後編
三人の旅はゆっくりだった。一日にアリアの歩ける距離が短く、僕もカイルも彼女を優先していたからだ。
できるだけ宿屋に泊まれるよう計画を練り、野宿をしないで済むようにした。彼女の薬が切れた時には僕が調合して渡した。
時々旅路を邪魔する魔物や賊がいたけれど、カイルの剣と僕の魔法で追い払った。彼女はその度に二人とも強くてかっこいいと褒めてくれた。
僕らは国内にいるさまざまな医者を訪ね歩いた。
アリアの顔を見て気味悪がる人もいれば、興味深く思って診察してくれる人もいた。しかし、誰もが口をそろえて言う。
「初めて診る症例だ」
彼女を治す方法はちっとも見つからなかった。気づけば二年が過ぎようとしていた。
「あ、あのね、セルマ」
次の医者を探すべく、カイルが情報収集をしに行っている時だった。
宿屋の部屋のベッドに腰かけたアリアが、今にも泣き出しそうな顔で言う。
「わたし、生理来なくなっちゃったかも……」
はっとして僕はすぐに手帳を取り出した。主治医として彼女の生理周期を記録していたのだが、最後に記された日付は三ヶ月も前だった。
「気づかなかった、ごめん」
「ううん、いいの。でも、やっぱりおかしいよね?」
彼女の右半身は確実に木に侵食されており、最近は歩くのも辛そうだ。
どう返したらいいか迷い、考えてから口を開く。
「もしかしたら……表面だけではなくて、体の中も木になっているのかもしれない」
「っ……それじゃあ、わたし」
左の目からぼろぼろと涙をこぼして、彼女は言う。
「わたし、カイルの赤ちゃん、産めなくなっちゃったの?」
「……ああ」
主治医として嘘はつけなかった。
アリアは悲しみに
「う、産みたか、った……カイルと、結婚したかった……っ」
結婚ならまだできる。しかし、それを言葉で伝えたところで、彼女の涙が止むとは思わなかった。彼女が欲しいのは愛する彼との子どもなのだ。
あまりに
その夜、アリアが眠ったのを確認してから、カイルを廊下に連れ出した。
「何だよ、話って」
他の宿泊客に迷惑にならないよう、声をひそめながら僕は告げる。
「うん……医者として言うけど、アリアはもう長くない」
カイルがはっと目を
「そんな……」
「僕だって認めたくないよ。でも、症状が体の内部にまで侵食している。じきに食事をとれなくなって、自ら動くことも難しくなるだろう」
ぎゅっと唇を引き結び、カイルは強く握った拳で壁を叩こうとしてやめた。
「何でだよ……」
力なく壁へもたれかかり、ずるりとその場にしゃがみ込む。僕は黙ってうつむいたまま、彼のこらえきれない嗚咽を聞いていた。
僕らの旅に得るものは何もなかった。アリアはいつも明るく振る舞っていたけれど、僕とカイルからしたら辛かった。苦しかったけれど、彼女が笑うから僕らも笑った。
翌朝、故郷の街へ戻ろうと提案した。アリアも分かっていたのだろう、すんなりと受け入れてくれた。
「それじゃあ、どの道を通って帰るか、考えねぇとな」
と、カイルが取り出した地図をテーブルへ広げる。
「今いるのがここだから……」
「この街まで行ければ、あとは街道をまっすぐだな」
僕がそう言ったあとでアリアが言う。
「ねぇ、ここは何?」
彼女が左の指で示したのは、途中にある遺跡だ。
「んーと、シニェーズ遺跡?」
地図に記された文字をカイルが読み上げ、僕は思い当たる知識を披露する。
「古代に作られた遺跡だな。確か、
「壁画ぁ?」
と、カイルは眉を寄せたが、アリアは言った。
「わたし、見たい」
はっとして僕らが彼女を見ると、左半分の顔で彼女が笑った。
「ちょっとだけ寄り道したっていいでしょう?」
「……ったく、しょうがねぇなー」
「遺跡に行ったら、あとはまっすぐに帰るぞ」
「うん、分かってる」
僕らは旅の最後に遺跡へ行くことにした。
シニェーズ遺跡はすっかり風化して、天井のあちこちに穴が空いていた。
「気をつけろよ、アリア」
「うん」
カイルが彼女の手を引きながら慎重に進んでいく。足元には大量の
あまりに足場の悪いところは、カイルが彼女を抱き上げて進んだ。
「セルマ、壁画はどこにあるの?」
「そこまでは知らないな。たぶん、もう少し進めば……」
遺跡内部を道なりに歩いていくと、前方に光の降り注ぐ開けた場所が見えた。
「もしかして、あれじゃねぇか?」
と、カイルが指をさした方向に、壁画らしきものがあった。
「やっと見つけた!」
アリアが嬉しそうにし、カイルに支えられながら近くまで寄る。
僕も後をついていき、思っていたよりも大きな壁画に驚いた。直接光に照らされていないから薄暗いが、全体像は確認できる。
「でけぇ……」
「これって、神様かしら?」
彼らの隣へ並び、僕は考察する。
「おそらく、人間が死んで木になる様子が描かれているな。そして木が死ぬまでを、神様が見ている……?」
創世の光景かもしれないと思ったが、二人が黙って壁画に見入っているので言えなかった。
僕も黙ってそれを観察していると、アリアがふいにつぶやいた。
「神様はきっと、間違えちゃったのね」
「え?」
「は?」
同時に僕らが視線をやれば、彼女は目の前にある神様を見ながら言う。
「わたしに<第一の死>を付け忘れたんだわ。だからそこが
右に立つ僕から見た彼女はすでに木だった。長く伸ばした前髪の隙間から、ざらりとした木肌がのぞく。長袖と手袋で隠しているが、その手指はもう動かない。長いスカートとブーツで隠した脚も、動いていると言えるかどうか。
左に立つカイルは視線を壁画へ戻しながら言った。
「何が神様だよ。っつーか、木になるって何なんだよ? 木になったら何もできねぇのに、何で死んだら木になるんだ?」
彼の問いに答えはない。僕らはそういう世界に生まれてしまった。
「木になったところで何百年、何千年も生きるやつがいるのにさ。芽のうちに踏みつけられたり、火災で燃えちまうやつだっている。不公平すぎるだろ」
「……そうね」
アリアはそっとカイルへ寄り添った。気づいたカイルが抱きしめると、アリアは涙をこらえながら言った。
「わたし、木になってもずっとあなたのことを想ってる。あなたが死んで木になるのを、ずっとずっと待ってるわ」
「ああ、オレもずっと想ってる。絶対に忘れないし、木になったアリアのことも大事にする」
「ありがとう、カイル……」
抱き合う二人を僕は静かに見守った。アリアの涙が止まるまで、二人が現実を受け入れられるようになるまで――。
故郷の街へ帰って数日もしないうちに、彼女は木になった。
カイルの家の庭の片隅で、ひっそりと佇む若い木になった。
「アリア……」
彼女だった頃の面影がなくなっても、カイルは彼女を呼び続けた。あまりに痛々しい光景だったが、誰も彼を邪魔することはなかった。
僕は何もしてやれなかったふがいなさや後悔から、王都にある高等学校へ入学した。正式に医学を学んで国家資格を取得した医者となり、親の医院を継いだ。
学校で知り合った女性と結婚し、子どもを作り、気づけば三十六歳になっていた。
カイルはいつしかアリアを呼ばなくなったようだ。まるで空気のようにアリアは庭の景色へ溶け込んだ。
立ち直ったかどうかは知らないが、カイルも結婚して子どもができ、次の町長として活動するようになった。
僕らはあまり顔を合わせなくなった。彼女の話をすることももう無い。お互いにどんな気持ちでいるのか、想像することもできなくなった。
悲しいことのように思えたが、僕らはもう子どもじゃない。三人で旅をした二年間のことはただの思い出となり、<第一の死>が訪れるのを待っている。
木になったアリア 晴坂しずか @a-noiz
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