しい。
しかし、その時だった。
『はあああい! おはこんちゅるちゅる~! ちゅり~ちゃんだよ! 今日もストリーマータウンで遊んでいくよ!』
ビー玉が転がった壁の向こう側。唯一の隣の部屋から甲高いアニメ声が響く。
辺りが静かでも、隣が静かだとは限らない。それなりの防音が出来る壁のはずなのに。
終わった。こんな物件でよく絶対借りてくれると言ったな、あの先輩は。
もしかしたら嫌がらせかと思ってしまうほど、この物件にはこれから起こる難が有りすぎた。
営業は頭を下げようと、客の顔を見た。客の顔は、今まで見たことないほど輝いていた。
「ここ、今すぐに、住みます」
「え」
新人はあっけにとられたが、客はお構いなしに声がした壁の方に寄っていった。しかも、壁にあったビー玉を蹴り飛ばしたのにも気づかず、「ちゅりちゃんだ、かわいい、今日も元気だ、これからいつも一緒」と小さい声でぶつぶつと唱え始める。
たしかに、契約成立するけども。
本当にこの人に家を貸すべきか。少しばかりの懸念が浮かぶ。
カラカラカラ カタンッ
しかし、傾きに合わせて戻るビー玉と同じこと。初めての契約成立という文字に、営業の心は簡単に傾いた。
ビー玉が向かう先 木曜日御前 @narehatedeath888
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