今宵、ホテルのバーで謎解きを ~オカルト物件編
若奈ちさ
今宵、ホテルのバーで謎解きを~オカルト物件編
「キルシュってなんのお酒です?」
様々な酒のボトルをずらりとそろえて「何にします?」なんて聞くものだから、それくらいは知っているだろうと尋ねてみたら、案の定、バーテンダーはさらりと答えた。
「さくらんぼを原料とした蒸留酒です」
「さくらんぼ? へぇ、まったく頭に浮かんでなかった」
妻が買ってきたキルシュという名の酒は無色透明の液体で、パッと見た目はちょっと高い炭酸水かと見間違うおしゃれな細身のボトルに入っていた。
果実のお酒といえばホワイトリカーにつけ込むか、焼酎に絞り入れるくらいしか知らないものだから、まさか赤い実が原料とは考えもつかない。
「いや、うちのがね、ママ友と持ち寄りパーティをするとかいって、ショートケーキのスポンジに塗るために買ったんだけど、普段そんな凝ったものなんか作らないから、それっきりなんですよね。だって子供にリキュールの染みこんだケーキなんて食べさせられないし、ま、普通に飲めるでしょうけど、どうやって飲むのがいいですかね」
「芳醇な香りがするのでお菓子の風味付けに向いてますけど、甘みがないキルシュも多いので、食後酒としてストレートでもよろしいですし、ジンジャエールで割ってもおいしいですよ」
「今できる? ジンジャエール割りで」
「かしこまりました」
品のいいバーテンダーだった。超一流ホテルというわけではないが、場に馴染んだ応対で、カウンター越しに長話をしても煙たがるそぶりもない。
なにより、静かだ。上層階の気取ったバーのようでいて、尻の据わりの悪さを感じるどころか、自分の時間に浸れる感じが心地よかった。
「お待たせ致しました」
コースターの上にすっと差し出された。
細い寸胴のグラスの中に氷が積み上げられ、そこへ淡い琥珀色のカクテルが注がれて、テッペンには軸がついたままの真っ赤なさくらんぼがのっている。
「缶詰のさくらんぼか。なんか懐かしい感じするな。メロンソーダにのってたりしたんですよね」
なんでかわかんないけど、と付け加えるとバーテンダーもつられて笑った。
「たしかに。不思議ですね」
「今、ファミレスでもドリンクバーじゃないですか。あのころ飲んでいた1杯分のメロンソーダより安かったりして。その値段でいろいろ飲めるんだから、自分の小さいころとは全然違うんだよね、価値観が崩壊するくらいに」
「ええ、アイスクリームがのっていたりすると、とても特別な飲み物のように思えてならなかったです」
「平成生まれ?」
「はい」
三十代前半といったところか。ひと回りも違うが接客には慣れた様子だった。
少々場違いなアロハシャツを着てひとりでやってきたオッサンにも愛想がいい。
それともドレスコードがあったのだろうか。サッと周りを見渡すが、数人しか客がいない。それでも自分の格好はラフすぎるようだった。
ま、いいかと気にしなくなるほどに、敏也はくたびれていた。
「俺なんか昭和、平成、令和、三つの時代を生きてきたんだよなぁ。元号も変わるのだから、時代も変わるはずですよ」
「まったくです」
「いくら日本人が働き過ぎだからって、急に休みが増えてもさ。ゴールデンウィークも増えていって、ついに十連休ですよ。十連休っていっても、持て余しちゃうよね」
「ご旅行でこちらに?」
「そう。一応ね、社員旅行で。バス二台に分乗して海を渡ってはるばるやってまいりましたよ」
冗談めかしていうと、バーテンダーは承知したようにうなずいた。
「近かったでしょう?」
「海を渡るのはあっという間」
海にかけられた橋を車で走行すれば十五分で渡りきれる。遠いようでいて、近場の旅行だった。
福利厚生といったって、社員旅行は元々あまり乗り気ではなかった。家族の分まですべて社長のおごりとはいえ、休日まで会社の人間と一緒の時間を過ごすというのも窮屈なものだ。
「だけど、うちのが――」
と、つい愚痴をこぼしてしまう。
「十日間もあなたと子供とずっと顔をつきあわせて、朝、昼、晩、三食ご飯作って、子供にどこか連れて行ってってせかされて、でもお金ないし。旅行に連れて行ってくれるなんてありがたい。こっちは適当にあしらうし、あなたが我慢すればいいじゃないって」
はぁと、ため息をつく。
「妻の取り扱い方が書かれた本が売れてるらしいですけど」
バーテンダーの合いの手に思わず肩を上げる大袈裟なジェスチャーをした。
「こんなふうじゃあね、世の中の男が早死にするはずですよ」
バーテンは屈託なく笑った。
「こんなところにいてよろしいんですか」
「俺がいないほうがいいらしい。同僚の奥さんと子供たちとでカラオケやってるんだよ。だからね、俺も好きにさせてもらってます」
「ごゆっくりと」
そうだと、ここへ何をしに来たのかを思い出し、キルシュのジンジャーエール割りを口にした。妻もカラオケで持ち出しが増えるのなら、こちらも使ってやろうという寸法だ。
「うん。うまいよ。甘い香りのわりにきりっとしてるね。うちのにも勧めてみる」
「ぜひ。お菓子作りで使っただけではほとんど減っていないでしょうから」
その通りだった。ちょっと使うだけで全然味が違うんだからというが、そういうものに限って高いし全部使い切ることはない。
そんなささいな買い物で揉めるくらいならいつも同じ味でいいくらいだった。
酒を飲めば愚痴が口をつく。先ほども広い宴会場で料理に舌鼓を打ち、ビール一本を手酌で空け、すでに出来上がっているのだからなおのこと。
「いやー、思えば休みでよかったのかもな。なにせ今年の春は忙しくて。大手のアパートの建築偽装が発覚して、それがちょうど引っ越しシーズンと重なったんですよ」
「ああ、ニュースで聞きました。引っ越しをずらすように要請したりとか」
大臣がコメントを出すほどの騒動だった。
主に扱っていた賃貸住宅が光熱費も込みで家具もついた物件で、短期間でも借りやすいということで単身者に人気のアパートだった。
もともと壁が薄くて隣人の声が丸聞こえなどよくない噂も絶えなかった。
そういった賃貸物件を建設し、全国展開していたが、耐火構造が不適合ということで多くのアパートが改修工事を余儀なくされていた。
そこへ入居する予定だった者はほかを探さねばならなかったし、工事のために立ち退かねばならない者もいた。
「まぁ、うれしい悲鳴といったらそうなんですけどね。この連休中にずれ込んだら、それこそずるずると忙しく働いていただろうな。だけど社長の方針でこの十日間は休みにするからそれまでになんとかさばけって。ワンマンだけどね、うまくいくときはうまくいくんだよな、不思議と」
「連休の中日に旅行を用意してくださった社長さんは敏腕ですよ」
「いやぁ。どうなんだろな。うちは小さな会社だけど、ここにはいろんな会社の社長とか来るんでしょうね」
「ええ、そうですね。あえてあなたは社長ですかとはおたずねはしないですけど」
なかなかおもしろいことを言うバーテンダーだった。
相手も暇を持て余しているのか話を続ける。
「お客さまの会社にも物件を探しにいろんな方がいらっしゃるのでは?」
「そうだね。母親とやってくる大学生から連れあいに先立たれた高齢者まで。本当にいろいろだね。そうそう、最近もみょうな客がいましたよ」
「みょうなお客さまとは?」
バーテンダーはグラスを丁寧に拭きながら、興味深そうに聞いてきた。
「オカルトライター、というわけではなさそうなんだがね。曰く付きの物件って、やっぱり安いんですかって」
なんらかの記事を書くために取材をしているようには見えなかった。
そうはいっても、最近では曰く付きの物件をリストアップしてウェブサイトにまとめている怪談師もいるとかで、動画投稿とかSNSで手軽に情報発信できるものだから、記者っぽくみえない人がその手の調査をしているということはありえる。
「興味本位なんですかね」
「それね。廃墟を巡るのが流行ってたりするでしょ。そうだ、去年の社員旅行で訪れたところは、自分は知らなかったけど、そのむかし、有名な俳優がハネムーンで訪れた地として有名になったらしくて」
「時代が変われば、ですね。近ごろの若い俳優はファンに遠慮して、そういうプライベートを明かさなかったりするものですが」
「当時はプライベートも含めて憧れだったんだろうかね。スクリーンの中の人という距離感といいますか。まぁ、時代は過ぎて、一世を風靡したけど近年は廃れてしまったとかで。廃墟ツアーなんてものが企画されたこともあるなんて話しを聞きましたね。不法侵入して肝試ししている不届きな輩よりはましってことですけど」
「何より危険ですからね」
「確かにね。でも世の中には物好きがいますから。だから、なにか事件の起こった部屋を内覧してみたいだけなのか、まったくそういうことは気にならずただただ相場よりも安い部屋に住みたいだけのか」
「冷やかしで来る人もいるんですか」
「そうね。幽霊見たさにこられたらたまったもんじゃないですよ。ウチは借りてもらってなんぼですから。ただね、その客はちょっと違ってたんです。なんていうか、……勘といったら漠然としすぎですが」
その客は名前と連絡先と、それからどのあたりの地域でどのくらいの価格帯でとか、簡単なアンケートを要求しても、とくに躊躇することもなくすらすらっと書き上げて不自然なところはなにもなかった。
うちに来た理由ってのが、ふらふらっとこの辺に住みたいなと通りかかったら、ちょうどよさそうなアパートがあって、そのアパートの柵に入居者募集の看板が出てたからというものだった。
「そのアパートっていうのが、事件が起こって間もない物件で」
「それは偶然ですかね」
「そう思うよね? 事件が起こった部屋はもちろんだけど、凄惨な事件だったから同じアパートにいたくないとか、マスコミも取材に来たりとかして落ち着かないから、出て行った人もいるわけ。だから、六部屋中、三部屋空いてたの。気が重かったけど、物件情報を見せないわけにはいかなくて。事件が起こったのは二階の角部屋でさ、隣の真ん中の部屋よりも安い賃貸料で」
「それで『曰く付きの物件って、やっぱり安いんですか』と?」
「そう。こういうのを心理的瑕疵といってね、借りる前にそんな話し聞いてなかったからキャンセルしたいとか、トラブルにならないように説明しておく必要があるんですよ。人によって感じ方が違うからね。たくさんの遺骨が埋葬された墓地のすぐ隣で、窓から線香の匂いが漂ってくる距離でも平気だけど、人が亡くなった部屋はいやとかね、ほんと、人それぞれですから」
「本当はまったく気にしていなくても、あとから難癖つけるようなお客さまだとか……」
「困るよね。どういう客かもわかんないからさ。もちろんはじめにこちら側から進んでいうものでもなくて。この部屋に決めそうだなって時まで極力いわないの、俺は。あれこれ話しすぎて妙な噂が立つのも困るから。最近じゃネットで拡散されてあっという間でしょ。そっちのほうがある意味恐怖です」
「それで、その方は契約なさったのですか」
「しなかったどころか、内覧も希望しなかったんですよ」
「それではほかの部屋に?」
「いや。あとは、あのアパートもおたくの物件だよねって、二件ほど確認をされて」
「そこも瑕疵物件で?」
「まったく。ドラマじゃあるまいし、そうそう続けて近隣で凄惨な事件は起こらないよ。なんの関係があるのかこっちが尋ねたいほどだったね。記者が身分隠して取材に来たにしては、事件について根掘り葉掘り聞いてこなかったし、もうちょっとうまいやり方をするものじゃないかなって。だからメディア関係者ではないと思うんだよ。ほんと、何者だったんだろう」
「事件というのはひょっとして――あの事件ですか」
ニュースやワイドショーを賑わせている、あの事件。
海にかかった橋を渡ってやってきたといったから、敏也の勤めている不動産屋がどの地域にあるか推測したのだろう。バーテンダーはあの事件かと当たりをつけたようだった。
「事件のことについてなにか知りたかったのは間違えないでしょうね」
「犯人なのかな……」
「ということは、いらっしゃったのは男性ですね」
「そう! そうだよ。あの事件の犯人といったら男しかいない。まさか次のターゲットを探す下調べじゃないよな。そんな大胆なことするわけないし、だいたい下調べって……」
自分で言って敏也は笑ってしまった。
うちへやってきて得られるのはせいぜい間取りぐらいだ。入居者の情報が欲しいのならそれこそアパートの周りをうろついたほうがいい。
だが、バーテンダーは神妙な面持ちでいった。
「もしかして、もう事件が起こった後なのでは?」
「ええ? あの事件以外にまだあるってこと? いや、まさか……まだ、その……遺体が発見されてないなんてことが?」
「いえ、そうではなくて。性犯罪ならば、常習性があって、近隣で続けて起こってもおかしくはありません。実際、そのような被害に遭われた女性のことがちらほら報じられていました。お気の毒に、最後の女性はエスカレートしていった末の悲劇となってしまったのかもしれません」
強姦殺人が起こった周辺では、女性が強姦される事件が何件か起こっていたことが判明している。
なんらかの関わりがあるのではないかと警察も着目しているようだった。
「その被害に遭った女性が、ウチで管理しているアパートの住人じゃないかって? そんな偶然ありえるか、っていうか、殺された女性以外の被害者は名前も明かされていないし、犯人しか知り得ないような情報をさらしにくるかね」
「そのお客さまは、偵察にきたということも考えられます」
「偵察って……犯人がなにを探りに来たんだ?」
「むしろ、わざと情報を与えに来たように思えてなりません」
「どういうことだ?」
「そのお客さまはご自身で必死に事件についてお調べになったのでしょう。名前を伏せられている被害を受けた方の情報もどうにかつかんだ。すると奇妙な偶然に気づく。被害女性が住んでいるアパートはすべて同じ管理会社だった。だから、ひとつの可能性について確認せずにはいられなかった。偶然関わっていた不動産会社に、この情報をもたらしたときの反応を」
「ちょ、ちょっと、俺が犯人だっていいたいわけ?」
「いいえ。おそらく、いらしたお客さまも反応を見て違うと思ったはずです。それに、あなたが犯人であるなら、ここでつまびらかにお話しすることもないでしょう」
「そりゃそうだよ。俺じゃないし」
「ですから、そのお客さまはこうやってあなたが誰かにお話になることを期待していた。旅先で出会った私よりも……そう、同僚の方に」
「え……」
「社内でこのお話しが噂となり、もし犯人が耳にして、そのみょうなお客さまとコンタクトを取ってみたいと行動を起こそうとするなら……。そのお客さまはアンケートを書かれましたね。名前こそ偽名でしょうが、電話は繋がるかもしれません」
「いやいやいや、ちょっと飛躍しすぎで」
「ええ、憶測に過ぎません。ですが、そのお客さまが被害者のご家族、あるいはお付き合いされていた方だとするなら、どんなことでもされるでしょう。相打ちをも覚悟で乗り込んできたのなら、とても危険です。同僚の方にこのお話しは?」
「まだしてません」
「ならば、同僚の方に探りを入れるのも同様に危険です。事件の被害に遭われた女性に、同じ方がアパートを斡旋したのだとするなら、やはり事件と無関係とは言いがたいでしょう。スペアキーを悪用しないとも限りませんよね」
「ええ、まぁ……。でも、どうすれば……」
「真剣に聞いてもらえるかわかりませんが、警察に相談なさるのがよろしいかと。同じような事件がまた起こってしまったら、寝覚めが悪いというものです」
「いや……そっか、はぁ……どうすれば……。すいません、もう一杯、なにか強いお酒を」
「はい、こちらはいかがでしょう」
バーテンダーはいつの間にか酒を用意していた。
一気にあおるが味なんてわからなかった。
ただ喉が焼けるように熱くて、肝は冷えていた。
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