壁に穴のあるアパートでは恋が生まれるのか
日諸 畔(ひもろ ほとり)
不動産屋は怪しく笑う
会社命令で転勤となった私は今、引越し先の内見へと来ている。
転居に関する対応は勤務時間として扱われ、費用は全額会社持ち。さらに、半年間は転勤手当まで出る。さすがに家賃は自己負担だが。
それなりに手厚い待遇であったため、私としては拒否をする理由がなかった。まぁ、家族や恋人でもいれば別なのだろうけど、幸か不幸かその類のものには縁遠い人生だ。
「いかがでしょう? 日当たりも良いですしリビングもお大きめです」
会社から紹介された不動産屋が、得意げに物件を説明する。露骨な営業スマイルを貼り付けた若い男だ。
連れてこられたのは、最寄り駅から徒歩十分の集合住宅の一室。築年数は二十年程度ではあるが、何度か改装をしているらしく外観や設備に古臭さは感じない。
「ふうむ」
私は軽く唸った。確かに私ひとりで生活するには充分すぎる部屋だ。家賃も破格の月五万円。即決してしまってもいいと思えた。
しかし、一点だけどうしても気になるところがあった。
「ひとつ、聞いていいですか?」
「ひとつとは言わず、なんなりと」
男が口角をさらに歪ませる。聞かれて困ることなどないという態度だ。
「なぜ、壁に穴が空いているのですか?」
私は玄関からリビングへと続く廊下を指差した。そこには小さな
「ああ、よく気付かれましたね」
不動産屋の若い男は得意げに頷いた。私は「はぁ」と、乾いた相槌を返すのが精一杯だった。
「これはですね、最近流行りの『壁穴』というものです」
「壁穴?」
「はい、壁穴」
男が軽く暖簾を持ち上げた。その先には薄暗いが、私が今いる場所と同じような内装が見える。やはり隣室だ。
「何のために、こんなものを?」
この規模の単身向け集合住宅は、隣人と関係性を持たないのが基本だと思っていた。それなのに、こんなプライバシーを無視した構造になっている理由がわからない。
「ああ、ご存知ない?」
「知らないです」
「では、説明いたします」
男の目尻が下がった。彼の表情筋はどんな構造をしているのだろうか。
「壁に穴が空いていることによって、隣人と強制的に交流することができます」
「そりゃ、そうでしょうね」
私は交流など求めていなのだが、どういうことだろう。会社の紹介とはいえ、この不動産屋に任せておいていいのか、不安がよぎる。
「そのお顔、理解できます。でも、考えてみてください。お隣さんが、一人暮らしに不慣れな女子大生だったら? 会社ではしっかりしているのに家では不精なキャリアウーマンだったら? だらだらと何もしていないけどそれが癒しになるフリーター女子だったら? 男だと思っていたけど実は美女だったら?」
男の熱弁に私は息を飲んだ。そんな都合のいいことがあってたまるものか。破損を誤魔化すための詭弁とも思える。
「大丈夫です。最近のラブコメはそういうのが多いんです」
「ラブコメって」
「私、そういうの大好きなんです! お客さんは美形だし絶対大丈夫です! 任せてください! 是非とも!」
結局、私は男の圧とささやかな欲望に負け、契約書にサインをした。
二ヶ月後、隣の部屋に越してきたのは私と同年代の男だった。壁穴を覗いた時、相手方からかなり大きめのため息が聞こえたのは忘れられない。
ただ、そいつとは妙にウマが合い、時々互いの部屋を行き来している。
私の性別には、いまだに気付かれていない。
壁に穴のあるアパートでは恋が生まれるのか 日諸 畔(ひもろ ほとり) @horihoho
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