木になったアリア

晴坂しずか

前編

 人間は死ぬと木になる。木として死んだ時こそが、本当の<死>なのだという。

 僕が幼い頃に亡くなった祖父も木になった。遺体を土に埋めたところに、ある時芽が生えたのだ。それは日に日に成長して木となった。

 林も森も、街で見かける木も、かつて人だった者たちの第二の生の姿だ。彼らは木として生き、死んでいく。それを僕らは<第二の死>と呼び、人間としての死を<第一の死>と呼んだ。

 僕の家は代々医者をやっていて、小さな頃から<死>というものが身近にあった。老衰ろうすいで亡くなる人が多かったが、中には不治の病で若くして亡くなる患者もいた。

 そうした光景を見てきた僕は、当然のように医学を学び始めた。だが、高等教育は受けなかった。

 アリアがいたからだ。

 彼女は僕より二歳年下の幼馴染みで、町長の息子であるカイルとともによく三人で過ごしていた。僕とカイルが十四歳の時、アリアが何もないところでつまずいて転んだ。

 ――それが始まりだった。


 数日後、アリアが母親に連れられて医院へやってきた。右頬の一部が茶色くなっていた。

 父が診察をする様子を、僕は廊下からじっと見ていた。明らかに異常なことが起きているらしいのが、空気から察せられた。

 父はアリアの右腕と右脚を確認した。頬と同じように一部が変色し、ざらりとしていた。元の肌が白いため、いっそう際立って見える。

「まるで、木肌きはだのようですね……」

 信じがたいと言った顔で父がつぶやき、アリアの母親が動揺する。

「いったい、どういうことですか?」

 視線をそちらへ向けて父は首を左右へ振った。

「分かりません。初めてる症例です。おそらく、世界的に見ても初めてではないかと」

 誰もが愕然がくぜんとした。まったくの未知の病に治療法などあるはずもない。

「似た例がないか、効果のありそうな薬はないか、こちらで調べてみます。一週間後にまたいらしてください」

「はい、分かりました。どうかよろしくお願いします」

 アリアの母親が深々と頭を下げ、僕の父は神妙に「はい」と、うなずいた。


 街の中央広場で僕は父から聞いた情報をカイルへ伝えた。

「生きながらにして木へと変化しているのではないか、って父さんは言ってた。何もないところで転んだのも、足がうまく動かなかったんじゃないかって」

 ベンチに座っていたカイルは「は?」と、目を丸くするばかりだ。

「どういうことだよ、それ」

「分からないよ。こんな病気があるなんて、父さんでさえ知らなかったんだ。確かなことは、アリアが未知の病におかされてるってことだけ」

「なっ……馬鹿言うなよ、セルマ。何であいつが」

 と、カイルが立ち上がった時だった。

「二人とも、ここにいたのね」

 にこりと笑って淡い茶色の髪を揺らしながら、アリアがこちらへやってきた。

「何の話をしていたの?」

 いつもと変わらぬ振る舞いをする彼女に、僕は思わず戸惑ってしまった。

 一方のカイルはアリアの右頬を見て絶望したような表情になる。

「お前、その頬……どうしたんだよ?」

 アリアは一瞬笑顔をくずしてから、またすぐに笑った。

「分かんない。セルマのお父さんに見てもらったけど、わたしは木になってるのかもしれないって」

 彼女を見ていられなくなり、僕はうつむいた。

 カイルは賢くない頭で必死に言葉を探したのだろう、震える声で返した。

「木になるの、早くないか?」

 アリアはくすくすと笑い、つられてカイルも少し笑った。僕だけが黙ったまま、変な空気が三人の間に居座っていた。


 父が見つけたのはプラシーボ、偽薬だった。

 進行を遅らせることが出来るかもしれない、と説明して、毎日それを飲むように処方したのだ。

 もちろん薬としての効果はなく、アリアの思い込みに期待するしかなかった。とはいえ、そもそもが未知の病だ。進行が遅れているかどうか、正しく判断する術もないのが現実だった。

 数年が経ち、アリアの右頬は完全に木になっていた。木肌はまぶたにも侵食し、いつしか前髪を伸ばして右半分を隠すようになった。左の顔だけで彼女は笑ったり、怒ったりするようになった。右はもうほとんど動かせないのだという。

 右腕と右脚はまだ動かせたが、すぐに転んだりよろけたりする。一人で外を歩かせるのは不安で、僕かカイルがそばにいなければ彼女は散歩さえできなかった。

「本当にねぇのかな、治療法」

 十六歳になったある日、カイルがぽつりとそう言った。

「……僕も父さんもずっと探してる」

 医学科のある高等学校へ通うこともできたが、アリアのそばを離れたくなくて僕は街に残った。週に一度王都へ行き、医学書を探し歩いた。しかし、どこにも彼女と同じ症例は載っていなかった。

「何か、ねぇのかよ。ほら、何かすげー魔法とかでさ」

 と、カイルが無理に作った明るい顔でこちらを見る。

 僕は悲しい顔を返すしかできなかった。

「魔法は万能じゃない。だから医学があるんだ」

「っ……そ、それなら、もっとすげぇ医者に診てもらったらいいんじゃないか? ほら、いるだろ、そういう人!」

 彼が必死になる気持ちはよく分かる。カイルはアリアのことが好きなのだ。アリアも彼に想いを寄せており、僕はそんな二人を微笑ましく見守っていた。

「確かにいるけど、診せたところで治療法が見つかるとは思えない」

「何でだよ!? もしかしたらあるかもしれないだろ!?」

 ここ一年で急激に身長が伸びたカイルが僕の正面へ立ち、まるで威嚇いかくするかのようににらんでくる。

 僕は眼鏡越しに彼を見据え、冷静な言葉を返すだけだ。

「ずっと探してると言っただろう? 無いんだよ、少なくとも今の医学では治せない」

「くそっ……でも、だけど」

 もどかしいのは僕も同じだ。アリアにしてやれることがあるならしてやりたい。病気を治して、また前みたいに三人で元気よく遊び回りたい。

 カイルは黙って何事か考え込む様子を見せた。そして吹っ切れたように告げる。

「分かった。オレ、あいつを連れて旅に出る。治療法が見つかるまで、すげぇ医者に診せて回る」

「何を言ってるんだ、カイル。アリアを連れて行くなんて――」

「だってあいつ、病気のせいで街の外に出たことないだろ?」

 真面目な顔でそう言った彼を、僕はただ見るしかできない。

「オレやお前は街の外を知ってる。でもあいつは何も知らない。木になったら動けないんだ。少しでも動ける間に、外の世界を見せてやりたいじゃないか」

「……そう、だな」

 僕はうなずいていた。アリアの人生に少しでも喜びを与えたいという思いは、僕にもよく分かったからだ。

「決まりだな。アリアに話してくる」

 そう言ってカイルが彼女の家へ向かうのを、僕は無言で見送った。


 小さな頃から剣を習っていたカイルが護衛で、医学の知識がある僕はアリアの主治医。彼女に無理はさせないよう、それぞれの親から耳にタコが出来るくらい注意されて、僕らは生まれ育った街を出た。

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