あの世不動産

凪野海里

あの世不動産

「はい、こちら理想の住まいを形にする、あの世不動産でございます。どのような来世をご希望でしょうか?」


 窓口を訪れると、黒いスーツ姿の男からそんな挨拶と共に出迎えられた。


「あの……、ここ初めてなんですけど」


 私は周囲の様子を伺いながらそう口にする。正直、初めてだから勝手は全くわからない。

 出迎えてくれた男も笑顔を浮かべたままでなんだかうさんくさいし。メガネってのが余計に……。

 男は、私の「初めて」という言葉にうろたえることも驚くこともなく、事務的な態度で「ではこちらをご記入ください」と1枚の用紙を差し出してきた。

えーっと、ナニナニ……「ご希望の来世調書」? 「天使番号」と「あなたが来世で住みたい家庭の希望」「どんな両親が良いか」?

「どんな性格の人間になりたいか」とか、「運動量や勉強量」などなど。他にもいくつか項目はあるけれど……。

 つまりはどういうことだ?


「質問、良いですか?」

「ええ、もちろん」

「まず、このご希望の来世っていうのは」

「文字通りです」

「……なら、この天使番号っていうのは」

「ああそちらですね! あの世に入らしたときに神様から与えられたでしょう? 番号を。それが天使番号です。人によっては、前世の名前を思い出せない、あるいは思い出したくないという方もおられます。そういった方々への配慮を込めて、通し番号を降らせていただいております」


 もちろん名前を書いても構いませんよと言われるが、まあそういうことなら。私も前世の名前は好きではなかったので遠慮なく番号を書かせてもらった。


「405番さんですね。では、まず住みたい家の希望をおっしゃってください」

「住みたい家?」


 なんだそれは。まるで本当に不動産屋みたいではないか。あの世なのに。


「なんでも良いですよ。日当たりの良い場所とか、公園が近いとか、通勤通学に便利な場所とか」

「って、物件探しじゃないですか。こんなの!」


 男の言葉が言い終わらないうちに私がツッコミを込めてそう口を挟むと、男はきょとんとした。


「それはそうですよ。不動産屋なのですから」


 まあ、それもそうなんだけど。


「そもそも、なんであの世に不動産? ここに来世って書いてあるってことは、来世にどういう家に住めるかをここで決められるってことなの?」

「必ずしも希望に添えるとは限りませんが、まあ概ねその通りですね」


 なんだろう。本当にうさんくさい。

 男の張り付いた笑顔がそのままなのも、そのうさんくささに拍車をかける。

 テープみたいにぺりぺり剥がせば、案外化けの皮が飛び出てくるかもしれない。私は危うく手を伸ばしかけた。


「そもそも……どうして来世なんて」


 私がぽつりと呟くと、男は首をかしげた。


「天使番号405番さん。あなたは前世でひどく辛い思いをされたでしょう?」


 ずきり、と頬の傷が痛んだような気がして私はそっとそこをおさえた。


「……辛いって。やめてくださいよ。私は私なりに精一杯生きてきたんです! あんな両親のもとで生まれても、育った環境も境遇も関係ない。私は私なりの人生歩もうって必死で!」


 なのに、あの日全てが壊れてしまった。

 原因は、あいつ……。私にとって「父親」と呼ぶべき人の存在だった。あいつはいつも、仕事もせず毎日家に居座って、何をするかと思えば競馬ニュース片手に大酒を飲む。その上、酒癖も最悪だから、特にキレると手がつけられなかった。

 自分の頬に残る傷をそっと撫でる。いつだったかもう忘れたけど、あいつが怒り狂って酒の瓶を床に叩き付けたとき、近くにいた私はその飛び散った破片のせいで顔を傷つけてしまった。

 そのせいで近所では煙たがられ、そして学校ではいじめられた。家を出るとき、マスクをしながら登校しなきゃならなかった生活は、私をどんどん惨めにさせた。

 私が「母親」と呼ぶべき人も最悪な部類だった。あの人も父から毎日のように怒鳴られ、殴られ、蹴飛ばされていた。「金がねえ!」「酒を買ってこい!」それらに何も言わずに母は従っていたが、溜まりに溜まったストレスは娘の私に向いてきた。


「1人だったら楽だった」

「あんたがいなきゃあんな男とは別れてた」

「あんたなんか生まなきゃ良かった」


 そういった言葉を毎日のように浴びせられて、私だって気が狂いそうだった。何度自殺未遂をしたかもわからない。手首に残る無数の切り傷は常に服の下へと隠した。そうしないと周りの目が怖かったから。


「405番さん?」


 すっ、と目の前にハンカチを差し出され、私はようやく自分が泣いていることを自覚する。

 でも私はそれを制して、自分の袖で頬に流れる雫を乱暴に拭った。同情なんていらない。私は私なりに必死に生きてきたんだから!

 男はでも、私の手に無理やりハンカチを握らせた。真っ白で、汚れなんて知らなそうな綺麗なハンカチを。その強引さに少々面食らいながら、仕方なく私はそれで涙を拭った。


「もし、あなたが望むなら、今度は明るい家庭に生まれ変わることができるのですよ」

「希望に添えるとは限らないんじゃなかったの?」

「たしかにそうは言いましたが、405番さんは前世にいくつか徳を積まれています。その徳貯金によっては、ある程度希望に添うことが可能です」

「何それ」


 思わず、ふっと笑ってしまう。徳貯金だなんて、私が何をしたというのだろう。

 そんな疑問を私は口をださなかったのに、男はしっかりと答えてくれた。


「例えば、誰もしたがらない掃除を自ら進んでおこなったとか」

「何それ」

「教室の花の水やりをこまめに行ったことで、枯らさずに済んだこともありましたね」

「それは……」


 だって、あのまま枯れちゃうのは自分を見ているみたいで、なんか嫌だったから。


「そういった小さな徳の積み重ねが、こうして実を結ぶこともあるのです」


 やはりうさんくさい笑顔で言われるので、どうにも信じがたい。

 私は、本当にそんなたいした人間ではなかったのだ。

 私の最期は、本当にあっけなかった。例によって酒のせいで暴れた父に、母の怒りがとうとうそいつの目の前で爆発した。

 母は、暴れる父に包丁をつきたて殺し、そして続いて私を刺した。そして薄れ行く意識のなかで、母は最後に自分を刺して死んだのだ――。

 気がついたときには、私はあの世にいた。


「それに、来世の家庭がどういうものかを決められるのは、天使番号を降られた方々の特権でもあるのですよ」

「そうなの?」

「はい。前世で悪行を重ねた者たちは、地獄に落ちた末に裁判にかけられ、刑が執行されます。有名なのは針山とか、1000度の湯が張った鍋に放り込まれるとかですね」


 ああ、なんか聞いたことある気がする。


「ちなみに、徳貯金がどのくらいあるかっていうのもわかるの?」

「ええ、もちろんです」


 男はどこから取り出したのか、いつの間に電卓を手元に出現させたかと思うと、そこに素早く数字を打ち込んだ。


「誰もやらなかった掃除をした、花に水やりをした、あと他に前世で降り掛かった困難に果敢に立ち向かい、必死になって明日を生きてきたというのもポイントとして加算されます。その結果算出されるのが――この金額です!」


 差し出された電卓のパネルを覗き込んで、私は目を丸くする。え、ゼロ1個多くない?


「ホントにこれ?」


 疑い深く男を見上げれば、やはり彼はうさんくさい笑顔でうなずく。


「これがお金なら、前世でもこんな大金とったことないんだけど……」

「それほどの徳を積まれた、ということですよ」


 なんてこった……。

 このくらいのお金があれば、食うに困らないご飯とか。今まで欲しくても買えなかった服とか、アクセサリーとかも買えるじゃん。

 まあ、もう死んでるから意味ないんだけどね。


「で、いかがいたしますか?」


 男に促され、私は今一度「ご希望来世」の書類を見返す。


「……この、“どんな両親が良いか”というのは。どんな両親のもとに生まれるか、決められるってこと?」

「さようでございます」


 だったら……。

 私はペンを持って、今思っている理想の来世を書き込んでいく。

 別に容姿端麗でなくても良い。頭が良くなくても、運動ができなくても良い。

 ただ、私は愛されたかった。「生まれてきてありがとう」と言われ、家に帰れば温かな両親と共に食卓を囲む。ただそれだけで良かったのだ。

 そういう、「普通の家庭」を私は望みたい――。


「では、これでお願いします」


 私が紙を差し出すと、男はそれを素早く読んだ。

 それから、パソコンのキーボードを素早く叩く。やはりどこから取り出したのか。いつの間に出現したそれとにらめっこする男を、私は緊張の面持ちで見つめる。

 やがてこくん、と男はうなずいた。


「それでは、内見に参りましょうか」


 候補がいくつかありますよ。

 男はニッコリと笑うと、席を立って。「こちらです」と案内してきた。

 私は指し示された通りに席を立って、歩きだす。

 本当は不安でしかない。希望が叶うとは限らないのだ。でも、どうか。私を幸せにしてください。あるのは、それだけで良いんです――。




「ただいまー! ママぁ、ねえ聞いて! テストで100点とったよー!」


 ランドセルを背負った女の子は、自宅のドアを開けるなり、興奮ぎみにそう言いながらテスト用紙を見せびらかした。

 すぐにやってきたのは、彼女の母親である。顔が娘にそっくりだ。


「まあ、ほんと! あなた、すごいわよテストで100点ですって!」


 母のあとに続いてきたのは、娘の父親だ。目の色が娘にそっくりである。

 彼は母から見せられたテスト用紙を見るや、顔を輝かせて、その大きな手で女の子の頭をわしゃわしゃ撫でる。


「本当だ。すごいなぁ、よく頑張ったな。お前は本当に俺たちの自慢の娘だよ」

「えへへ、すごいでしょ!」


 女の子は満面な笑みを浮かべながら、温かな両親にひしっと抱きついた。


「だって、ママとパパの娘だもん!」

「さ、早く手を洗っちゃいなさい。今日の夕飯はカレーよ!」

「やったぁ!」

「待った待った。せっかくテストで100点とったなら、ケーキも用意しなくちゃ」

「ええっ、いいの!?」

「もう、そうやってまた甘やかして……。でも良いわね。今日は特別よ!」

「ママもパパもありがとう! 大好き!」



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