今日もあざとい君に夢中!

夏谷奈沙

第1話

 

 フロッケには三分以内にやらなければならないことがあった。

 

 丸まって眠っていたフロッケは飛び起きた。

 聞き慣れた車の排気音がする。奈子が帰ってきたのだ。

 今日も奈子はお日様が街を照らした頃、仕事に行った。

 部屋を見渡せば、お日様がもう沈み始めたのか、濃い影が床に落ちている。それでもいつもより外は明るい。

 今日は仕事が早く終わったようだった。

 フロッケの心臓がバクバクと音を立てる。

 大好きな奈子に会えるのが嬉しくてたまらない。奈子のことを考えるだけで、無意識に尻尾がゆらゆらと動いている。

 しかし、実は見つかったら怒られそうなことをしていた。それを隠蔽するため、奈子が帰ってくる前に片付けるつもりでいたのに、日が暮れるまで眠ってしまった。奈子がもう帰ってきてしまったことに少し焦っていた。

 奈子が車を停めてから、家に帰ってくるまで三分かかる。しかし、もう三分もなかった。

 フロッケは小さな体と口で、慣れない隠蔽作業を始めた。

 奈子に怒られないため、奈子に遊んでもらうため、フロッケはせっせと動く。

 あっという間に広がった悪いことは、フロッケの隠蔽したい気持ちと反比例して、さらに広がっていく。

 ガチャガチャ。

 鍵が開く音に、フロッケの時が止まる。

 もう隠蔽しきれないと悟ったフロッケは、ある行動をすることに決めて、奈子を迎えに行った。



 

 「ただいまー」

 奈子が玄関のドアを開けると、飼い犬のフロッケが駆け寄ってきた。

 遠目から見ると毛玉が動いている様にも見える姿は、なんとも可愛らしい。

 白く柔らかい毛が右側だけ少し凹んでいて、先ほどまで寝ていたことが伺える。

 仕事でへとへとになって帰ってきても、フロッケがいれば疲れは吹き飛ぶ。もはや視界に入るだけで荒んだ心が浄化され、頬がだらしなく緩む。

 フロッケは奈子の足元まで来ると、ころんっと転がった。無防備にお腹を上に向け、頭をわずかに傾げさせ、つぶらな瞳をこちらに向けている。

 可愛さ全開のフロッケに、奈子は小さな悲鳴をあげた。愛おしさゲージが限界突破しそうになったのだ。

 そして瞬時に奈子は悟った。

 

 奈子とフロッケは3年という短くもない月日を、同じ屋根の下で過ごしてきた。

 だから自ずと分かってしまうのだ。

 フロッケは悪いことをした自覚があるとき、どうすれば奈子に怒られないかを分かっている。

 自分の可愛さを理解し、怒られないように、もしも怒られても最低限になるよう、奈子の心を鷲掴んだポーズをする。

 つまり、フロッケは何か私に怒られるようなことをしたのだ。

 頭のいい犬で可愛いが、あざとさまで持ち合わせていることに、奈子は最近ようやく気がついた。


「ただいま、今日は何をしたの?」

 奈子がフロッケの頭を撫でれば、もっともっとというように、頭を上に上げていく。

 ふと何かがフロッケの口元でチラついている。

 茶色く小さな、紙屑。

 ハッとした奈子は靴を脱ぎ捨てて、リビングの明かりをつけた。

 明かりによって、悪いことが大々的に晒される。

「フロッケ。これは何かな?」

 リビングの青いカーペットの上に、大小様々な茶色い紙屑が散らばっていた。

 部屋の隅にはビリビリに破られた、原型を留めていないダンボールが哀愁を漂わせている。

「ずいぶん楽しんでいたみたいね」

 フロッケは、申し訳なさそうに上目遣いで奈子を見つめる。

「今日こそは騙されないよ。夜ご飯減らすからね」

 くうんっと驚いたような小さいはずの鳴き声が部屋を響いた。

 床に降ろされたフロッケは、とぼとぼ歩いてはちらっと奈子の方を振り返る。またとぼとぼ歩いては振り返る。尻尾と耳はしゅんと垂れ下がっていた。

 今日こそはと奈子はその姿に、甘やかしたくなる気持ちをグッと堪えて見守る。

 何度か振り返って、奈子が今日は騙されてくれないと気づいたようだった。フロッケはダンボールの破片を咥えて、ボロボロのダンボールに片付け始めた。

 しかしこれはフロッケの戦略であるということを奈子は分かっていた。奈子の情の深さと、フロッケに対する庇護欲に訴えかけた行動なのだ。

 奈子は分かっていた。そう、分かっていたのだ。

「――ああもう、あざといなあ」

 奈子はフロッケが可愛くて仕方がない。唯一の癒しと言っても過言ではない存在だ。

 それゆえに、奈子は毎度フロッケのあざとさに負ける。前回よりは長い戦いだった。

 フロッケは奈子も一緒に片付け始めると、許してもらえたと思っているのか、ゆらゆらと尻尾が揺れている。

 

 散らかった部屋を片付け終え、フロッケと一緒に

「ご飯にしよっか」

 フロッケの耳と尻尾がピンと立つ。

「あ、でもご飯は減らすからね」

 思い出したかのように奈子が言うと、フロッケの耳も尻尾も一気に垂れ下がった。

 奈子が笑ってうそだと伝えれば、耳も尻尾もまたピンと立つ。

 この動きが面白くて可愛くて、少しだけ奈子は遊ぶ。少ししてから、ちゃんとした分量でフロッケに夜ご飯をあげた。

 

 もしかしたらこれもフロッケの戦略のうち、かもしれない。

 

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