花、咲かせて(2/8)

惣山沙樹

住宅の内見

前話

https://kakuyomu.jp/works/16818093072849552482/episodes/16818093072849608813




 どうしてこうなったんだろう。

 藤堂くんはキッチンを覗いてこんなことを言っている。


「三口コンロですよ!」


 うん、それはありがたい。だけども。

 一昨日のことを思い返した。




 大学が終わって帰宅して、外に干していた洗濯物を取り込もうとした時だ。そこにあるはずの下着が一枚残らずなくなっていた。下に落ちたのか、風に飛ばされたのか、そうやって都合のいい方向に考えを進めようとしてもやっぱりダメで。

 泥棒……。

 ずずっと背筋が凍った。一緒に干していたタオルは無事だったから、どう考えてもそうなのだ。ここに越してきて二年になるけど、こんなこと初めてだった。

 その翌日、慌てて新しい下着を買って、夕方のバイトに入った。営業スマイルを貼り付けて、自分では上手くこなせているつもりだったけれど、退勤の直前に藤堂くんに声をかけられてしまった。


「花崎さん、何かあったでしょ」


 藤堂くんのメガネの奥の瞳はすうっと透き通っていて。まだ知り合って間もないバイトの後輩だったけど、彼にならきちんと話せる気がした。


「あの、さ……藤堂くん、喫茶店で話さない?」

「いいですよ。行きましょう」


 品のいい黒いシャツに細身のデニム。藤堂くんのスタイルの良さは嫌でもわかった。何回か顔を合わせる内に、整った顔立ちにも慣れてきたとはいえ、二人っきりは初めて。あたしは喫茶店で自分のコーヒーカップの中身を見つめていた。


「その、ね。昨日、干してた洗濯物盗まれちゃって」

「ああ……そうだったんですね。今日の花崎さん、いつもに増してハキハキされてたから、かえって不自然だったんですよ」


 相手は年下の後輩なのに、そんなことを見抜かれていたなんて。あたしもまだまだだな。


「花崎さんってマンションですよね? 何階ですか?」

「一階だよ?」

「えっ、女性の一人暮らしで一階はダメですよ! そりゃ盗まれますよ!」

「だって、家賃安かったんだもん……」


 大学が決まってから、住む場所はあまりよく考えずに選んだ。お風呂が狭くても、隣がうるさくても、そんなもんだよねと甘んじて受け入れていたのだ。


「今すぐ引っ越した方がいいですよ。一度盗まれたら絶対に二度三度ありますって」

「けど、治安いいところって高いじゃない?」

「じゃあ、オレと一緒に暮らしませんか?」

「あ、うん、一緒に……って、えっ?」


 あたしはぱちぱちとまばたきをした。


「オレ、今実家から大学通ってるんですけど、やっぱり遠くて。親から許しが出たんで、一人暮らししようと思って色々調べてたんですよね」

「う、うん」

「ルームシェアなら、家賃だけでなく光熱費も折半できますし、節約になると思うんですよ。どうです? 一緒に探しませんか?」


 藤堂くんの声色から、これは本気だとよくわかった。それに、まだ短い付き合いではあるけれど、彼はふざけた冗談は言わない子だって知っているのだ。しかし、あたしは食い下がらねばならないと思った。


「その、結婚もお付き合いもしていない男女が一緒に住むのは、何かと問題があると思うよ?」

「そうですか? 治安の悪い場所で女性が一人暮らしをしている方が問題です。オレと住んでいれば泥棒も出ませんし、時間が合えば夜道の送り迎えだってできます。花崎さんにとってメリットしかないと思うんですが」

「うっ……」


 何とか反論しないと。そう思ってとにかく口を開こうとする前に、さらにたたみかけられた。


「あっ、自炊も効率的になりますね。二人分の食材を買って調理した方が食費も浮きます。それに、オレも初めての一人暮らしっていうのは不安だったんですよね。先輩の花崎さんがいらっしゃれば心強いです」

「そ、そっかぁ……」


 正直、金銭的な面は助かる。何度か卵や牛乳をダメにしたこともあるし。藤堂くんの言っていることは、確かに筋が通っているように思えてきた。


「花崎さん、明日土曜日ですけど暇ですか?」

「あっ、うん」

「じゃあ早速不動産屋へ行きましょう。善は急げです。花崎さんも早く今のところを出た方がいいですよ」


 藤堂くんは小首を傾げ、満面の笑顔を見せた。

 あたしはそれに……勝てなかった。


「そ、そうしよっか……」


 そんな返答をしてしまったのである。




 それから、本当に不動産屋に入って、物件を三つまで絞って、今は最後のところで。藤堂くんは写真を撮ったりメモをしたりと本当に熱心だった。


「うーん、やっぱりここが一番いいと思うんですよ。日当たり問題なし。キッチンも広め。築年数は古いですけど、これだけ綺麗にリフォームされているのなら普通に使えます。花崎さん、どうですか?」

「うん……部屋も二つあるしね、プライベートは確保できるしね、いいんじゃないかな」

「じゃあ決まりで!」


 あれよあれよという間に、藤堂くんは不動産屋の担当者と話を進めてしまい、本当にそこに住むことになってしまった。




「あの……これから、よろしくね」


 引っ越し当日。あたしは藤堂くんに深々と頭を下げた。


「はい、よろしくお願いします。楽しみですね、これから」

「う、うん」


 家電はあたしが使っていたものをそのまま持ってきたから、その費用も浮いたと藤堂くんは喜んでいて、あたしは半笑いでその話を受け流すしかなかった。リビングに置く小さなダイニングテーブルと二脚の椅子は二人で新しく買ったものだ。

 まずは寝るところを確保しよう、とそれぞれの自室の荷ほどきをした。なるべく余計なことは考えないように、と手を動かして、夜になる前には終えた。


「花崎さん、そっちどうですか?」

「あっ、うん。何とか終わったよ」

「オレもです。食器はまだ出してないですし……今夜は外食にしましょうか」

「そうだね……」


 そして、近所にある中華料理屋に入った。


「藤堂くん、何にする?」

「海鮮やきそばですかね。花崎さんは?」

「エビチリ定食かな」

「あっ、そっちもいいなぁ。オレ、辛い物好きなんですよ」

「じゃあ分けてあげようか?」

「はい!」


 食べながら、藤堂くんはこんなことを言ってきた。


「その……考えてたんですけど」

「なぁに?」

「一緒に住むのに、いつまでも名字呼びなのは他人行儀な気がして。下の名前で呼んでいいですか?」


 その瞬間、とくん、と心臓が跳ねた。


「い、いいよ……」

「じゃあ、梓さん。頼りにしてます」

「あたしも、その、年上だからさ……精一杯頑張るね、桐久くん」


 一日目の夜は、なかなか寝付けなかったのは言うまでもない。




次話

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花、咲かせて(2/8) 惣山沙樹 @saki-souyama

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