日当たりのいい角部屋

秋犬

日当たりのいい角部屋

 通りに面した大きな窓を開けると、良い春の風が入ってくる。


「日当たりの良い2階の角部屋ですよ」


 内見に同行している不動産屋の女はにこにこと物件の案内をする。


「ご予算の範囲ですと、この物件は本当にオススメで、条件と予算をお聞きしたときに私はここだ! と思ったんですよ」


 俺はキッチンの棚を調べる。キレイに何も残っていない。誰も住んでいなくてクリーニングしたのだから当たり前だ。


「キッチンはコンロを新調したので新品ですよ。壁紙も新しくしたので、部屋全体の雰囲気も明るいんです」


 不動産屋の女の下で、ワックスのかかったフローリングが春の陽気を浴びて光り輝いている。


「ロフトもあるんですね」

「ええ、好評ですよ。ご覧になりますか?」


 俺は梯子を登ってロフトの様子を見た。広々としてたくさん収納ができそうだった。


「駅からも少し歩きますけど全然大丈夫な距離ですし、買い物も便利です。駐輪場はありますけど、駐車場は近くの月極になってしまいますね」

「車を持つ予定はないから大丈夫です。最近はカーシェアとかあるし」

「そうですか、カーシェアっていいんですか?」

「結構使いますけど、別に悪いもんじゃないですね」

「へえ~、私も今度使ってみようかなあ!」


 はきはきと無駄話をしながら、不動産屋の女はいろいろと部屋の説明をする。


「洗面所もお風呂も全面的に交換したので、さながら新築の感覚ですね!」


 ぴかぴかと光る鏡を前に、不動産屋の女は笑顔になる。


「そうですか、それにしては家賃が安くないですか?」

「いえ、ここは角部屋なのでちょっと寒いんですよ。それで中側より安いんです」


 にこにこと不動産屋の女は相槌を打つ。


「もしかして、なんか出るとかじゃないの?」

「いえいえ、前に住んでいた方からは何も聞いていませんよ」

「そうですか……」


 俺が何か言おうとしたとき、不動産の女は慌てたように言う。


「さあさあ、時間も押していますしそろそろ次へ行きましょうか!」


 俺は玄関まで行き、不動産屋の用意したスリッパを脱ぐ。俺のスリッパは使い捨てだったが、不動産屋のスリッパも使い捨てだったことが俺は気になった。


 俺はこの部屋を第一候補にすると告げ、更に不動産屋の女が見繕った部屋をいくつか巡ったが何も情報が入ってこなかった。


 夕方、内見を終えた俺は再度第一候補の部屋が見える通りに来ていた。角部屋の割にやたらと安い家賃、やたらときれいな部屋、やたらと不自然な不動産屋。


「何もなかったんだろうな、前の住人は」


 俺はとあるバイトの噂を知っていた。半年だけ特定の住居に住所を移し、半年後に住所を移す。さながらそこに半年間だけ人が住んだように書類をみせかける仕事だ。なんでこんなことをするかと言うと、そこがいわゆる事故物件だからだ。


 前の住人が部屋で死亡しているなど不都合があった場合、不動産屋は借主に告知をする義務がある。しかし好き好んで事故物件に住みたがる奴もいないので、こういうことが横行しているらしい。あくまでも告知義務は直近の住人に限るらしく、いったん人を挟めば告知義務はなくなるらしい。


「じゃあ俺が住んでも、出てきてくれないのか」


 俺はのどかに輝いていた部屋の数年前の姿を知っている。


 心を病んでゴミが捨てられなくなった彼女。

 台所で小火を起こしてパニックになっていた彼女。

 風呂場で何度も手首を切った彼女。

 最終的にロフトで首を吊った彼女。

 俺が彼女を見つけたとき、既にゴミ溜めになっていた部屋で彼女は虫にまみれていた。


 部屋はすっかりクリーニングされ、事故物件のラベルも剥がれてしまった。告知義務もなくなって不動産屋の情報からも漂泊された彼女は一体どこに行ったのだろう。


 そんなことは知っているのに、俺はようやくあの部屋に住もうとしている。彼女の痕跡がこの世から消えるなんて信じたくない。誰よりも俺が彼女のことを知っているし、彼女を愛していた。何故彼女が死んだのか、今でも理解できなかった。


***


「それでは鍵を渡しますね」


 不動産屋はにこにこと俺に部屋の鍵を渡す。俺はひとりになった部屋で泣いた。もう彼女はいない。どうして彼女はいなくなったのか、この数年ずっと考えていた。俺は彼女がいなくなったロフトの手すりを撫でる。


「君がいなくなって寂しいよ、幽霊でもいいから姿を見せてくれよ」


 もちろん誰も答えない。


「全く照れやだなあ。せめて君の声を聞きたかったよ、こんなことならもう少し早く声をかけるべきだったね。だから今から言うよ、愛してる。ずっと君のことを愛していたんだ。愛していたのに、どうして先に逝ったりしたんだ!! 信じられない!!」


 耳元で女の声が聞こえた気がした。これが彼女の声なんだろうか。途端に俺は嬉しくなった。


「よかった、これでようやくずっと一緒にいれるね」


《了》

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

日当たりのいい角部屋 秋犬 @Anoni

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ