本編

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(スポット1)【岐阜県関ケ原町、徳川家康最後陣跡】


 僕たちは、遠足で岐阜県の関ケ原古戦場に来ている。

 午前中は、岐阜関ケ原古戦場記念館を見学した。

 これから午後の部、古戦場散策が始まるところだ。


 関ヶ原古戦場は、あちこちに記念碑や史跡が点在している。僕たちは班ごとに、それらの旧跡を歩いて訪れる。

 目的地を探しながら移動するのは、とても面白そうだ。


 いま僕たちがいるのは、徳川家康最後陣跡。

 関ヶ原の戦いのとき、徳川家康が後方から移動して、最後に陣をしいた場所なのだそうだ。戦いの後、首実検くびじっけんが行われた場所でもあるらしい。芝生が広がる大きな公園で、石碑が建てられたり、徳川家康の旗指物はたさしものが飾られたりしている。


 関ケ原古戦場にはたくさんの見どころがあって、興味や時間に合わせて自由に見て回れるみたいだ。モデルコースも用意されている。

 今日散策するのは、この徳川家康最後陣跡からスタートして、合戦が最も激しかったといわれる決戦地を散策、それから石田三成陣跡を見学して、最後に関ケ原笹尾山交流館でゴール、というコースである。


 島田先生の注意事項説明も終わって、各班がスタートしていく。僕らの順番まで、少し待たないといけない。


 僕は友達と喋りながら待っていたんだけど、気がつくとノブユキがいない。さっき石碑を熱心に見て、なにかメモしていたから、また見に行ったのかもしれない。ノブユキは、夢中になると周りの状況が見えなくなるタイプなのだ。


「ごめん、ノブユキ探してくる。順番になったら先に行ってて。後から追いかけるから」


 僕は班のみんなにそう伝えると、ノブユキを探しに駆け出した。




(スポット2)


 思ったとおり、ノブユキは石碑の前にいた。石碑と風景をスケッチしている。


「ノブユキ、もう出発だぞ」


 僕が声をかけると、ノブユキは顔を上げる。


「あ、そうだった。ごめん、スマホ禁止だから写真撮れなくてさあ」


 のんきだなあ。いかにもノブユキらしい。僕らは集合場所に戻ろうと振り向いた。


「……あれ?」


 いつの間にか、周囲に霧がたちこめている。真っ白い霧が僕たちを囲んで、あたりの様子がなんにも見えないのだ。どっちが集合場所なのか、方向が全然わからない。


「ちょっと待って。集合場所は石碑の向かい側だったから……あ、あれ?」


 ノブユキも首をひねった。すぐ傍にあったはずの、石碑の位置がわからないのだ。


 右往左往していると、今度は霧が薄れはじめた。関ケ原って、こんなにも天候が変わりやすいのだろうか?


 霧が薄れると、ほんの二、三メートル先に誰かいるのがわかった。顔はわからないけど、着物を着た人のシルエットが、霧の中にぼんやり浮かんでいる。


「あの、すみません」


 方向を教えてもらおうと、僕は近づきながら声をかけた。向こうも近づいてくる。ガシャリと、なにか硬い音がした。


 次の瞬間、僕とその人影はぶつかりそうなほど近い距離で鉢合わせした。霧のせいで距離感がつかめなかったのだ。目の前に、その人は壁のようにぬうっと立った。


 僕は、その人の顔を見上げた。

 そしてその次の瞬間、僕たちは……、


「うわあっ!」

「ぎゃあっ!」


 僕とノブユキは同時に悲鳴を上げ、尻もちをついた。


 目の前にいたのは、人ではなかった。

 骸骨がいこつだったのだ。


 すうっと霧が晴れていく。


 僕たちの前には、三体の骸骨が立っていた。僕がぶつかりそうになった一体は腰に刀を差し、その後ろの二体は槍を携えている。

 三体とも、ぼろぼろの着物に股引ももひきのような衣服を着て、剣道の防具みたいな胴体だけの鎧をつけている。頭には、鉄板を縫いつけた鉢巻はちまきを巻いている。


 理科室にある骨格標本を気味悪いと思っていたけど、いま目の前にいる骸骨たちの怖さは、あんなのとは比べ物にならない。骸骨は黒っぽく変色して、頭にひびが入ったり、歯が欠けたりしている。作りものじゃない、リアルな恐怖感だ。


「小僧、こんなところで何をしている?」


 先頭の骸骨が、荒々しい声で言った。僕もノブユキも、怖くて声が出ない。


「ふん、怪しいやつらだ。ひっ捕らえろ」


 骸骨は僕の胸ぐらをつかむと、力任せにむりやり立たせた。隣では、ノブユキも同じことをされている。骸骨の指の硬くて冷たい感触で、これがイベント用のコスプレなんかじゃないことを思い知らされる。

 抵抗も、逃げることもできない。本当に怖いときって、金縛りみたいに何もできなくなるんだと僕はそのとき知った。


 あっという間に、両手と胴体をひとまとめにして荒縄で縛られた。

 僕らは、捕まってしまったのだ。




(スポット3)


 僕たちは小突かれたり、引っ張られたりしながら歩かされた。


 途中、たくさんの骸骨を見かけた。

 槍の稽古をしている骸骨。

 見張りをしている骸骨。

 水を飲んでいる骸骨。柄杓ひしゃくで水を飲んでいるのだけど、飲んだ水は顎の骨の隙間から全部流れ出している。


 風景も変わっている。

 町はすっかり無くなって、野原が広がっていた。


 やがて僕たちは、幕を張った陣地へ連れてこられた。野原の一角に布の幕を張った区画がある。

 それを見て気づいた。ここは、テレビの時代劇でみた合戦のシーンとそっくりなのだ。陣だけじゃない。骸骨の格好も、午前中の記念館で見た足軽と同じだ。


 と、陣幕の陰から一体の骸骨が現れた。胴だけでなく肩からも長方形の防具を垂らして、兜をかぶっている。


「おまえたち、何をしておる?」


 その骸骨が、僕らを捕まえた骸骨に尋ねた。見た目どおり、相手のほうが偉いのだろう。足軽骸骨は得意げに答える。


「怪しい者を捕らえました」


 兜の骸骨は僕らをちらっと見たけど、まったく興味なさそうだった。


「たかが小童こわっぱではないか。そんな者は放っておけ。それよりも戦支度いくさじたくを急げ」


 結局、僕たちは陣幕で囲まれて空き部屋のようになった場所へ放り込まれてしまった。

 ノブユキがひそひそ声で話しかけてくる。


「オサム、ここって絶対、関ケ原だよ。ここは戦国時代で、あの骸骨は関ケ原の戦いで戦死した兵士で……」

「僕もそう思う。とにかく、なんとかして逃げよう」


 ちょっと力を入れると、僕らを縛っていた縄は簡単にちぎれた。縄自体が古くなって、切れやすくなっていたみたいだ。だけど、陣幕の外では骸骨たちが行ったり来たりして戦いの準備をしている。逃げるチャンスはなかなか巡ってこない。

 やがて、声が聞こえてきた。


「申し上げます。中山道なかせんどうからの急使にございます」


 ガチャガチャと骨のこすれる音がする。たぶん、急使が入ってきたんだ。さっきの兜の骸骨の声がした。


「よう参った。それで、ヒデタダ様の軍勢はまだか?」


 急使らしき声が答えた。


「されば、信州上田にて卑怯なる足止めを食らい、関ヶ原到着にはなお数日を要するかと。いましばらくのご猶予を、とのことでございまする」


 兜骸骨の声が荒くなる。


「天下分け目の大合戦、猶予など無理に決まっておろう。城攻めより行軍を優先せよとの命令だったはずじゃ」

「はい。なれどサナダアワノカミの無礼なる挑発の数々、ヒデタダ様はいたくご立腹なされ、もう我慢ならぬ、このままではがつかぬと申されまして」

「そこを自重するのが大将の器量であろうが。やむを得ぬ、報告するゆえ付いてまいれ」


 あわただしく出ていく音が聞こえる。誰もいなくなった今がチャンスだ。僕とノブユキは頷きあって、一目散に逃げだした。




(スポット4)


 逃げだした僕たちは、陣が見えなくなったところで背の高い草の茂みを見つけ、そこに隠れた。ここまで全力疾走してきたので、少し休憩しないとこれ以上走れない。


「オサム、あそこ」


 ノブユキが指さしたほうを見て、僕は息をのんだ。


 そこから野原が見渡せる。

 そして広がる野原には、数えきれないほどの数の骸骨武者が整列していたのだ。野原の向こう側にも、たくさんの骸骨たちが並んでいる。あれはたぶん、敵だ。


 腹に響くような太鼓の音が聞こえてきた。

 続いて、法螺貝ほらがいの音が不気味に鳴り響く。


 音を合図に、骸骨たちが一斉に動き出した。

 異様な叫び声をあげて走り出す。野原の両端から走ってきた両軍の骸骨たちは、中央で激突した。

 狂ったように槍を振り回す骸骨がいる。骸骨の馬にまたがって突撃する骸骨がいる。後ろのほうで弓をかまえる骸骨がいる。


 骸骨たちの、関ケ原の戦いがはじまったのだ。


 僕たちは、呆然として眺めていた。ものすごく恐ろしい夢を見ているような感じだった。

 そのときだ。僕たちが隠れている茂みの、ほんの一メートルほど手前の地面に、ぶすりと矢が突き刺さった。狙われたのか偶然の流れ矢なのかはわからない。

 でも、僕らはそれで我に返った。


 そうして、合戦場とは逆の方向を目指して再び逃げたのだった。




(スポット5)


 気がつくと、僕らは小高い山の上に来ていた。


 眼下の野原では、恐ろしい合戦が続いている。骸骨たちは叫び、怒鳴り、悲鳴をあげ、そして泣きながら戦っていた。

 以前、どこかのお寺で『地獄絵』を見たことがある。地獄絵は骸骨が戦っていたわけじゃない。でも、いま見ている骸骨たちの合戦は、凄惨せいさんな雰囲気がその地獄絵の雰囲気とよく似ていた。


 突然、ノブユキが僕を引っ張って草むらの陰に隠れた。僕たちが進もうとしていた山頂の方向に、城が建っている。

 城の前には陣が張られて、黄色い旗指物を背中に差した骸骨が集結している。旗には、二本の鎌っぽいものをX字に組み合わせた家紋が描かれている。


「小早川秀秋の家紋だ。ここは松尾山なんだ」


 ノブユキが小声で教えてくれる。

 陣の中から声が聞こえてきた。


「殿、ご決断を」

「わかっておる。だが、ことは重大である。よく思案せねば」

「しかし、東西両軍から何度も催促さいそくが来ております。このままでは、両軍から疑われることになりますぞ」

「むむう……」


 そのとき、合戦場のほうから爆竹のような音が響いた。さらに、雷みたいなものすごい音が続く。僕は右腕に、火傷をしたときのような痛みを感じた。

 腕を見ると、肘の少し上あたりに細長い傷口がついていて、じわりと血がにじんでくる。鉄砲で撃たれたのだ。


「東軍が鉄砲を撃ってきたぞっ」


 骸骨のひとりが大声で叫ぶと、陣は大騒ぎになった。


「オサム、血が!」


 ノブユキが青ざめる。でもどうやら、弾はかすっただけみたいだ。


「大丈夫、かすっただけだから。でもここも危ない、逃げよう!」


 僕たちは、また逃げるしかなかった。




(スポット6)


 その後も、僕たちは骸骨たちの戦場を、物陰から物陰へと逃げまどった。

 腕の傷が、脈を打つようにズキリズキリと痛む。


 気づくと合戦は終わり、あたりは静けさに包まれていた。

 戦場は、倒れた骸骨たちで埋め尽くされている。


 これからどうしよう。

 どうやって帰ればいいんだ。

 そう思ったときだった。


 倒れていた骸骨の一体が、むくりと起き上がった。あちらでもこちらでも、次々に起き上がってくる。

 そして、苦しげに恨みの言葉を吐いた。


「ああ、また負けてしまった。また殺された」

「裏切り者のコバヤカワ、この恨み忘れぬぞ」

「ジブショウユウに加勢したのが間違いだったのだ」

「やり直そう。もう一度やろう」


 骸骨たちは思い思いに、陣へと戻っていく。


 僕たちの背後で声がした。


「小僧ども、おまえたちも合戦に加わるのだ」


 振り返った僕らの目の前に、骸骨が立っていた。


「オサム、その顔……」


 ノブユキが震え声で言った。僕はノブユキを見た。

 ノブユキの顔は、骸骨に変わっていた。思わず自分の体を見る。僕自身の手足も、骸骨に変わっていた。


 もう逃げられない。

 僕らは、骸骨兵士の仲間になってしまったんだ……。




(スポット7)


「オサム、ノブユキ、大丈夫かあ?」


 聞き慣れた声で、僕は目が覚めた。島田先生が、草むらに寝転んだ僕らを見下ろしている。


「あ、先生」

「おいおい、遠足の最中さいちゅうに昼寝とは度胸あるな、おまえら。体調悪いのか?」

「いえ、大丈夫です」


 僕は右腕を見たけど、撃たれた傷なんてない。痛みもない。


「あのな、遠足っていうのは団体行動を学ぶ意味もあってだな。まあいい、体調が悪くないならみんなと合流しろ。十五分遅刻だぞ、班のメンバーにちゃんと謝ること」


 十五分遅刻?

 僕らが命からがら逃げ回った戦場は、たった十五分の夢だったのだろうか?


「なあ、ノブユキ」

「わかってる。骸骨だよね」


 ノブユキは即答した。やっぱり、あれは夢じゃない。二人同時に同じ夢を見るなんて、ありえない。


 ひょうっと音を立てて、風が吹いてくる。

 その風の音が骸骨の笑い声に聞こえて、僕は背筋がゾクリとした。

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悪夢の古戦場 旗尾 鉄 @hatao_iron

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