この住まいにふさわしきものを

季都英司

住む人を検分する住宅のお話

 はじめに言っておく。逆である。

 勘違いせぬように。


 君たち人間は、住む家を探す際に『内見』なる行為をしていると思う。

 それすなわち、住宅たる建物を訪ね、業者なるものに立地や費用の他、内装やサービスなど説明を受け、住むに値する家であるかどうかを内々に確認する行為。

 そう君たちは認識しているはずだ。


 もう一度言う。

 逆である。

 なにが? 主体が、である。

 選んでいるのは君たち人間ではない、我々住宅の側なのである。


 人間がどう思っているのか知らないが、我々住宅にも住む家主(この言葉もやや気に食わぬが、我々寛大故不問に処す)を選ぶ権利がある。

 いや我々にこそ選ぶ権利があるのである。


 我々住宅は『内見』と称して訪れた君たちを詳細に検分し、行動を見聞きし、ふさわしきものであるのかどうかを確認しているのだ。

 もちろん君たちの情報は、事前に業者なるものから入手済みである。知らないこととは思うが、彼らは我々住宅の手先なのだ。


 したがって、君たちがどんなに住宅を気に入ろうが、住宅の側が気に入らないと思えば、買うことも借りることもかなわない。

 そういう風になっている。


 経験は無いか?

 『内見』をして、気に入ったからここに決めたいと連絡すると、

「もう別の方に決まってしまいまして~」うんぬんと断られたことが。

 それはすなわち住宅の側が人間を気に入らなかったと判定を下したからに他ならない。

 要は住宅からの不採用通知。そういうことである。


 我々が君たちを選ぶにもいろいろな基準がある。わかりやすいところで言えば、服装・身なり。

 これは清潔かセンスがあるか、それだけのことにはとどまらない。

 住宅との相性が大事である。


 例えば、隙間風も吹こうかという古ぼけた築数十年の昔ながらのアパートに、タキシード姿の若紳士が住めるだろうか?

 答えはもちろん否。

 そんなきちっとした身なりのものが住まれては、家の側が落ち着かない。もう少したたずまいを崩してくれと言いたくなる。


 また人間の趣味嗜好・生活スタイルも我々の選考基準に、これ大きく影響する。


 例えば、鉄筋コンクリート造りで防音完璧、音出し放題、ペットもOK!な高級住宅に、音には興味はありません、ペットも飼いません、そもそも忙しくてあまり家には居ません。

 といった人間に住まれては、住宅側のポテンシャルが発揮できないのだ。家として生まれたからには才能を十全に発揮していきたい、そう思うのは当然なのである。


 さらに言っておくと、我々は君たちの思考も判断材料としている。

 

 例えば、こんなことを考えている人間がいたとする

『部屋の広さはいいけど、窓からの眺めが微妙だし、キッチンは悪くないけどお風呂が狭いなあ……。正直家としてはいまいちだけど、まあ妥協してやろうか』

 なんてことを考えているものはよろしくない。

 住宅側にも誇りがある。妥協などで住まれては心が傷つくというものである。もちろんそんな考えのものには後日お断りの電話が届くであろう。

 住宅と家主、互いに敬意が必要だ。


 かように住宅の側も厳しく人間の側をチェックしている。どちらが上かと問われれば住宅の側が上。そう心得ていただきたい。

 極端な例ではあるが、語り部たる私が聞いたところでは、8階建て64部屋のとあるマンションが、それぞれの部屋に男女を割り当てて時間をかけたオセロを楽しんでいたと聞く。

 白黒裏返す時には、退去願うわけである。

 要はその程度の力はこちらにあるという例だ。



 おっと、そんなことをしている内に、私のところにも『内見』をしようという輩が来たようだ。


 その前に説明しておくと私は、都会を少し離れた郊外の二階建て戸建て住宅というやつである。

 築20年木造。小さいながらも庭もある。

 駅は少し遠いが静かなエリアで住環境はとてもいい。

 なに? 駅が遠いと資産価値が下がる?

 戸建てにしては年数が古い?

 そんなところでしか判断できない有象無象はお断りである。真の価値を見抜き給え。


 それではいかに住宅側の『内見』が厳しいかというところをお見せするとしよう。


 ふむ、今回の『内見』者は若い夫婦のようだ。

 若者には礼儀がなっていないものが多いと聞くし、駅の遠さや買い物が不便といった住宅の本質ではないところばかりにこだわりそうだ。

 これはさっそく減点対象である。

 私としては、品のいい老夫婦などに住んでいただきたいところだ。きちんと私の手入れが出来るものが望ましい。


 ……まあしかし、この夫婦、服装や立ち居振る舞いは悪くない。派手ではないが、しっかりとした場をわきまえた身なりである。業者とのやりとりを聞く限りは、礼儀もあるようだ。


 なになに? 趣味は料理と家庭菜園?

 庭のあるところに憧れていた?

 静かな環境が希望?

 若いのに、なかなか見所があるじゃないか。


 むむむ? 造りがしっかりしていて住みやすそう? ゆったりした居住動線とリビング中心の設計が素敵?

 ほほう、目の付け所がいいな。若いのにたいした着眼点である。そここそ私の売りの一つ!


 ……コホン。

 とはいっても若い人間。きっと途中でもっと都会に逃げたり、ライフプランがどうたらこうたら、住み替えたりしてしまうに違いない。

 私の目は厳しいのだ。

 どれ一つ思考をのぞいてやれ。


『ここなら、夫婦二人、長く住んでいけそうだな』

『年をとっても、こんな家でのんびり暮らせたら素敵な老後に出来そう』

 ……いや、あの、いきなりそこまで考えてもらえると私としてもこそばゆいというか。なんだ。


 しばらくして、『内見』を終えた夫婦が玄関をあとにする。そこで夫婦の会話が聞こえてきた。

「こんな僕らの希望にぴったりな《いい家》が残っててくれるなんてびっくりだね」

「運命ってこういうタイミングかしら。これが《終の棲家》との出会いってやつかもね」


 《いい家》!

 《終の棲家》!

 だめだ! その言葉には弱い!

 褒め殺しが過ぎる!


 若い夫婦は業者に話しかける。

「「ここに決めたいと思います」」


 こちらこそ! 末永くよろしくお願いしたい!


 ……いや、違う。

 これは私が緩いとか甘いとかではなくてだな。あくまでこの夫婦が素晴らしい二人だと言うわけであってだな……。


 業者が私の方を見て合図を送る。

 この二人でいいか? と質問だ。

 あー、まー、悪くないんじゃないかな。

 業者が私にさらに聞いてくる。

 悪くない程度なら見送りますか? という合図だ。

 いや、この二人でいいです。決めちゃってください。はい。


 というわけで、私は若い夫婦が住む住宅となったわけだ。



 さて、君たち人間に最後に言っておくことがある。

 君たち人間は、住む家を探す際に『内見』なる行為をしていると思う。

 逆なのである。

 選んでいるのは君たち人間ではない、我々住宅の側なのである。


 ゆめゆめ勘違いせぬように。

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