本編

ぶなあぁ〜おぉ〜〜〜……


恰幅かっぷくの良い茶トラの猫が二股のぶっとい尻尾をピンと立て、背を反らし顎を高く高く反らして一声鳴いた。

低めの鳴き声はうゎんうゎんと反響し、しばらく周囲にこだましていた。


「ここは俺の街、俺のシマ。一声鳴けば俺様の手下が馳せ参じるってもんだ。」


猫はこちらに流し目を送り、随分とご機嫌のようだ。


「せっかくのお客人だ。最初に来た奴をアンタに紹介してやろう。」


なんて、言い終わるか終わらないかの内に、シュタッ、シュタッ、トトト…と、身軽に駆け寄る足音が聞こえてきた。

 

シュタッ、トン、トトト…


やがて、後ろの路地裏から一匹の猫が姿を現す。

しゅっとして美しい白猫で、目は鋭い金色。こちらを警戒するように睨み上げ、茶トラ猫の前に来るとジリジリとこちらに視線を向けたまま左右に行ったり来たりする。

茶トラ猫の仲間なんだから絶対に普通の猫ではないと分かっているが、それにしても中々に美しい猫で、思わずほうっと感嘆の溜息が出た。


ヒヒヒ…


茶トラ猫の笑い声にハッとそちらを見ると、ソイツはこちらを見てニヤニヤと笑っていた。


「喜んでもらえたようで何よりだ。お客人。」


白猫は茶トラ猫の様子を見て次第に警戒を解き、茶トラ猫の側に座り込んで毛繕いを始めた。


「こいつは赤椿あかつばき。赤い花が好きでな。それにちなんでこの名を付けた。」


茶トラ猫は一旦腰を下ろし、お座りの姿勢を取ってから大きな欠伸あくびをした。


「約束だからな。赤椿の話をしてやろう。」


「コイツはな、少し先のボロアパートに父親と2人で住んでいた。母親はいつの間にか逃げ出しちまってたんだとよ。」


ヒヒヒ…


茶トラ猫が話し出した。

だが、猫目線だからか少々分かり辛い話し方の様に思える。

父親…とは、飼い主のことだろう。

母親は、その男の妻かあの白猫の母猫か…どちらか分からない。


しかし、尋ねていいものか分かりかねたので、ただただ聞き役に徹することにした。


「まぁ、よくある話だが、コイツの父親は大酒飲みの上に直ぐに暴力を振るうクズ野郎でな。赤椿はガリガリに痩せていつも腹を空かせていたし、体中痣や生傷が絶えなかった。」


―――なるほど。

どうも、白猫は可哀想な境遇で飼われていたようだ。

けれど、今は輝くような白い毛皮に傷なんて無いようだし、動きも俊敏で元気そうだ。

そう思い少しホッとする。


「ある日の事だ。」


「赤椿は父親に酒瓶で頭を殴られて血がだらだらと流れていた。それなのに父親はさらに拳を振り上げて殴り掛かってきたもんだから、命の危険を感じた赤椿は辛々からがらに避けて父親の投げ捨てた酒瓶を拾ってソイツの後頭部を殴り返したんだ。」


「打ちどころが悪かったのかもしれねぇなぁ…。父親は呻き声を上げてそのまま倒れちまったっきり。赤椿は急に、自分のしちまったことに恐れ慄いたのさ。」


やるせない話だと眉を顰めるが、茶トラ猫は相変わらずニヤニヤと笑っている。


ところでふと気になったのだが、まるで白猫が飼い主の男を殴った様な言い方である。そんな事は猫の身で出来るはずがないのに、である…


そう思って白猫の方に目を遣ると、白猫は冷たい金色の双眸でこちらを無感動に眺めていた。

そしておもむろに立ち上がると、茶トラ猫の背後へと駆け去って行ってしまった。


少し寂しく思いながら白猫を目で追っていると、少し先の道の向こう、行く手をはばむ塀の壁面にスピードを緩めず突進し、そのまま溶けるように消えて行ってしまった。


もちろん、塀に穴があったとかではない。

跳躍して塀の上に飛び乗ったのでも、ない。


本来ならぶつかるはずの壁の中に、通り抜けるように白猫の体が消えていったのだ。


見間違えたのかと瞬きを繰り返すが、もう白猫の姿は無く、確かめようもない。


何だか狐につままれたような気分だった。


「さて、父親を殴った後、赤椿は慌ててボロアパートから逃げ出した。まぁ、逃げ場所なんかなかっただろうが、逃げるしかなかったんだろうなぁ。」


白猫が退場した後も、茶トラ猫の話は続く。


「赤椿の頭からはずっと血が流れていた。触れた手にもべったりと赤い血がついた。血を流し過ぎたんだろうな、フラフラと行く宛もなく歩いていた赤椿はその内に道端で倒れちまった。」


「ふと見るとな、赤椿の目の前には街の景観を良くするための花壇があった。そして、そこには白い花が植えられていたんだ。」


ヒヒヒ、ヒヒヒヒヒ…


何が可笑しいのか、茶トラ猫はそこで顎を反らしてひとしきり笑い、再びニヤニヤした顔をこちらに向けて来た。


「赤椿は赤い花が好きなのに!可哀想になぁ…!」


「意識を朦朧とさせた赤椿は何を思ったか白い花に手を伸ばした。」


「そして、白い花に赤椿が触れると手にべったりと付いていた赤い血が白い花を綺麗な赤に染めたのさぁ!」


茶トラ猫は狂ったように笑い続けていた。

その合間を縫って何とか話を続けようとしている。


「その時の赤椿の顔といったら、最高だったね!思わず仲間に入れてやった程だ。」


「アイツは赤い花が好きなのさ!特に、人の血で赤く染まった花がなぁ…!」


茶トラ猫はヒー、ヒー、と苦しそうに笑いながら地面をゴロンゴロンと転げ回った。


もしも茶トラ猫がこんな猫だと知らなかったなら、その姿を可愛いと思えたんだろう。でも今はもう、怖々と様子を見守ることしかできない。


恐ろしさに荒くなりそうな息を、慎重に吐き出す。


「俺様はぜーんぶ見ていたのさ。俺達はどこにでも行ける、どこにでもいる。」 


ふと違和感を感じて顔を上げ、ギョッとする。


いつの間に来ていたのだろう。周囲には円を描くようにおびただしい数の猫たちが集まっていた。

どの猫たちも鳴き声も上げず、冷めた双眸でじっとこちらを見ている。


やがて、茶トラ猫はムクリと起き上がった。


「なぁ、お客人。足元を撫でるように生温かい風が吹き抜けたなら、何もない場所で物音が鳴ったなら、それは俺達がいる証さ。」


ヒヒ、ヒヒヒ…


「さぁて、これで赤椿の話はお終いだ。俺様もそろそろおいとまするとしようかね。」


茶トラ猫が乱れた毛並みを整えるように毛繕いを始めると、その体はだんだんと薄くなり、やがて透けて背景が見えるようになってきた。


 瞬く間に透明になった茶トラ猫はとうとう陽炎のように朧げになったが、消え去る一瞬前にまだギラギラと存在感のある茶色い目でこちらを一瞥いちべつした。


ギクリと背筋を強張らせたところで一陣の風が吹き、茶トラ猫の姿は完全に掻き消えた。集まっていた猫たちも皆いなくなっていた。



―――なのに、風に混ざって茶トラ猫の声だけが幻聴のように聞こえてくるのだ。



「なぁ、お客人。俺様の街をせいぜい気を付けて楽しんでくれ。赤い花を色付ける事にならないようになぁ…!」



ヒヒ…


ヒヒヒ…



「…まぁ、何かあっても、運が良ければ俺様の仲間にしてやるさ…ヒヒヒ……」



ヒヒヒヒヒ………。




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白猫と赤い花 虫谷火見 @chawan64

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