花、咲かせて(3/8)
惣山沙樹
箱
前話
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桐久くんとの新生活は、案外すぐに軌道に乗った。
お互いの部屋には勝手に入らない、用事がある時は必ずノックをして返事があってから、ということを徹底していた。
一人暮らしのあれこれについては、あたしが教えてあげた。どうやら桐久くんは、家事は全て親任せにしていたようで、ペットボトルの分別の仕方も知らなかったし、洗濯機の使い方もよくわかっていなかった。
けれど、それが可愛かった。とても素直に言うことを聞いてくれたし、一度飲み込めばそこからは早かった。そして、料理も教えて欲しいと言ってきた。
「卵焼き、作れるようになりたいんですよね」
「んー、初めてだと難しいよ? 段階踏もうか。目玉焼き作ったことある?」
「ないです……」
「よし、お姉さんに任せなさい」
二人でキッチンに立ち、まずは調理用具の準備。フライパンはもちろんのこと、一旦卵を割り入れる容器も取り出した。
「直接フライパンに入れるのかと思いました」
「もし殻が入っちゃった時に取り出せるからね。あたしはそうしてる」
卵は桐久くんに割らせた。やっぱり殻が入ってしまって、箸で取り除いた。
「フライパンはよく温めること。まだ冷たいうちに乗せたら、こびりついちゃうからね」
「……何秒くらいですか?」
「どれくらいだろう。あたしがタイミング言うから、はかっとく?」
桐久くんは本当にそうした。二十秒くらいだった。
「それで、油をひいて、低い位置からそっと入れて……」
「はいっ……」
じゅう、と気持ちのいい音がした。あたしはすぐに指示した。
「そしたら弱火にして。焼き具合は……お好みかな」
「フタしなくていいんですか?」
「する人もいるね。でも黄身が白くなるんだ。あたしはしない派かな」
桐久くんは半熟が好みだった。あたしもそうだから、ちょっぴり嬉しくなってしまったのは事実だ。
「オレ、初めて自分で料理できました……! 梓さん、これからもっと教えてください!」
「あたしの指導は厳しいよ? しっかり着いてきてね?」
「望むところです!」
なんだか弟ができたみたい。本当の姉とは仲が悪いし、こういうのはいいな。
楽しみができたことで、大学の勉強にも身が入った。講義中に寝なくなったし、辛いレポートもさくさく書けるようになった。
書類の関係があったから、バイトの店長にだけは一緒に住んでいることを明かさねばならなかったけど、秘密にしてくれたし、詮索されることもからかわれることもなかった。
そうして月日は流れ、あたしは大学三年生に、桐久くんは二年生になった。二人で暮らすことで確かにお金は浮いたし、とその分で新しくコーヒーメーカーを買った。あたしも桐久くんもコーヒーが大好きだったのだ。
「桐久くん、入っていい? コーヒーいれたよ」
「はい、いいですよ」
その日、桐久くんはパソコンに向かってレポートと格闘していた。夜の十時。二人とも入浴は済ませていた。
「調子どう?」
そう問いながら、机にマグカップを置いた。
「ちょっと詰まっちゃって。ちょうど息抜きしたかったんですよね」
「じゃあ、タイミングよかったんだ。少しお話しする?」
「そうしましょう」
桐久くんもあたしと同じ文学部だ。国文学を専攻するのだという。けれど、今やっているのは単位稼ぎのために取ったフランス文学。それがどうも肌に合わないようなのだ。まあ、不倫の話とか多いしね。あたしもそういう話は苦手だ。
話しているうちに、いつもは閉じている備え付けのクローゼットが開いていることに気付いた。服がかかっていたのだが、床に段ボール箱が一つ、置きっぱなしになっているのが見えた。
「桐久くん、あの箱何?」
「えっ……あれですか。何でもないですよ」
「ふぅん。気になるなぁ。もしかしてえっちなもの?」
「そ、そんなわけないでしょ!」
「お姉さん、気にしないけどなぁ」
桐久くんは立ち上がってクローゼットのところまで行き、箱に貼られたままだったガムテープを勢いよくはがした。
「変なものですけど、えっちなものじゃないってちゃんと証明しますからね!」
そして、入っていたのは……パンパンに詰まった恐竜のフィギュアだった。
「へっ?」
「あー! 絶対今ガキっぽいと思ったでしょ! だから出さなかったんですよ!」
桐久くんの顔は真っ赤だった。全然、恥ずかしいことじゃないと思うんだけどな。変なものでもない。それをきちんと伝えてあげよう。
「恐竜好きなんだね」
「そ、そうですよ……。捨てられなくて。実家に置いてたらどうなるかわからなかったし、持ってきたんですけど、梓さんに見られるの嫌で。笑わないんですか? ガキの頃の玩具、未だに持ってるなんて」
「笑わないよ。桐久くんはものを大事にするんだね。そういうところ、むしろ見直したよ?」
桐久くんはポリポリと頭をかいた。
「そんな風に言ってくれたの、梓さんが初めてですよ。親からはいい加減処分しろってずっと言われてたんで」
「そうだったんだ。ねえ、せっかくだし部屋に飾ったら? 箱に入れっぱなしじゃ恐竜さんたち可哀相」
すると、桐久くんは赤い恐竜のフィギュアを手に取った。
「いいんですか……」
「もちろん。ねえ、その子の名前は?」
「アロサウルスです。オレ、こいつが一番好きで」
それから、桐久くんに恐竜の名前を確認しながら、フィギュアを置いていった。桐久くんの部屋だけでは足りなかったから、リビングにも。最初は伏し目がちだった桐久くんも、箱の中身がなくなる頃には、いきいきと説明してくれるようになった。
「モササウルスは正確には恐竜ではないんですよ。爬虫類として考えられていましてね。口が大きく開いて、何でもかんでも食べていたようですよ」
「詳しいんだね!」
「図鑑ボロボロになるまで読んでました。あっ、そうだ……」
桐久くんはスマホを取り出し、操作した後、画面を見せてきた。
「大恐竜展?」
「はい。どうせ子供連ればかりだろうし、行くの諦めてたんですけど、梓さんがオレの趣味をバカにしないってわかったから。一緒に行きませんか?」
「うん、いいよ! たくさん教えてね?」
電車を乗り継いで、博物館に向かった。桐久くんはずっとそわそわしていて、小さな子供みたいだった。桐久くんが言っていた通り、家族連れがほとんどだったけど、あたしは気にしない。桐久くんは、化石を見ただけで何の恐竜か言い当てることができたので、説明書きを読む必要がなかった。
一通り見終わった後、図録を買って、博物館に併設されていたカフェでそれを見ながらコーヒーを頂いた。
「羽毛恐竜もいいですよね。最初は鳥だと思われていたみたいですよ」
「可愛いよね。シノサウロ……プテリクス……っていうんだ」
桐久くんの恐竜談義は尽きることがなくて、コーヒーがなくなった後も、二人で図録をめくり続けた。
「あっ……済みません梓さん。オレったら、熱くなっちゃって」
「いいんだよ。あたし、桐久くんの話聞くの好き。弟と過ごしてるみたいで楽しいよ」
すると、桐久くんは、図録をおさえていたあたしの手の甲に、そっと手のひらを乗せてきた。
「オレは……弟って思われるの、嫌です」
「えっ……」
桐久くんの瞳が強く訴えかけてきた。あたしったら、踏み込みすぎたかな。そう考えたのだが、違った。
「こんなこと言ったら、同居解消しなきゃいけなくなるかもしれないから、こわかったんですけど。やっぱり我慢できないんで、言います。オレのこと、きちんと男として見て欲しいです」
「それって……」
「梓さん。オレと正式に、お付き合いしてください」
かあっと頬が熱くなった。まさか、そんな風に想われていたなんて。
「その……ちょっとずつ、でいいかな? あたしもすぐに、気持ちの整理できなくて」
「構いません。オレ、今は梓さんに頼ってばかりだけど、引っ張れるような男になりますから」
そして、あたしたちの関係は変わっていった。
次話
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花、咲かせて(3/8) 惣山沙樹 @saki-souyama
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